夫はなぜ死んだのか 森友問題公文書改ざん 赤木さん妻、おえつ漏らし「何をさせられたのか」 | poohta8のブログ

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 2020年7月15日19時45分  日刊スポーツ

 

学校法人「森友学園」の国有地売却問題を担当していた元財務省近畿財務局職員赤木俊夫さん(当時54)が、佐川宣寿元国税庁長官(62)の指示で決裁文書改ざんを強制され自殺に

追い込まれたとして、妻雅子さん(49)が国と佐川氏に計約1億1000万円の損害賠償を求めた裁判の第1回口頭弁論が15日、大阪地裁で開かれた。雅子さんは法廷で約10分間にわたり、

意見陳述を行った。国と佐川氏側はいずれも請求棄却を求めた。

証言台に立った雅子さんが、おえつを漏らした。俊夫さんが亡くなった18年3月7日を

振り返ったときだった。「夫は亡くなった日の朝、『ありがとう』って言ってくれた。

最期の夫の顔は絶望に満ちあふれ、泣いているように見えた。決して生き残らないように

電気コードは首にきつく、二重にくくりつけていた。怖がりだった夫がこんなことを

しなければならないなんて…。真面目に働いていた職場で何があったのか。

何をさせられたのか、私は知りたい」と訴えた。

自らの実名を明かして裁判に臨むことを決めた。弁論後の会見で、雅子さんは真相解明に

後ろ向きな国を批判し「1人でも多くの方に、こういうことが今住んでいる日本で実際に

あることなんだということを知っていただきたいと思います」と話した。俊夫さんの口癖は

「僕の契約相手は国民です」。実直な公務員だった夫が、なぜ自ら命を絶ったのか。

「夫の死の真実を知りたい」。妻の闘いが始まった。【松浦隆司】

 

 

森友公文書改ざん「亡くなる前の晩に電話があったんです」

赤木俊夫さんの義母が語ったあの日のこと

『私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』    より#2  相沢冬樹  source : 週刊文春出版部

 

 森友学園との土地取引を巡り、公文書書き換えを上司に強制されたことを苦に

自ら命を絶った財務省近畿財務局の元職員・赤木俊夫さん(享年54)。2020年3月、

赤木さんが遺した痛切な手記が週刊文春で公開され、大きな反響を呼んだ。

「助けてあげられなかった」そう語るのは俊夫さんの義母。俊夫さんを理不尽に失った家族が

初めて胸の内を明かした。赤木雅子さんとジャーナリスト・相澤冬樹氏による『私は真実が

知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ?』(文藝春秋)の一部を抜粋して紹介する。

(全2回の2回目/#1を読む)

親族の思い

 俊夫さんが亡くなった翌日、自宅を訪れた楠氏の「遺書を見させて」「マスコミは

怖いですよ」という発言を録音していたのは、当時17歳だった甥っ子の1人だった。

彼が機転を利かせてスマホで一部始終を録音していたおかげで、今、その時の

やり取りが細かくわかる。そして実家のお母さんは俊夫さんにとって義理の母だが、

手記で「私の大好きな義母さん」と触れるほど仲が良かった。

 

 雅子さんの実家の家族は、俊夫さんに起きたことをどう思っているのだろうか? 

お母さんと兄夫婦、それに3人の甥っ子たちの一家は、岡山県内で暮らしている。

コロナの問題があったため、私はスマホを通しテレビ電話で実家のご家族と話をした。

それまで俊夫さんの実の父が報道各社の取材に応じたことはあるが、

雅子さんの実家の家族が取材に応えるのは初めてだ。

 

 トップバッターは最年少、兄の三男(13)。雅子さんの末の甥っ子にあたる。

俊夫さんに書道の指導を受けている写真が残っている。

「初めて習字をしたのは神戸(赤木さん夫婦の自宅)に行った時です。幼稚園でした。

それから書道を習うようになりました」

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「いつも笑ってるイメージでした。優しかったけど、書道を教えるときはちょっと厳しい。

道具の使い方を優しく教えてくれました」

 続いて2番目の甥っ子(15)。年齢が若い順での登場だ。

「プールに泊まりがけで遊びに行ったことをよく覚えています。楽しいおじさんでした。

亡くなった時はとても悲しかった」

 そして1番上の甥っ子(19)。録音をしたのは彼だ。なぜだったのか?

「おじさんが亡くなって病院から帰る時、おばさん(雅子さん)が『 深瀬さんだけが

信用できる 』と話していたんです。と言うことは他の人は信用できないということでしょ。

財務局のことでこうなったんだから財務局の人は信用できない。その頃テレビで、

裁判なんかになったら録音が大事だと放送していたんです。豊田さん( 元秘書への暴言が

報じられた豊田真由子元衆議院議員 )のことです。あれも録音していたから

わかったわけでしょ。だから録音しようと思いました」

「誰もあいさつもなく名刺もくださいませんでした」

 誰かに事前に相談したのだろうか?

