加山雄三の船の管理会社 出火当日にエアコン点検していた
[ 2018年4月2日 19:53 ] スポニチ
静岡県西伊豆町の港で、俳優で歌手の加山雄三が事実上のオーナーのプレジャーボート「光進丸」が炎上した火災で、出火当日に船内でエアコンなどの点検が行われていたことが2日、下田署への取材で分かった。同署は出火との関連の有無を調べる。
同署によると、船を管理する地元の船舶修繕会社の従業員が1日午後1時ごろから約1時間、船内で作業した。エアコンは、カビの発生を防ぐため常時稼働しており、点検でも異常はなかったという。
火災は1日午後に発生。出火当時、船は無人でけが人はいなかった。
下田署などは鎮火を待って、3日以降に現場検証し、出火原因を調べる。
加山雄三「光進丸」火災沈没に、くすぶる放火疑惑……
保険金をめぐる怪しい“伝説”も?
今月1日、俳優で歌手の加山雄三のクルーザー「光進丸」が火災で沈没。
消火活動が行われていた中で、集まった記者に加山は「自分の半身を失ったくらい
つらい」と話し、8日後に予定していた都内でのライブを中止にしたほどだが、
出火原因はまだ謎だ。
1983年から静岡県西伊豆町の安良里港沖に係留していたという船は、管理会社が
翌日の乗船に向け、出火当日の午後にボイラーやエアコンの電源を入れて稼働させたということから、電気系統のトラブルという可能性はあるが、2度の爆発音がしたと
いう人々の証言には「通常あり得ない」という専門家もいて、さまざまな臆測が
飛び交っている。一部では「放火」を疑う声もあるが、その場合、小舟で係留
ポイントまで行って船に上がらなければならず、そこまでして火を点けると
いうのは、かなりの労力だ。元海上保険会社の男性によると「よくあるのが、
古くなった船を所有者が燃やす保険金詐欺」だという。
「昨年、高松市ではプレジャーボートに放火し、保険金4,000万円を騙し取ろうと
した元海上保安官らが逮捕されたんです。仲間が所有していたボートに多額の保険金をかけて、自分たちで燃やしたんです。結局、建造物等放火や詐欺未遂で逮捕されましたけどね。イギリスだと、それを防止するための古い法律がいくつもありますが、日本はそれと比べると不十分さを感じるところもありますね。船は経年劣化で寿命
30年といわれますが、古い船の全損で保険金が下りれば、早い話、船を現金化する
ことができるんです」
光進丸は手入れが行き届いていたことで知られる一方、老朽化も進んでいたと
みられるが、まさか加山の船に限って、保険金詐欺とはあり得ない話だろう。
加山自身が我が子のようにかわいがっていた船であり、翌日にも乗船の予定が
あったほど。さらに光進丸は登記上、加山の所有ではなく、地元の造船会社のものだという話で、メンテナンスのために船にも出入りしている会社の人間が放火すると
いうのも、まず考えにくい。ただ、前出の男性によると、保険業界の間で
「加山の船」は、ちょっと知られた存在なのだという。
「保険が現在のように自由化される前は、保険業界にいろいろ取り決めがあったん
ですが、その頃、加山さんの船には、海上保険ではなく、家財などを対象とする
動産保険がかけられていたという話があるんです。本来、あれだけの大型クルーザーであれば高額な船舶保険の対象となりますが、光進丸の船体に強化プラスチックが
多用されていたことに目を付けた営業マンが、当時の規定に当てはめてボート扱いにして、動産保険にしたというんです。結果、安い保険料で契約を結んだという
伝説があります。加山さんの船は整備が優秀なので、安い保険料でも利益率が高く、
保険会社にとってはおいしい仕事だったはず」
それにしても、加山が「自分の半身」と呼ぶほど深い愛着を持つ船が、自身の所有ではなかったというのはなぜだろうか? ベテラン芸能関係者に聞いてみた。
「加山さんは昔、バブル絶頂期に手掛けたスキー場が大赤字になって数十億円の借金を抱えて、当時4億円といわれた光進丸を手放しているんです。本人はメンテナンス
