[2012年6月28日6時59分 紙面から] 日刊スポーツ
ニッポン放送とフジテレビの元アナウンサー塚越孝(つかごし・たかし)さんが、現在勤務
する東京・台場のフジテレビ社内のトイレで死亡していたことが27日、明らかになった。
57歳だった。26日夕方、トイレ内で首をつった状態で警備員に発見された。
近くに「ご迷惑をかけて申し訳ありません」などと書かれた遺書があったことから、
警視庁東京湾岸署では自殺とみて調べている。
同局によると、塚越さんは26日午後2時から同局の動画配信サイト「見参楽(みさんが!)」で流す「お台場寄席DOUGA」の収録を行う予定だったが、姿を見せなかった。
デスクにカバンがあったことから関係者が行方を捜していたところ、
トイレの個室で発見されたという。
親しい知人によると今年5月、学生時代の恩師の墓参りに参加後、仲間と近くの
カラオケ店に出向き、司会役も買って出るなど楽しそうな様子だったという。
知人は「悩んでいるようには見えなかった」。今年の年賀状には「定年後は大好きな落語に
絡む仕事がしたい」とつづるなど、第2の人生について、前向きに考えていた。
77年にニッポン放送に入社。同局看板番組「オールナイトニッポン」のパーソナリティー
などを務めた。快活なしゃべりと「塚越孝、つかでございます」のあいさつで人気を集め、
「つかちゃん」の愛称で親しまれた。ニッポン放送再編に伴い、06年4月にフジテレビ
アナウンス室に移籍、昨年6月の定期異動でクリエイティブ事業局クリエイティブ事業営業部の部長職に就いていた。最近まで、周囲に「現場で仕事がしたい」などと漏らしていたという。「私生活で悩みを抱えていたようだ」と話す知人もいた。
同局は、「突然のことで大変驚き、言葉もありません。非常に残念です。
ご冥福をお祈りいたしております」とコメントしている。
【補足】
捜査関係者によると、スカーフや電気コードのようなもので首をつり、トイレの床には
「ご迷惑をかけて申し訳ありません」などと書かれた遺書が置かれてあった。
25日は普段と変わらない様子を複数の人が目撃した。
午後6時45分ごろ、塚越さんがフジテレビ本社3階の男子トイレの個室で、天井...
男性がスカーフで首つり? 電気コードのようなものって、
警視庁の発表なのに、どっちなのかと思ってしまう
2004年頃、「つかちゃん」こと塚越孝さんはニッポン放送のラジオ番組で
韓流のごり押しをしていた。
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138 :名無しさん@13周年:2012/06/27(水) 11:02:32.99 ID:VKTywVjd0
ニッポン放送 「新しい一日のスタートに「塚越孝・朝刊フジ」!」
2004-12-17 15:31:06 | パク・ヨンハ
ヨンハはこういう方とラジオトークしていたのですね。
堀越さんの嬉しい!って表情が笑顔に出ています。
パク・ヨンハさん(32)が2010年6月30日午前、ソウル市江南区内の自宅で
首をくくった状態で死亡しているのが見つかった。(携帯電話の充電器のコードで)
この2人、同じ首吊りで亡くなっています。
それもヨンハさんの2年後に塚越さんが
( たまたま占い師の母の言葉を読んでいたら、韓流のことが書かれていました )
2人のご冥福をお祈りいたします。
「つかでございます」のあいさつで知られるニッポン放送の看板アナだった。
1977年に入社し、1年後に「オールナイトニッポン」(木曜2部)のパーソナリティーに
抜擢されて人気が急上昇。南こうせつの作曲で「塚ちゃん音頭」が制作されたほどだった。
86年には朝5時から「朝からたいへん!つかちゃんでーす」、その後は「塚越孝 朝刊フジ」など数々の人気番組を担当していた。
2006年4月にフジテレビアナウンス室に異動。BSフジでニュース番組などを担当し、
11年6月からはクリエイティブ事業局で事業営業部の部長職を務めていた。
古巣のニッポン放送では27日朝、塚越さんの訃報を伝えるとともに、在りし日の
塚越さんの番組をオンエアした。同局関係者は「今朝に知らされて驚いた。