「いや、自分で決めました。財務局の人たちが帰った後、すぐに(大人たちに)

録音したと言いました」

「おじさんは父(雅子さんの兄)とすごい仲が良くて、ふざけあって趣味が合って、

そんなに離れた親戚という感じじゃなくて近かったんです。思い出はいろいろあります」

 

 次は甥っ子たちの母、つまり兄の妻(49)だ。実は雅子さんと同い年。

幼稚園から中学まで同じだったという。「俊夫さんには感謝しかありません。子どもたちと

全力で遊んでくれた。叱る時もちゃんと叱ってくれた。何でも全力投球でした」

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 岡山で行われた俊夫さんの葬儀で受付を務めた際、参列した財務局の人が誰も記帳

しないことに気づいたのは彼女だ。「20人くらい来ていました。その中のお一人が

『 記帳は? 』と言ったら、深瀬さんが『 記帳はしてないから 』と言って、

結局誰も記帳しなかったんです。でも記帳は受け付けていたんですよ。

財務局の人は誰もあいさつもなく名刺もくださいませんでした。おかしいと思ったんです」

次は、俊夫さんとすごく仲良しだったという雅子さんの兄(54)。最初の出会いから尋ねた。

「うちへ妹(雅子さん)が連れてきて、両親と私が会いました。震災(阪神・淡路大震災)の

少し前でしたよ。仕事の内容はようわからんが、難しいことをしてるんじゃろう。

でも偉ぶらんし、力がある、元気がある。(普通の人とは)ちょっと違うと思いました。

最初の印象に間違いはなかったですね。年は私より2つ上だけど、妹の夫だから、

私のこと『あーちゃん』と言うてくれてね」

 あーちゃんとはこの地方で兄のことを指すという。この兄も、俊夫さんの死の翌日に

訪れた財務局の人たちの対応に不信を感じていた。

亡くなる11日前

「探りに来た感じがしました。雰囲気と言うか臭いと言うか。弔問なんだけど、口封じという

印象ですね。『マスコミに気をつけなさい』『1回(情報を)出したら大変なことになります』と、そんなことばかり。名刺はいっさい置いていかなかった。玄関まで送った時も最後まで

マスコミのことを言っていました。私は本音では『トッちゃんは死んだんやなしに殺され

たんや』と思ってましたけど、財務局の人には『表立って何かすることはありません。

アドバイスに沿います』と答えたんです。急に敵に回したら怖いじゃないですか。

妹がどうなるかわからんし、それが一番怖かったんです。(手記は)ずっと表に出さんと思っていたけど、妹の気持ちが一番じゃから。応援せにゃいけん。その辺は女の方が強いですね」

 そしていよいよ「大好きな義母さん」、雅子さんの実母(78)の登場だ。

俊夫さんの印象は?

「ほんとに優しい。娘をすごく大事にしてくれた。何も言うことはありません」

表情からも感謝の気持ちがほとばしっていた。活動的で、赤木さん夫婦とよく一緒にいろんな

ところへ出かけたという。改ざんのために俊夫さんが初めて呼び出されたあの日も一緒にいた。

「梅林公園にいてね。いきなり『出ていかにゃいけんから』言うて、急いで出かけていった。

仕事のことは何も言わんから。でも普通の様子でした」

 

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 その時はまだ、まさか公文書の改ざんを命じられるとは知らなかったのだ。

 亡くなる11日前、2018年2月24日。赤木さん夫妻は岡山でお母さんと兄一家と会食して

いる。その時の俊夫さんは以前の明るさがすっかり影を潜め、暗くうつろな表情をしていた。

巻末の俊夫さんの略歴の上の写真はこの時のものだ。

「あの時はもう、遠ざかって逃げる感じでした。影が薄い感じ。やせてたしね」

 

 会食に同席した親族全員が同じことを感じていたという。その時に撮った写真が、

俊夫さんの生前最後の写真となった。では、死の前日に話したことは? 