会社に名義変更しただけと強がっていましたけど、その頃から加山はライブや
講演会を増やし、パチンコ台まで発売して必死に仕事をしてきたところを見ると、
買い戻したかったのかもしれません。そのせいか正直、金銭的には “ケチ” で、
約2年前には曲のゴーストライターだったアメリカ人作詞家から支払いを求められ、
報酬を渋っていたことが暴露されたりもしたんです」
愛船の火災という悲報に際して、そんな話が出てくるのは気の毒ではあるが、
加山は東日本大震災後、燃料不要の船「エコシップ」の建造を目標にすると公言していた。どこまで本気かは定かではないが、その意味では光進丸を失っても仕事への
モチベーションは維持できそうではある。 ( 文=片岡亮 / NEWSIDER Tokyo )
光進丸を自分の半身とも言っている加山雄三さんが、放火詐欺は絶対にない
この船の保険がどうなっているのか知りませんが、プラスチックが多用に使われて
いたのは、軽量化にしたかったのでしょう。そこに目を付けた保険営業マンが安い
保険契約を勧めた。整備が行き届いていたので、火災は心配ないだろうと思って、
この契約を結んだ。加山さんは借金が多かったので、ケチじゃなく倹約をして、
早く借金を返済しようとしていただけ。その先に、船を買い戻そうと考えていた
光進丸火災の実況見分結果について
5月8日午前10時より清水港にて、
静岡県下田警察署、下田消防本部、下田海上保安部、国土交通省運輸安全委員会の
立ち会いのもと、光進丸火災の実況見分が行われました。
下田警察署によりますと
『 実況見分結果について船舶内部からの出火であることは特定できたものの、
出火原因の特定には至りませんでした。焼損が激しいうえ、船舶が海中内に
水没したことなどから出火原因を明らかにすることはできませんでしたが、
事件性はないと判断しています。』とのことです。
今後解体作業に入ります。
皆様には多大なご心配とご迷惑をおかけいたしましたことを
改めて深くお詫び申し上げます。
株式会社加山プロモーション
TVニュースによると、ガスボンベが原因とか言っていたように記憶していますが
加山雄三さん 炎上した愛船「光進丸」への思いを激白
試練乗り越え新作に感謝込める
加山雄三さん 炎上した愛船「光進丸」への思いを激白
試練乗り越え新作に感謝込める
愛船「光進丸」を火災で失った歌手の加山雄三さん(81)が、36年間をともに
した相棒の喪失から立ち直りつつある。「残された者には果たすべき役割がある」と顔を上げ「光進丸」への思いを語る。
「励ますのが僕の役割」
加山さんが事実上のオーナーを務めていたプレジャーボート「光進丸」は
4月1日、係留していた静岡県西伊豆町の漁港で炎上し、水没した。
加山さんは、沖縄でコンサート中だった。
「相棒が消えていくのは本当につらい」。直後の会見では、沈痛な面持ちで思いを語っていた。しかし、今はこう言う。「辛いという気持ちは今も変わりません。
でも、辛い境遇でも頑張って生きている人はたくさんいらっしゃる。皆さんを
励ますために歌うのが、残された僕の役割だと思うようになりました」
燃えた光進丸は3代目で、昭和57年に進水式を行った。初代は39年進水で映画
「海の若大将」(40年)にも登場する。53年には「光進丸」という歌も発表している。海に囲まれた光進丸の上で加山さんは、気がおけない仲間たちとよくカラオケを楽しんだ。「船上のカラオケで僕が歌ったのは、ほとんど演歌。歌詞が聴きとり
やすくて心に染み入るような演歌が大好きなんです」と意外な思い出話も。
発声練習を兼ねて英語の曲を歌うことはあったが、「頼まれても(大ヒット曲の)『君といつまでも』などは歌いませんでした」と笑う。
加山さんにとって光進丸の上は、それほど私的な空間だった。
「海の上では、都会の音は一切ない。自分の好きなことができたんです」
船上で楽曲作り
もちろん海の上で曲も作った。6月6日に出したシングル「嘘よ」および