川崎市出身で、同郷の先輩でもある玉置宏さんを敬愛していて、一番弟子を自認していた。
玉置さんと同じく落語や芸能などに造詣が深く、リスナーを大事にする人だった」と
早すぎる死を悼んだ。
◆塚越孝(つかごし・たかし)1955年(昭30)3月20日、川崎市生まれ。77年に日大芸術
学部放送学科卒業後、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。「オールナイトニッポン」
「朝からたいへん!つかちゃんです」などで人気者になった。フジテレビ移籍後はBSフジ
NEWSの日曜夜などを担当。落語に精通し、「権太楼の大落語論」「まむちゃんつかちゃんの
落語にラジオ」などの共著がある。千葉大国際教育センター客員教授なども務める。
視聴率急落フジに怪現象「トイレで自殺アナの泣き声が…」
記事投稿日:2012/11/15 07:00 最終更新日:2018/12/14 22:06
「深夜に男子トイレの個室に入ったら、どこからともなく”すすり泣く”声が聞こえたんです。
そのとき、全身に悪寒が走りました……」(フジテレビの番組スタッフ)
東京・お台場のフジテレビでいま、季節外れの幽霊騒動が持ち上がっているという。
問題の現場は、同局内の3階にある『V1スタジオ』近くの男子トイレだ。
深夜に、男子トイレに入ったスタッフが次々と怪奇現象に襲われているというのだ。
別の番組スタッフも、こう続ける。
「夜の12時過ぎくらいだったと思います。1人で小便をしていると背後に人の気配を
感じるんです。でも振振り返っても誰もいなくて……。本当にゾッとしましたよ」
実は、このトイレでは、今年の初夏に局を揺るがす事件が起きていた。
元ニッポン放送の人気アナウンサーで、同局のクリエイティブ事業局事業営業部部長の
塚越孝さん(享年57)が6月26日に自殺した。塚越さんは、この男子トイレの個室で
スカーフのようなもので首をつった状態で、発見されたのだ。
この事件以降、フジテレビは ”逆風” が続いている。トイレの近くの「V1スタジオ」で撮られて
いる朝の情報番組『とくダネ!』の視聴率は、事件直後から悪化し、現在は5〜7%台。
同じく同スタジオから放送しているお昼の情報番組『知りたがり!』は、ついに視聴率が
2%を割るまでに急落した。三田友梨佳アナとお笑いコンビのパンクブーブーが司会を
務めていたバラエティ番組の『ミタパンブー』は、打ち切りの憂き目にあっている。
「局内のスタッフは、『V1スタジオ』で撮られた番組の視聴率が落ち込んでいるのは、
”塚越さんの祟り” だと怯えています。これらの ”怪現象” が起きるのは、
このトイレで自殺した塚越さんの呪いだと」(フジテレビ関係者)
問題の男子トイレでは、すすり泣きや居るはずのない人の気配だけでなく、ほかにも
『電気が突然消える』といった声が、多くのスタッフから相次いでいるという——。
小倉智昭がフジテレビ批判!塚堀孝さんがなぜ自殺したのか語る
2013年7月6日
小倉智昭が盟友・塚堀孝さんの死を悼む
小倉智昭さんが塚堀孝さんの死について触れたのは、200人もの関係者が
出席した中野美奈子さんの送別会の締めの挨拶だったそうです。
< 以下引用 >
「小倉さんは、『僕の、ニッポン放送時代からの盟友 ”つかちゃん” が
とくダネのスタジオの横で亡くなった。それがとても悔しくて』とつらそうな
表情で話してしました」( 現場にいたフジテレビ関係者 )
< 週刊文春 >
塚堀さんは、フジテレビのアナウンサー室へ転籍後、アナウンス室専任部長になって
いました。これは栄転かと思いきや、実質的には、あまり仕事がなかったようです。
11年6月からはクリエイティブ事業局で事業営業部の部長職に就いてしました。
アナウンサーから離れたとはいえ部長職だし優遇されていたのでは、
と思っていましたが、やはりそういう問題ではなかったようです。
< 以下引用 >
小倉氏は挨拶の中で、その死因をこう推測したという。
「彼は、クリエイティブ事業局に飛ばされてから居場所がなかったと思う。
この間、フジの幹部に『ニッポン放送に対して厳しすぎませんか?』って
直接聞いたんだ。でも、『俺が決めたことじゃない』と返されたよ」