休職中だった俊夫さんだが、翌日はテスト出勤する予定になっていた。

「亡くなる前の晩に電話があったんです。『あしたは仕事じゃないんじゃ。検察じゃ』と

言ったと思います。長くは話さずに終わりました。後で思ったのは、普通は仕事に行ける言う

たら(病気が)少し楽になったと(私が誤解して)思うから、そうじゃないんじゃ、

検察じゃ、と言いたかったのか……その時は意味がわからなかった」

 

「トッちゃんが亡くなった」

 翌日、お母さんは友人と関西方面に旅行に出かけた。しかし俊夫さんの様子が気になって

楽しめなかったという。(友人に)『おもしろないことあって、ごめんよ』と言ったんです。

その時はもう(俊夫さんは)亡くなっていたんでしょうね」

 帰る間際になって「トッちゃんが亡くなった」と電話で知らせが入った。

 

「かわいそうでしようがない。私は最初から『トッちゃんは殺されたんじゃ』思って。

財務省が殺した。葬儀の時『助けてあげられなかった』と謝りました」

そして我慢してきた思いがあふれ出した。「財務省の中へ鉄砲持って入りたかった。

片手じゃなく両手に持って。そんなこと思うくらい、憎くて仕方ない……」

スマホの向こうの表情に、やるせない憤りがみなぎっていた。

 私は最後にもう一度、雅子さんの兄に尋ねた。

 ―そちらは保守的な土地柄ですよね。雅子さんは若い頃から自民党支持だったと

話していますが、皆さんもそうですか?

 

この義母さんに、あの姉妹が憑いて言わされ、感情もそう思わされたんです 物申す パンチ!パンチ!

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「ええ、そうです。ずっと地元の加藤さん(編集部注:現在の加藤勝信官房長官)に

投票しています。これからも変わらないでしょう」

 奇しくも加藤氏も財務省の前身、大蔵官僚出身だ。岡山が地元の故・加藤6月元農水相の

秘書を務めた後、女婿となり、地盤を継いだ。

 雅子さんの兄は長年の自民党支持者として、妹の思いに向き合おうとしない今の政権の

ありように不満を隠さなかった。「今の政権の人たちは、戦後日本を作ってきた自民党の

先輩方に対して申し訳ないことしとると思ってもらわにゃならんと思います」

そんな、日本を動かしてきたトップエリートたちに訴えたいことがある。

「トッちゃんは国鉄からの転職組で、佐川さんのような生え抜きのエリートやないけど、

志は本当に、日本国を代表して世界に誇っていい公務員だと思うんです。

それを安倍さんの口から言ってもらいたいんです」

この言葉。自民党を支持し続けてきた遺族のこの言葉を、安倍首相はどう受けとめるのか? 

それでも「再調査はしない」と言うのだろうか?

あの頃の夫に言ってあげたいこと

 この本が発売される7月15日、赤木雅子さんの裁判が始まる。法廷での闘いが始まる。

雅子さんが読者の皆さまに寄せたメッセージをご紹介して、この本を締めくくりたい。

私は最後の一文に泣いた。

 夫は『 水戸黄門 』が好きでした。最後の「助さん、格さん、もういいでしょう」

という台詞を、寸分違わず黄門様と一緒に言う得意そうな顔が忘れられません。

 

 今の政権がもしドラマになるとしたら、大河ドラマではなく水戸黄門。

それも悪代官に安倍さん、越後屋役に麻生さんがしっくりきます。

じゃ、誰が黄門様なの? 政治家の誰か? 裁判官? もしかして文春?

「いつか正直者が勝つ」という黄門様が好きでした。夫も改ざんに手をつけていなかったら、

知っていることを公にして退職し、苦しいけど第2の人生を見つけられたかもしれません。

それなら、せめて夫の残した手記を公表したい。

亡くなった日、手記を見つけてから、ずっと思っていました。

 

 私は物事を深く考えることが苦手で、計画性もなく直感だけで生きてきました。でも直感には自信があります。夫のことをいちばん理解してくれそうで、大きな組織、嫉妬深い男の社会に

苦慮した大阪日日新聞の相澤さんに手記を託そうと決めました。直感はヒットしました。

手記は大きく報道され、訴訟をすることになり、真実を知りたいという再調査のお願いには

35万人を超える方が署名してくださいました。手書きの署名をしたいとご連絡もいただき

ましたが、お気持ちにお応えできず申し訳ありませんでした。また、全国の方から温かい手紙をたくさんいただき不安でいっぱいだった私に勇気をくださいました。応援してくださった

皆さま、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

こんな事になるなんて、あの頃の私たち夫婦には想像できませんでした。

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 ドラマの続き。現代の水戸黄門は実は安倍首相と麻生大臣で、密かに再調査を進めていた

という話になれば、もっといいドラマになると思います。期待薄とは思いますが。

 

 本を読んでくださった方の人生にも、色んなドラマがあると思います。

今、どうにもならないと思っていても、時間が経てば良い方向になることがあります。

 

 あの頃の夫にも、そう言ってあげたいです。

 