同時収録の「残り酒」は、ともに船上で作曲した演歌で、しかも燃えた光進丸が進水してほどなくしてできていた。両方の作詞を手がけた久野(くの)征四郎さんは、
実は当時の所属事務所スタッフ。光進丸で酒を酌み交わした際に久野さんが
書いた詩を目にした加山さんが、「その詩がすごく良い」と、その場で
ギターを手に取り曲をつけた。「その歌詞が伝わりやすいのは演歌だと思ったから、
自然とその旋律が頭に浮かんだ」
夢を失った者の哀愁を描く「嘘よ」は、平成29年に歌手の前川清さん(69)が
シングルとして出している。
この2曲は、27日発売のアルバム「演歌の若大将~Club光進丸」(ドリーミュージック)にも収めた。自作曲(弾厚作名義)のほかに「雪國」や「奥飛騨慕情」など、加山さんが光進丸で仲間たちとのカラオケで楽しんだ演歌も歌っている。
加山さんは、「僕の声は演歌向きではないけれど、気持ちだけは演歌をやっている
つもりでいます」とはにかむ。演歌中心の11曲からは「船上では演歌しか
歌わなかった」という加山さんの光進丸への愛情がひしひしと伝わってくる。
試練や困難に試されて
アルバムは、光進丸が炎上する前に企画した。ジャケット写真で加山さんは、
「Club 光進丸」というネオンサインの前でマイクを握って笑顔を見せている。
撮影は3月22日。10日後に船は燃えた。加山さんが光進丸で過ごした最後の日
となった。
タイトルやジャケット写真の変更も検討したが、光進丸への感謝の気持ちを
残そうと、そのままの形での発売を決めた。
加山さんは「試練や困難に耐えられるのかと、試されているように感じている。
耐える方法を思案しながら一生懸命に生きている」と今の心境を語る。
「最終的には自分の心の在り方がとても重要だと思う。
荒波に持ちこたえられるような大きな心でありたい」
大きな心。それは、光進丸のように人生の時化(しけ)を乗り越える。
(文化部 竹中文)
◇
加山さんは、6月16、17日、東京都千代田区の東京国際フォーラムでコンサート
「 ゴー!ゴー!若大将FESTIVAL 」を開催。
9月にはコンサート「演歌の若大将~今宵、Club光進丸へようこそ~」を、
大阪市天王寺区の新歌舞伎座(9月17、18日)、東京都中野区の中野サンプラザ・
ホール(9月28日)で開く。
加山さんは「お客さんが幸せを感じるようなステージにしたい。
皆さんに感謝しながら、一生懸命に歌うつもりです」と抱負を語る。
「演歌の若大将」大阪公演の問い合わせは、新歌舞伎座(電)06‣7730・2121。
東京公演の問い合わせは東京労労音府中センター(電)042・334・8471。
◇
加山雄三(かやま・ゆうぞう) 昭和12年、横浜市生まれ。35年に映画デビューし、翌年、歌手デビュー。同年公開の主演作「大学の若大将」が大人気で、「若大将シリーズ」が誕生。映画「エレキの若大将」(40年)の挿入歌「君といつまでも」が大ヒット。平成26年に旭日小綬章。現在、BS朝日の音楽番組「歌っていいだろう」の司会を務めている。
多額の借金返済、光進丸の炎上…加山雄三がそれでも
「幸せだなぁ」と言える理由
人生の荒波をくぐり抜けてきた「永遠の若大将」の幸福論
by Ryosuke Kamba
神庭亮介 BuzzFeed Japan編集長 / Head of Content
加山雄三が、海洋環境の清浄化を目指す「海 その愛基金 海洋環境クリーンプロジェクト」を発足させた。きっかけは、1年前に愛船「光進丸」が火災を起こしてしまったことだった。
九死に一生を得た漂流体験、役員を務めるホテルの倒産に借金苦…。
幾多の荒波を乗り越えてきた永遠の若大将は、4月11日に82歳の誕生日を迎える。
「幸せに思う心があれば、何やってたって幸せなんだよ」
ビニール袋で「餓死」するウミガメ
――3月に日本セーリング連盟とともに「海 その愛基金 海洋環境クリーン
プロジェクト」を立ち上げました。長年、海を見てきて、環境の変化を感じますか?