別のフジ関係者が語る。
「実際、ニッポン放送からフジへ移ったアナは冷遇されている。
他のアナウンサーも別部署へ異動した人が多い。塚堀さんもクリエイティブ事業部で
いろいろな仕事をさせたれて、堂々『ラジオへ戻りたい』と周囲にこぼしてました。
しかも彼が自殺したのは異動が発表された数日後でした」
< 週刊文春 >
小倉智昭、週刊文春の直撃に答える
< 以下引用 >
「彼は最初のテレビに来たとき『どこまでやれるか心配だ』とかなり悩んでいました。
アナウンサーは ”しゃべりの職人”。他部署へ行けば一から覚えることも多い。
つかちゃんも50過ぎてからの異動で、苦労はあったはずだし、
マイクを置く辛さはアナウンサーにしかわからないですから、それだけに残念です」
< 週刊文春 >
偶然にも、今日「徹子の部屋」のゲストが小倉智昭さん。そして、yahoo!ニュースで
神田川の印税のことで南こうせつさんが載ってしました
小倉さん、よくとくダネ!を観ていましたが、まさかこんな大病をされるとは・・・。
これからも夫婦仲良く、心身ともに健康でお仕事頑張って下さい
伊勢物語絵巻六九段(狩の使)
むかし、をとこありけり。そのをとこ、伊勢の国に狩の使にいきけるに、かの伊勢の 斎宮なりける人の親、つねの使よりは、この人よくいたはれ、といひやれりければ、 親のことなりければ、いとねむごろにいたはりけり。あしたには狩にいだしたててやり、 夕さりは帰りつつ、そこに来させけり。かくて、ねむごろにいたつきけり。 二日といふ夜、をとこ、われてあはむといふ。女もはた、いとあはじとも思へらず。 されど、人目しげければ、えあはず。使ざねとある人なれば、とほくも宿さず。 女の閨ちかくありければ、女、人をしづめて、子ひとつばかりに、をとこのもとに 来たりけり。をとこはた、寝られざりければ、外の方を見出だして臥せるに、 月のおぼろなるに、小さき童をさきに立てて人立てり。をとこいとうれしくて、わが寝る 所に率て入りて、子一つより丑三つまであるに、まだ何ごとも語らはぬにかへりにけり。 をとこ、いとかなしくて、寝ずなりにけり。つとめて、いぶかしけれど、 わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ち居れば、 明けはなれてしばしあるに、女のもとより、詞はなくて、 君や来しわれやゆきけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか をとこ、いといたう泣きてよめる、 かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひ定めよ とよみてやりて、狩に出でぬ。野にありけど、心は空にて、今宵だに人しづめて、 いととく逢はむと思ふに、国の守、斎宮の頭かけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜、 酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張の国へ立ちなむとすれば、 をとこも人知れず血の涙を流せど、え逢はず。夜やうやう明けなむとするほどに、 女がたよりいだす盃の皿に、歌を書きていだしたり。とりて見れば、 かち人の渡れど濡れぬえにしあれば とかきて末はなし。その盃の皿に続松の炭して、歌の末を書きつぐ。 又あふ坂の関はこえなむ とて、明くれば尾張の国へ越えにけり。斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御女、 惟喬の親王の妹。 ( 文の現代語訳 ) 昔、男があった。その男が、伊勢の国に狩の使として行ったところ、伊勢神宮の斎宮であった人の母親が、普通の使者よりもこの使いの男を大切にしなさいと(斎宮に)言ったので、 (斎宮は)母親の言いつけでもあり、たいそう丁寧に男の面倒を見たのであった。 朝には狩に送り出してやり、夕方に帰って来ると、自分のところに来させた。 かくて丁寧に面倒を見たのであった。二日目の夜、男は(斎宮に向かって)是非逢いたいと 言った。