書籍『 私は真実が知りたい 夫が遺書で告発「森友」改ざんはなぜ? 』

雅子, 赤木 ,冬樹, 相澤          文藝春秋  2020年7月15日 発売

 

 

夫はなぜ死んだのか 森友問題公文書改ざん・自殺職員の妻が、

高知で語った2時間―ニュースを歩く 特別編

高知新聞社      2021.05.22 08:55

 

赤木俊夫さんの手帳を手元に置いて話す妻の雅子さん。

左手の薬指には俊夫さんの結婚指輪があった( 17日、高知新聞社=森本敦士撮影 )

 

 国有地の不透明な値引き売却が問われている「森友問題」を巡り、元財務省近畿財務局職員の赤木俊夫さん(享年54)が自殺して3年が過ぎた。妻、雅子さん(50)は公文書の改ざんを

強いられた夫の死の真相を求めて、国と佐川宣寿・元国税庁長官を相手に裁判を闘っている。

俊夫さんが改ざんの経過をまとめた文書「赤木ファイル」の公開を求めていた雅子さんに対し、国は提訴から1年以上たった今月、ようやくファイルの存在を認めた。真実はどこまで

明らかになるのか。雅子さんに話を聞きたいとコンタクトを取ると、雅子さん自ら高知へ

来ると返答があった。問題への理解を広めようと全国への旅を始めるという。

俊夫さんの素顔や自身の心境を約2時間にわたって語った。

新婚間もない頃の俊夫さんと雅子さん(大阪市内=雅子さん提供、画像を一部加工しています)

 夫の「トッちゃん」と出会ったのは1994年12月。私は地元岡山の高校を卒業し、

倉敷市の薬局に勤める23歳でした。職場の先輩が夫と同じ書道教室に通っていて、

「あなたにぴったり」と紹介してくれました。

 トッちゃんは八つ年上。当時、近畿財務局の和歌山事務所に勤めていました。

私をすごく気に入ってくれ、2度目に会った時に「結婚しよう!」といきなりプロポーズ。

私も彼に引かれて翌年6月に結婚しました。目には見えない引きつけ合うもの、

運命的なものがあったと感じます。

 多趣味な彼は、書道の道具や備前焼のぐい飲みを集めたり、落語を見に行ったり。

私の手帳を開いて、「この日は○○、この日は○○に行くからな」。どこでも一緒。

私の趣味は「赤木俊夫」になっていました。

多趣味だった俊夫さん。収集した書道用具を手にほほ笑む(神戸市内の自宅)

 

 声が大きく、明るくて、よく笑って。良いとか悪いとか、物をはっきり言う人。

私はそこが好き。子どもに恵まれず、夫婦2人だけの生活だけど、

けんかもほとんどせずに幸せな毎日だった。あの日までは。

人間が壊れていく
 2017年2月、森友問題が明るみに出ました。夫は深夜2時、3時の帰宅が続いていました。久しぶりに休みが取れた26日、岡山から遊びに来た私の母と3人で神戸市の梅林公園を

訪れていた時、夫の携帯電話が鳴りました。上司で統括の池田靖さんでした。
「統括が朝から休日出勤しとるけど『手が回らん。助けてくれ』と言ってる。行ってくる」。

そう言って夫は職場へ向かいました。まるで僕が助けに行くというふうに。

後で分かったんですが、あの日、夫は公文書を改ざんさせられたんです。

改ざんは3月7日にも行われていました。

 「僕は公務員として誇りを持っている」「僕の雇用主は国民なんです」

 生前、夫は親しい人にそう語っていたそうです。「改ざんには泣きながら抵抗した」

とも聞きました。あんなに明るかったのに、改ざんの後、夫は笑わなくなりました。

体調が悪くなるというより、赤木俊夫という人間・人格が徐々に壊れていったんです。

 夫はうつ病と診断され、7月から休職しました。「僕は犯罪者や」「内閣が吹っ飛ぶような

ことをした」と繰り返していました。幻覚や幻聴も現れました。「本省(財務省)の指示で

やったのに、自分でやったことにされる」と検察の捜査を恐れていました。
翌18年3月2日、朝日新聞の報道で改ざん問題に火が付きました。

私自身、夫が何に苦しんでいたのか初めて知りました。夕方、私が仕事から帰ると、暗い部屋の中で夫がぽつんと立っていました。テレビ画面には改ざん問題が映し出されていました。