感じますね。肌で感じて、何かしなきゃいけないという気持ちをずっと持っていた。
ウミガメはクラゲと間違えてビニール袋を食べちゃう。お腹に入っても消化されずに溜まっていく。お腹いっぱい食べてるつもりなのに、食欲がなくなって餓死してしまうんだ。
クジラもそう。岸に打ち上げられたクジラの胃袋を調べてみたら、ビニールとかでいっぱいだったというケースもある。
しかも、ビニールは海水にもまれているうちに細かくなっていく。マイクロプラスチックという非常に小さい粒子になって、水のなかに溶け込んじゃうっていうんだから。その話を聞いた時はショックだったね。
このまま放っておいたら生態系が変わってしまう。我々人類にも影響が出てくることは間違いないよ。
光進丸の焼失がキッカケに
――もともと海洋環境に危機感を抱いていたわけですが、昨年4月に光進丸が火災で焼失してしまったことにも背中を押されたとか。
キッカケになったことは間違いないね。あれは天から警告をいただいたんだと解釈してる。
光進丸は非常に楽しい思い出を提供してくれた。だけど、これからは遊んでる場合じゃない。海に関して、いままで得てきたものを役立てる時だと。
海が、地球が汚染されていくなかで、自分の役割としてクリーンキャンペーンをできないか。そう考えたら、いても立ってもいられなかった。
セーリング連盟の河野博文会長に相談して、基金を設立することになったんだ。
コンサートとCD売上の収益の一部を積み上げて、役立ててもらおうと思ってる。
必要なのは、一人ひとりの意識改革。毎日生活しているなかで、どれだけの
ゴミが出ているか。そのゴミはどこにいくのか。
そういうことを、みんなで学んでいくべきなんだよ。
10日ぐらい記憶がない
――光進丸は加山さん自ら設計を手掛けていて、焼けてしまった3代目も、1982年から30年以上、苦楽をともにしてきました。ショックは大きかったのでは。
火災から10日間ぐらいの記憶がほとんどない。飛んじゃってる。
もう死んだみたいに寝込んじゃって。カミさんが心配してお医者さん呼んでくれて、点滴してもらって。それだけショックだったってことだね。
まず「なぜ」って思うよな。周囲に誰もいなくてよかった。でもだったら、なぜ燃えたんだろう…。考えているうちに、ああ船も年を取るんだなと。
人間で考えたら100歳を超えてる。無理もない。「私はこれぐらいで失礼させていただきます」って自ら命を絶っていったに違いないとか、そんなことを考えながら寝込んでいた。
全責任は僕のなかにある
――喪失感をどのようにして乗り越えたのですか。
それはやっぱり、みんなの優しさだね。光進丸は静岡・西伊豆の安良里漁港に停泊していたんだけど、漁師さんや消防署、海上保安庁、警察、近隣の人たちが消火に奔走してくれた。
造船所の社長や町の皆さんが「加山さん、大変だね」「船がかわいそうだ」って同情して、涙を流してくれて。みなさん一人ひとりに「ありがとうございました」って頭を下げたよ。
感謝をもって見送ってやらなきゃ、船も浮かばれない。光進丸はみんなを楽しませ、役割を終えて死んでいったんだ。
もとをただせば、すべての原因は自分にある。僕が設計しなければ、あの船はできなかった。自分の道楽でつくった結果、最後にあんなことになっちゃったんだから。
それを全部背負って、お世話になった方にはお礼を言い、迷惑をかけてしまったところは謝る。
全責任は僕のなかにあるんだと自分を戒めた時に、ようやくわかってきた。
物事を人のせいにしたら、乗り越えることはできないんだよ。
痛みを抱きしめて
――悲しみを引き受ける。
その通り。悲しみを引き受け、痛みを乗り越えることができたら、それ以上の力を与えてもらえる。
苦しみを乗り越えた人ほど、強く美しい。そこで人のせいにしてしまったら、
後から10倍になって押し寄せてくると思うね。
人間っていうのは、助力がなければ生きていけないの。周囲の人々の助力、
家族の助力、大自然による助力…。すべてに助けられて、僕は生きてる。
心臓、自分で動かしてますか? 意識してハアハア息してますか?
黙って、いつの間にかしてるでしょ。それは自然界がやってくれてるんだよ。
神という言葉でなければ「サムシング・グレート」と言い換えてもいい。
恐怖の漂流体験
――昔から、そういう考え方をしてきたのですか?