斎宮の方でも、絶対逢いたくないとは思っていなかったが、人目があるので、 逢うことがかなわなかった。男は使一行の長でもあり、離れた場所に寝床を取らせた わけではなく、女の寝床に近かったので、女は人の寝静まった頃、午後十一時ばかりに、 男のもとにやって来たのだった。男の方は、眠れぬままに、外の方を見ながら臥せって いたが、月の光のおぼろげな中に、小さな童を先に立てて、女が立っているのが見えた。 男はたいそううれしくなり、自分の寝床に女を導き入れ、午後十一時より翌朝の二時頃まで 一緒にいたが、一言も語らいあわぬうちに、女は帰って行ってしまった。 男は、たいそう悲しくて、その後眠れなかったのだった。朝方、気がかりではあったが、 こちらから使いを出すべくもなかったので、いらいらしながら心待ちにしていると、 夜が明けてしばらくして、女のもとより、詞書のない次のような歌が送られてきた。 あなたがいらしたのか、それとも私が行ったのか、どちらともわかりません、 夢だったのしょうか、現実だったのでしょうか、寝ていたのでしょうか、 それとも覚めていたのでしょうか これを読んだ男は、たいそう泣きながら、次のような返歌をしたためた。 真っ暗な心の闇に迷って、私にもわからなくなってしまいました、 夢か現実かは、今宵わたしの所へ来て確かめてください こう詠んで贈ったあと、男は狩に出たのだった。野を歩きまわっても、心の中はうつろで、 今宵こそは人を静めて、早く(女と)会いたいものだと思っていたのだが、国主兼斎宮 長官が、狩の使と聞いて、(男のもとへ)やってきて、一晩中宴会を行ったので、 もはや逢うこともできず、夜が明ければ尾張の国に出発しなければならぬので、 男は血の涙を流したが、どうすることもできなかった。ようやく夜が明けようというとき、 女の方から、盃の皿に歌を書いてよこしてきた。手に取って見れば 徒歩で川を渡っても塗れぬほどのはかない縁だったのですね と書いてあり、末の部分はない。そこで男の方で、盃の皿に続松の炭を使って、 末の句を書き継いだのだった。(それは) 再び逢坂の関を越えて逢いましょう というものだった。男は夜明けとともに尾張の国に旅立った。 この斎宮は水の尾の御時の文徳天皇の御女で惟喬の親王の妹でいらした方だ。 (文の解説) ●狩の使:鷹狩の勅使、諸国視察の目的を兼ねて遣わされた、●伊勢の斎宮:伊勢神宮に 奉仕する未婚の内親王、●いたはれ:大切にしなさい、●ねむごろに:丁寧に、 ●夕さりは帰りつつ:夕方帰ってきては、「夕さり」は夕方のこと、 ●いたづきけり:面倒をみた、●二日といふ夜:二日目の夜、●われてあはむ:是非逢おう、●いと逢はじとも思へらず:決して逢わないとも思っていない、●え逢はず:逢うことができなかった、「え~ず」で不可能をあらわす、●使ざね:使いの長、●子ひとつ:子の刻は午後11時から翌午前1時までの二時間、子一つはその最初の時間で午後11時のこと、 ●丑三つ:丑の刻は午前1時から3時までの二時間、丑三つ時は午前2時頃をさす、 ●何事も語らはぬに:何の話もしないままに、語るには話をするほかに愛を契りあうという 意味も含まれている、●つとめて:翌朝、●いぶかしけれど、気がかりであったが、 ●心もとなくて:心がいらいらして、●君や来し:あなたが来たのか、 ●我やいきけむ:私が行ったのだろうか、●かきくらす:真っ暗になる、くらすは「暗す」、●野にありけど:野を歩いても、●今宵だに、せめて今宵だけでも、●夜ひと夜:一晩中、 ●かち人:徒歩の人、●濡れぬえにしあれば:濡れないような浅い間柄であるので、 ●続松:松明のこと、●炭して:消し炭を用いて、●水の尾:清和天皇のこと、 ●文徳天皇の御女:恬子内親王、母は紀有常の妹静子 (絵の解説) 一枚目:男の寝ているところに、女が小さな童を先に立てて入ってくるところを描く 二枚目:女のほうから和歌を書いてよこした盃を、男が読んでいるところだろう (付記) 斎宮の母は紀有常の妹静子である。したがってその娘の斎宮は、業平の妻の従姉にあたる。 その従姉との間のこのようなロマンスは、いつの時点のことだったか、気になる所だ。 いつもありがとうございます。 最後までお読みいただき、ありがとうございました |