「僕がやったんや…」。夫はそうつぶやきました。

 「死ぬ」。夜中、夫はロープを持って外へ行こうとしました。

「絶対にあかん」。私は足にしがみつきました。

 そんなことが毎日続きました。ある日、夫は私に馬乗りになって「おまえがおったら、

僕が死ねん。死んでくれないか」。そう言って私の首を絞めてきました。
抵抗はしませんでした。夫は優しいから、ぎゅっと絞めなかったんです。「寝よう。朝が来たら気分も変わるから」。私は必死に話しかけました。夫は一睡もできていなかったと思います。

 

私も2018年~体調が悪くなり、翌年の1月初旬~心療内科に受診をしたんですが、

院長先生から病名は聞けずに、病状が先生から言われても当てはまらなかったです。

あの三女が、あの子の体調不良を持って来ていたんです。プレッシャーや幻覚は2回くらい、

幻聴もありました。今は、その原因が分かりました 物申す パンチ!パンチ!パンチ!  星

 

だから、赤木さんが明るくポジティブな人が急にウツになるのは、あの姉妹があの娘の

ウツやプレッシャーを持って行き、最後は自殺願望を持って行き殺されたんです ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

 

人格が壊れていくのは、あの三女がコントロールして段々そうなって行ったんです。

そして、奥さんのように私はケンカで首を絞められたり、死んでくれと言われた時は、

本当にビックリしました。だから赤木さんも同じだと思いました プンプン パンチ!パンチ!

 
森友で「殺された」
 「ありがとう」。普段はこたつや布団から出てこない夫が、珍しく玄関まで

私を見送りに出てくれたのは3月7日の朝でした。
「何言ってるのー」。そのまま仕事へ出掛けたものの、気になって職場から

何度も夫にメールを送りました。午後4時を過ぎ、夫からの返信が途切れました。
急いで帰宅しました。ドアを開けると、夫は居間で首をつっていました。

中ぶらりんになった夫のベルトをつかみ、体を下から支えました。

のどを絞めるコードが少し緩み、空気が入ってゴボゴボと音がしました。
ああっ生きてる、と思いました。でも、はさみでコードを切ると夫は人形のように倒れました。この人は死んでいる。私はすぐ110番しました。森友で「殺された」と思ったから。

やがて救急車のサイレンが近づいてきました。

 私たちは毎日毎日、「誰かに助けてほしい」と言い続けていました。横たえた夫に私は声を

掛けました。「トッちゃん、やっと誰かが助けに来てくれるね、やっと楽になれるね…」

俊夫さんが自宅のパソコンに残していた「手記」のコピー

 

残された「手記」
 〈決裁文書の調書の差し替え(公文書改ざん)は事実です〉
 〈元は、すべて、佐川(宣寿)理財局長の指示です〉
 〈この事実を知り、抵抗したとはいえ関わった者としての責任をどう取るか、

ずっと考えてきました〉


 夫は死の直前、自宅パソコンに財務省の改ざんに関する「手記」を残していました。

死の翌日、近畿財務局の人たちが家にやって来て「(手記を)見せて」と言われました。

私は断りました。

 「(財務省が改ざんを認めるまで)あと1週間か2週間待っとったら死ななくても済んだ」

とも言われたんです。怒りがわきました。じゃあなぜ、生前に声を掛けてくれなかったのか。

夫は「自分だけのせいにされる」と独り苦しんでいたのに。

 「近財は赤木に救われた」と言う職員もいました。じゃあなぜ、みんな手を合わせに

来ないの? 私は麻生さん(麻生太郎財務相)に墓参りに来てほしかったのに、

そんな遺族の意向さえもねじ曲げられたんです。

 夫が手記に記した佐川さんにも2度、手紙を出しましたが返事はありません。

夫が信頼していた池田さんからも「もう会えない」と言われました。

財務省と近畿財務局には不信感しかない。

「赤木ファイル」の全面開示を訴え、全国を回り始めた雅子さん(高知市本町3丁目)

 

黒塗り許さない
 なぜ、夫は死んだのか。問題の真相、真実を知るには裁判しかないと決意しました。

20年3月、私は国と佐川さんに損害賠償を求める裁判を起こしました。

 「僕は自分がやってしまったことをメモに残している」「ドッジファイルにとじている」。

夫は生前、私にそう話していました。今、裁判で注目されている「赤木ファイル」です。
国は赤木ファイルの資料を黒塗りにすると言っているけど、私は絶対に許さない。

夫がどうして苦しんだのか、苦しみの深さがそれで分かると思うから。
夫が残した資料は国民の物です。国は夫が残した物の全てを公にすべきです。

もう二度とこんなことが起こらないよう、高知の皆さんにも注目してほしいです。

(構成=報道部・芝野祐輔)

