先日、井上尚弥選手の防衛戦が行われました。ボクシングファンの方ならご存じですが、この試合が行われるまで紆余曲折がありました。当初は昨年12月24日にサム・グッドマン選手と防衛戦を行う予定でした。ところが、試合の10日前にグッドマン選手がスパーリングでまぶたを切ってしまいました。試合を行うことは不可能となり1ヶ月後の1月24日に試合が延期となりました。さらに1月13日にふたたび練習中にまぶたを切り、前回以上の深い傷で試合ができないため試合は中止となりました。
ボクシングの世界戦、特に井上尚弥選手ほどのボクサーなら1試合で大きなお金が動くし、会場も1万人規模以上になります。テレビ、いや最近は試合を配信する会社との契約などもあるし、万が一試合がなくなれば違約金を支払わなければならず、主催するジムにとって大きな痛手です。グッドマン選手との試合がなくなった以上代わりの選手がいればいいのですが、世界戦ともなると試合の何ヶ月も前から相手を研究し、相手に似たタイプの練習相手を呼んだりして相手に対応できるスタイルを構築しなければなりません。減量もあるし試合から2週間を切った状態で相手を見つけるのは至難の業です。
そんな中で見つかった相手が韓国のキム・イェジュン選手でした。ランキングは11位と低いので井上選手の圧勝だろうという周りの雰囲気でしたが、井上選手にとって12月末に調子のピークを持っていきかけたところを1ヶ月先に延ばされたり、オーソドックス(右利き)のグッドマン選手からサウスポーのキム選手に代わったことで神経をすり減らしたことは想像に難くありません。
そうして迎えた試合当日。1Rから井上選手のペースで試合が進み、4Rで井上選手がキム選手からダウンを奪い快勝。実力差はありましたが、それは井上選手が強すぎるためで、今の階級では井上選手を脅かす相手がいないのが大方の専門家の見解です。しかしながら、これまで井上選手と闘った相手は井上選手のプレッシャーに押されて逃げ腰になる選手も多かったですが、キム選手は逃げることなく勇敢に打ち合い、井上選手にパンチを当てる場面もいくつかありました。4Rのダウン直前、キム選手が井上選手に「来い」とばかりに挑発するシーンがあり賛否両論を呼びました。実際井上選手も試合後の会見で「イラっとした」と言っていましたが、逆に言えば最後の最後まで勝負をあきらめないキム選手の勝利への執念を垣間見ることができた、とも言うことができます。
試合後、感動的な場面がありました。リング上でのインタビュー中に井上選手が一旦インタビューを中断し、退場するキム選手に拍手を送ります。それに合わせて観客もキム選手に拍手を送りました。井上選手も観客も急遽試合を受けてくれたキム選手への感謝とリスペクトから生まれた拍手だったことは言うまでもありません。彼こそグッドルーザーと言えますが、彼は決して敗者なんかではない、と僕は思います。
そして、翌日にも感動的な出来事がありました。ジムで井上選手が会見を行っている最中にキム選手が挨拶に訪ねてきたんです。「めっちゃええ奴やん」試合での挑発について触れられて狼狽しているキム選手に井上選手が「大丈夫、大丈夫。」と言ってキム選手をなだめる場面もあり微笑ましい2ショットでした。かつての名トレーナーである故エディ・タウンゼントさんの言葉を思い出しました。「試合が終わったら友達になるの」ボクシングってほんまにすばらしいスポーツやと思います。
1990年代頃までは韓国は日本のライバル、というより世界戦での日本人対韓国人との試合は韓国に分があった気がします。ところが、2006年を最後に韓国から世界チャンピオンが誕生していません。キム選手には再び世界挑戦して世界チャンピオンになってくれることを心から願います。
昨日、娘の学校でマラソン大会がありました。昨年は6位。大会前での練習ではなかなか10位以内にも入れませんでした。親が見に行くことができるので、夜勤明けにもかかわらず会社から娘の学校に直行しました。結果は3位。順位はさておき娘や娘の友達の頑張る姿を見るのは感動的でした。
「次はオレの番や。」2025年初戦の紀州口熊野マラソンが明後日になりました。調子はまだまだですが、今月は140km走ってコロナ前に近い練習量をこなせました。これを継続すればサブ4復活に近づくと思うので、今年こそ頑張ります。