違う、違う。自然と戯れるなかで、自然の厳しさ、恐ろしさを知ったんだ。
実は大学2、3年生のころ、最初につくったモーターボートで3日間も漂流しちゃったの。伊豆大島を出て相当走って、本土とのちょうど真ん中へんでエンジントラブルが起きた。
燃料タンクだけは3つも4つも積んでたんだけど、水もない。食い物もない。無線もなければ、レーダーもない。
なぜか余った部品
――ヤバイじゃないですか。
ヤバイですよ。エンジンのフタを開けてひとつひとつバラして、掃除して組み立て直して。さあ、これでOKだ!って思ったら、部品が1個余ってるんだよ(笑)
エンジンかけても、ウンともスンとも言わない。もうダメだって、疲れ果ててボーッとしてるうちに夜がきてさ。また星がきれいなんだ。
朝起きて、もう一度イチから組み立て直そうとするんだけど、体力と気力がどんどん弱ってくるんだよな。
だんだんと誰か助けてくれないかな、船通れよって思考になってくる。
でも、通らないんだよね、こういう時に限って。
「水くれ、水、水!」
――絶対絶命。どうやって助かったんですか。
漂流3日目の午前中、じっくり見直したら余った部品をはめるところが見つかって。
最後に渾身の力でグッとやったら、エンジンがかかったの。
止まるな、止まるな。頑張れ、頑張れって、どんどん岸に近づいていったら
銚子でさ。これが本当の銚子っぱずれだよ。そこから自宅の茅ヶ崎へ向かって
岸沿いを走って。
東京湾を横断して、相模湾に入った時は、家の庭に帰ってきたような気持ち
だったね。全力でスロットル倒したまま突っ走って、そのまま上陸した。
「水くれ、水、水!」って言いながら家に駆け込んで。お袋が「あんた、どこ行ってたのよ」って聞くから、「漂流してたんだ」って答えたら、「バカだね」
で終わりだよ。
加山雄三さんの言葉尻が何故か「の」なのか?2回ほど、
そして、占い師の母が「一から頑張りなさい」と言っていたのは、この事
部品が1つ余って、最後の力を振り絞って完成でき、生還できたのは奇跡ですね。
それまでは、ボーっとしていたと。させられていた
人生に「まさか」あり
――そうやって九死に一生を得たのも「サムシング・グレート」?
守られている、という以外にないよね。ご先祖様かもしれないし、サムシング・グレートかもしれないし。
自分一人で生きてるわけじゃない。だからこそ生きてることに意味があるし、
もしかしたら、それぞれの役割があるのかなと。
人生、山あり谷あり。上り坂があれば、下り坂も「まさか」もあるんだよ。
負債総額23億円
――「まさか」と言えば、1970年に役員をしていたパシフィックパークホテルが倒産した時も大変だったのでは。
大変ですよ。あの年は激動の年だよね。お袋が死んで、会社が倒産して。経営していたのは叔父貴で、僕は「名前を貸せ」って言われて監査役についていた。
届出債権が43億円。仰天したよ。どんなことをやってもそんな金出てこない。法学部に通っていてよかったのは、その時に「会社更生法」ってあったはずだと思い出して。
それでどうにか一息ついたけど、手形とかを相殺しても最終的に負債総額23億円が残った。
名前ばかりの監査役だし、本当は関係ないんだよ。だけどホテルがあれだけ有名になったってことは、自分のせいだよな。人のせいにしたって何も解決しない。
「痛みを引き受ける」っていう考え方は、このころからかもしれないな。
人間不信よりもっとひどい
――周囲の人も次々に手のひらを返して。
チヤホヤしてた連中が1人去り、2人去り、いつの間にか誰もいなくなる。
人間ってこういうもんかと。人間不信よりもっとひどいな。人間に落胆したよ。
あんなにいいヤツだったのに、僕の言うことに何ひとつ耳を傾けてくれない。
そりゃないだろって。
その時に「寂しいのは、お前自身の心のなかにも同じ精神があるからだ」って、
自分に言い聞かせたんだよね。
祖母との修行の日々
――去っていった人が悪いんじゃないんですか?