〈森友問題と赤木ファイル〉国側6/23提出予定

 2016年6月、財務省近畿財務局は、大阪府豊中市の国有地を森友学園(大阪市)に

払い下げる際、地中の「ごみ撤去費」として鑑定評価額から8億円余りを値引きし、

1億3400万円で売却していた。

 この不透明な取引は17年2月に発覚。売却された土地に立つ小学校は、当時の安倍晋三首相の夫人、昭恵氏が名誉校長を務めており、夫人の関与や官僚の忖度(そんたく)が疑われた。

国会で追及された安倍首相は「私や妻が関わっていれば首相も国会議員も辞める」と答弁した。
18年3月、売却を巡る財務省の公文書改ざん疑惑が表面化。

同月7日、改ざんに関与させられた財務局職員の赤木俊夫さんが自殺した。

財務省はその後、17年2月以降に14件の文書を改ざんしたことを認めた。
当時、同省理財局長だった佐川宣寿・国税庁長官は改ざんを主導したとして辞任に

追い込まれた。佐川氏や同省職員らは土地取引を巡る背任や虚偽公文書作成などの

容疑で刑事告発されたが、大阪地検特捜部は全員を不起訴として捜査を終えた。

 20年3月、俊夫さんの自殺の真相を知りたいと願う妻の雅子さんは国と佐川氏に

計約1億1千万円の損害賠償を求め大阪地裁に提訴した。俊夫さんが改ざんの経過を

まとめた文書「赤木ファイル」の公開を国に求めてきた。
国側はファイルの存否を明らかにしてこなかったが、21年5月6日に存在を認めた。

6月23日の第4回口頭弁論で提出する予定。ただ、国側はファイルは俊夫さんが

個人的に作成した物で、職務上の行政文書ではないと説明。第三者の個人情報が

含まれているとして黒塗りなどのマスキングを行う考えを示している。

 

【2012年11月15日朝刊1面】

 野田佳彦首相は14日の党首討論で、今月16日に衆院を解散し、総選挙を実施する考えを

表明した。14日夜に首相官邸であった政府・民主三役会議では、12月4日公示、

同16日投開票と決定。東京都知事選と同日選になる。

 

この時、安倍さんが野田さんにしつこく迫り、急遽解散が決まりましたが、

あまりにも急だったので、まさか解散は無いと思っていたのが安倍さんでした パンチ!パンチ!

 

 

赤木さん妻「不意打ち、ひきょうだ」 政府、森友改ざん

真相究明させず 2021年12月16日 06時00分 東京新聞

今年7月、本紙のインタビューに答えた赤木俊夫さんの妻雅子さん

    今年7月、本紙のインタビューに答えた赤木俊夫さんの妻雅子さん

 

 公文書改ざんを強いられ自殺した財務省近畿財務局の元職員赤木俊夫さんを巡る訴訟で、

財務省は改ざんの詳細な経緯を明らかにしないまま突然の終結に持ち込んだ。

国が訴訟の仕組みを逆手に取り、真相究明への道をふさいだ格好。「不意打ちだ」。俊夫さんの妻雅子さんは本紙の取材に、説明責任を果たそうとしない財務省に憤りをあらわにした。

 

◆賠償急きょ受け入れ 裁判官騒然

 雅子さんによると、15日に行われた訴訟の進行協議で、損害賠償請求を受け入れる

書面を国が示すと、当日までそれを知らされていなかった裁判官を含めて騒然となった。

「あっけにとられた裁判官が別室に持ち帰り、手続きに違反はないことを確かめてから

(国の書面が)認められた」と振り返る。

 

 雅子さんがこの訴訟を起こした狙いは、俊夫さんの自殺の原因となった公文書改ざんの

詳細な経緯を国から説明させることだった。国はそれを拒んだ形で「国は国民に対しても

夫の死の原因についての説明責任がある。非公開の場で臭い物にふたをするようなやり方は、

ひきょうだ」と語った。

◆鈴木財務相も赤木さんのお墓参りに否定的

鈴木俊一財務相

鈴木俊一財務相

 

 鈴木俊一財務相は15日の会見で「改ざん指示への対応を含め厳しい業務状況に

置かれる中で自死に至った」と、指示と俊夫さんの死の因果関係を認めた。

鈴木氏によると、進行協議直前の10日に賠償請求を受け入れる方針について事務方から

相談を受け、13日に財務省として決定。14日に事務方を通じて岸田文雄首相に報告した。

首相からは「引き続き丁寧に対応し、真摯に説明を尽くすよう」指示があったという。

ただ、当時の関係者らの証言が法廷に出る前の幕引きについて、鈴木氏は「損害賠償訴訟で

国の非を認めたということだ」と答えるにとどめた。

 

 改ざんが行われた当時の財務相だった麻生太郎氏は、俊夫さんの墓参りに消極的だった。

雅子さんはこの日「鈴木大臣には夫の墓参りに来ていただきたい」と求めたが、その希望を

記者から伝えられた鈴木氏は、森友問題を巡る別の訴訟が続いていることを理由に

「慎重な対応が必要だ」として、前任の麻生氏と同じく否定的な考えを示した。(皆川剛)

 

 

元近畿財務局職員の妻、東京・望月記者とのトラブル言及

 

学校法人「森友学園」をめぐる財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題で、自殺した近畿財務局の元職員、赤木俊夫さん=当時(54)=の妻、雅子さんが11日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、東京新聞の望月衣塑子記者との個人的なトラブルに言及する場面があった。

雅子さんによると、望月氏とは改竄問題の取材を通じて知り合ったが、「今は一切、

連絡しても電話も取ってくれない」と明らかにした。その上で、「もう取材しないなら、

私が渡した素材は消してほしい。それを伝えたい」と訴えた。

トラブルは米動画配信大手ネットフリックスで世界同時配信されているドラマ「新聞記者」の

制作過程をめぐって発生した。ドラマは望月氏の同名著書(角川新書)が原作となっており、

望月氏は雅子さんに「『ドラマの撮影、芸能人来るから一緒に見に行こうね』というような

甘い言葉」で誘い、取材したという。だが、その後、交流サイト(SNS)のアカウントなども

削除されてしまい、連絡が全く取れない状況にあると説明した。

雅子さんは同日の記者会見に出席した記者団に対し、「ぜひ、望月さんにお会いする機会が

ありましたら、『赤木がぜひ直接、お話ししたい』ということを伝えていただければなと

思っています」と語り、〝音信不通〟となってしまった望月氏と再び連絡が付くよう

協力を呼び掛けた。司会者は「この会場にも東京新聞の方もいらっしゃると思うので

伝わると思う」と引き取った。

 

 

望月衣塑子記者が振り返るジャニーズ会見で、記者席から東山紀之社長へ質問した内容が

「楽屋で少年たちに電気あんまをした」と言っていたり変なことを言っていたと思ったら、

あの姉妹に言わされていたのは、分かっていましたが確信に変わりました 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

二審も敗訴の赤木さん「また見捨てられた気持ち」 

公文書改ざん訴訟 森下裕介 堀之内健史

  • 写真・図版 写真・図版

 

 学校法人森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題で、改ざんを強いられ、自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さん(当時54)の妻雅子さん(52)が改ざん当時、

同省理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)氏に1650万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審

判決が19日、大阪高裁であった。黒野功久裁判長は、請求を棄却した一審・大阪地裁判決を

支持し、雅子さん側の控訴を棄却した。雅子さん側は上告する方針。

 

 国家公務員が職務で損害を与えた場合、賠償責任は公務員個人ではなく、

国が負うとの最高裁判例がある。高裁は一審・大阪地裁判決を踏襲し、佐川氏についても

判例が当てはまると判断した。雅子さん側は、佐川氏が理財局長の地位を利用して改ざんを

指示しており、「民主主義の根幹を崩した今回のような場合まで責任を否定すべきではない」と訴えた。しかし高裁は、公務員個人に賠償責任を認めれば、国に比べて組織的な対応ができず、訴訟が大きな負担になると指摘。公務員への萎縮効果につながることから、最高裁判例は

不合理ではないとした。また、違法行為をした公務員個人への制裁は

「懲戒処分や刑事処分などでの実現が想定されている」とも述べた。

 

 俊夫さんは国有地売却問題が明らかになった2017年2月以降、対応に追われた。

当時の安倍晋三首相は国会で国有地売却について「私や妻が関係していたということに

なれば、首相も国会議員もやめる」と答弁。俊夫さんは理財局の指示で改ざんに関わり、

同年7月にうつ病と診断され、休職した。18年3月に公文書の書き換え疑惑を朝日新聞が

報じた5日後、自宅で亡くなった。

 

 雅子さん側は、佐川氏には改ざんの経緯を説明し、謝罪する義務があるとも訴えた。

高裁は「一人の人間として誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきだが、法的責任が

あるとまではいえない」とした。財務省は改ざん問題の調査報告書を公表した18年6月、

佐川氏を停職3カ月相当の懲戒処分としたが、「処分が不十分だったとしても、

公務員個人は賠償責任を負わないとの解釈を変更すべきではない」とした。

雅子さんの代理人弁護士は判決後の記者会見で、「無責任な言いぶりだ」と高裁判決を批判。

佐川氏側の代理人に今年11月、雅子さんの手紙を送ったが、返事がなかったことも

明らかにした。雅子さんは判決後、報道陣の取材に応じ、「また見捨てられたという

気持ちがした。夫が受けたつらい、つらい思いを考えると負けていられない。

裁判を続けるしか私には道が残っていない」と述べた。

 

 雅子さんは20年3月、国と佐川氏を提訴。国が21年12月に突如、賠償責任を受け入れて

終結させる「認諾」をしたため、佐川氏との訴訟が残っていた。(森下裕介、堀之内健史)

 

赤木さんが怖い!と言っていたり、人格が壊れて行ったり、うつなどの症状は、

あの姉妹が憑依して、いろんな感情をもってきたり、いろんな現象がでたり、

だいぶ精神的に追い込まれて、最後、自殺に持って行かれたんだと思います ムキー パンチ!パンチ!パンチ! 

頑張って納得行くまで戦ってほしいです。そして、これからは、自分らしく生きて

やりたいことをして楽しく生きて行ってほしいです 笑ううさぎ 虹

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

伊勢物語絵巻八一段(塩釜)



むかし、左の大臣いまそがりけり。賀茂河のほとりに、六条わたりに、家をいとおもしろく
造りて住み給ひけり。十月のつごもりがた、菊の花うつろひさかりなるに、紅葉のちぐさに
見ゆるをり、親王たちおはしまさせて、夜ひと夜酒飲みし遊びて、夜明けもてゆくほどに、
この殿のおもしろきをほむる歌よむ。そこにありけるかたゐおきな、板敷のしたに
はひありきて、人にみなよませはててよめる。
  塩竃にいつか来にけむ朝なぎに釣する船はここに寄らなむ
となむよみけるは。陸奥の国にいきたりけるに、あやしくおもろしき所々多かりけり。
わがみかど六十余国のなかに、塩竃といふ所に似たる所なかりけり。
さればなむ、かの翁、さらにここをめでて、塩竃にいつか来にけむとよめりける。

(文の現代語訳)
昔、ある左大臣(ひだりのおほいまうちぎみ)がいらっしゃった。賀茂川のほとりの六条
あたりに、家をたいそう風情たっぷりに作ってお住みになっていた。(陰暦)十月の末の頃、菊の花がうつろいつつもいまだ盛りを過ぎず、紅葉が色とりどりに見える折に、皇子たちを
お招きして、一晩中酒を飲んだのだった。そして、夜が次第にあけてゆくほどに、
この家の風情を褒める歌を皆で読んだ。その中で、そこにいあわせた乞食のような翁が、
板敷の下をはい回って、人々に歌を進めていたが、やがて皆が読み終わると、
自分は次のように読んだ。
  いつ塩釜にやって来たのだろう、朝凪の中で釣りをしている船よ、
こちらに寄ってきて欲しい
とまあ、読んだのだったよ。この翁がかつて陸奥を旅した折に、めずらしく面白い景色の
ところが多くあった。だが我が国の六十余州の中でも、塩釜というところは他に見る物が
ないくらいに面白い景色だった。かの翁は、この屋敷を改めて賛美して、これを塩釜に譬え、いつ塩釜に来てしまったのだろうと読んだのであった。

(文の解説)
●左大臣:この左大臣は源融のこと。嵯峨天皇の第十二皇子である、●十月のつごもりがた:10月の末頃、つごもりは月の末日をいう、●ちぐさに見ゆる:千種はさまざまな種類と言う
意味、ここでは様々な色合いというニュアンス、●おはしまさせて:おいでになっていただいて、●夜ひと夜:一晩中、●かたゐおきな:「かたゐ」は乞食のこと、乞食のようにうらぶれた翁という言葉で、業平を指している、●はひありきて:はい回って、●よませはてて:読ませ終わって、●寄らなむ:寄って欲しい、未然形についた「なむ」は願望をあらわす、
●よみけるは:読んだことよ、「は」は感動の助詞、●わがみかど:我が帝が治める国
というくらいの意味、●さらに:あらためて、

(絵の解説)
左大臣の邸の中の池を描いたのだろう。その池には船が浮かんでいるが、
それを業平は塩釜の海に浮かぶ船に譬えたわけである。

(付記)
左大臣源融の宴会に招かれた業平が、融の家を塩釜に譬えてその素晴らしさを歌い、
融にゴマをすったことを描いているこの節は、業平を「かたゐ翁」と呼んでいやしめている。恐らく大した意図はなくて、皇子たちに比べて業平の身分が一段卑しいことを強調したに
過ぎないと思われる。なお、源融の邸は河原の院と呼ばれて、融在世中から有名であった。
能「融」はそれを題材にした幽玄能である。


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