去った人が悪いんじゃなくて、その人たちと同じ心が僕自身のなかにもある。自分だって去るだろうなと思ったら憎めない。そういう風に考え方が変わったんだよ。
高校の時、おばあちゃんと大雄山って山に行って座禅組んで修行したの。その時に「荷が重いんじゃない、自分の力が足りないんだよ」って言われたのを思い出したね。
おばあちゃんは日めくりカレンダーの格言か何かを見て言ったんだと思うけど。
妻と卵を分け合って
――借金返済に苦しんでいた時期に、奥さまと卵ひとつを分け合って、卵かけご飯を食べたという話は本当ですか? ちょっと想像がつかなくて…。
本当の話だよ。食うものないんだもん。
当時、カミさんのお母さんが四谷の割烹料理屋で働いていて、余り物にありつけるだろうって期待して店に行ったりもしてた。
そこのお客さんが「おう、加山雄三じゃねーか。この間の『落ちぶれ果てて』って曲いいな」なんて言うもんだから、いやいや『追いつめられて』だよって。
「似たようなもんじゃないかよ」って言われたら、「はい、すみません」って言うしかないよな。実際、そこで余った料理をちょっとずつもらって食ってたからね。
光進丸も差し押さえ
――光進丸まで差し押さえられて…。
3回ぐらい、国税局に行って交渉したもん。船って定期的に動かしてメンテナンスしないと、廃船になっちゃうから。
「週に1度は動かさなきゃダメになる。売ってお金を返すための差し押さえなのに、二束三文になったらどうするんですか。メンテナンスしてくれるんですか」と掛け合ったら、「じゃあ、ご自分でどうぞ」と。
それで、堂々と光進丸に乗れることになった。差し押さえの「赤紙」が貼られた上からサメの写真をベタッと貼ってね。
人間、切羽詰まって真剣に考えたら、アイディアが浮かんでくるもんなんだ。人任せにしてたら、こんなこと思いつかないよ。
結局、借金は10年で返しきった。
すべて自分の責任。嫌な経験だろうが、いい経験だろうが、僕がここに生きてるから起こる。
それを乗り越えられるかどうかっていうのは全部、自分自身にかかってるんだよね。
それでも「幸せだなぁ」
――加山さんと言えば「君といつまでも」の「幸せだなぁ」の名ゼリフ。様々な荒波をくぐり抜けて、いま幸せですか?
幸せです。幸せを幸せに思う心がなければ、幸せではない。僕はそう思う。
幸せは状況じゃない。状況だとしたら、常にほかと比較しなきゃならない。そうじゃないんだよ。自分が幸せだと思えれば幸せなんだ。
僕には家族がいる。子どもが4人で孫も4人になった。たった2人が8人に増えちゃうんだから不思議だよな。
すべては思う心ひとつ。心願っていうのかな。心の願いが大切なんだ。
この人を愛してよかった、それで幸せ。ケンカしたって幸せでしょ。幸せに思う心があれば、何やってたって幸せなんだよ。
〈かやま・ゆうぞう〉 1937年、神奈川生まれ。1960年、慶応大学法学部卒。映画「男対男」で俳優デビュー。翌年、「大学の若大将/夜の太陽」で歌手デビューも果たす。2017年、生誕80周年を記念して「加山雄三のすべて〜幸せだなぁ。ベスト&レア音源集〜」を発売。82歳の誕生日を迎える4月11日に、東京国際フォーラムで「若大将 フェスティバル 2019」を開催。6月5日には、岩谷時子作詞の楽曲を集めたベストアルバムとBOXセットをリリースする。
加山雄三 焼失した愛船と別れ「ろうそくを立てて送った」
歌手の加山雄三が82歳の誕生日を迎えた11日、都内で音楽イベント
「若大将 FESTIVAL2019〜君にありがとう〜」を開催した。
加山は昨年4月1日に静岡県の漁港で所有する大型クルーザー「光進丸」を焼失し、1年がたった。火災後は「10日間くらい寝込んだ。記憶がない」と改めて振り返った。
1981年に購入し、「人間で言うと105〜106歳。おばあちゃんだった。迷惑をかけたくないと、自分で命を絶ってくれた気がしてしょうがない」と感じたという。
愛船の“一周忌”を迎え、このほど「ろうそくを立てて送った。感謝をもって送り出した」と“お別れの会”をしたという。
光進丸には「いろんな方が来てくれた」と、シンガー・ソングライター山下達郎(66)、竹内まりや(64)夫妻などと過ごした思い出を懐かしんだ。
自身は82歳になったが、体調は「万全ではない」という。前日10日にも同イベントを開催したが、「声がバリバリだった」と明かした。
この日のイベントには5000人が来場。ラップグループ「スチャダラパー」のBose(50)がMCを務め、歌手の森山良子(71)、さだまさし(67)らが出演し、加山の名曲「君といつまでも」、船名が楽曲にもなった「光進丸」など21曲が
披露された。
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました