春畑道哉 (TUBE) のギターや身長! まとめ 【 一部抜粋 】
TUBEのギタリストの春畑道哉さんのプロフィールから使用しているギターや
身長などについてまとめてご紹介します。 春畑道哉さんはTUBEのほぼすべての
楽曲の作曲を行っており、また他のアーティストへの楽曲提供も行うなど
ギタリスト以外にも活躍されています。( 興味がある人は、ググって下さい )
春畑道哉さん
幼少の時に自らピアノを習いたいと言いヤマハ音楽教室に通っていましたが、
小学6年生になると「ピアノは女がやるもんだ、男は野球」という理由でピアノを
辞めてしまいました。 しかし、中学生の時にピアノが弾けるということで友人から
バンドに誘われピアノを再びし始めますが、舞台でのキーボードの位置が端という
ことで前方のギターがいいとギターに転身します。
高校の時に本格的にプロを目指し「バッキングM」を再編成し、オリジナル曲の
作成やライブ活動、そして数々のオーディションを受けていました。
その後、前田亘輝とその友人の角野秀行さん、角野さんの高校の後輩である
松本玲二さんの4人で「パイプライン」を結成、後に「The TUBE」と改称し
デビューしました。 春畑さんは、1990年以降はほぼ全てのTUBEの作曲を行い、
また他のアーティストへの楽曲提供も行っています。
1985年にベストセラー・サマーでプロデビューを果たすと、翌年には仲間たちと
事務所を立ち上げました。 アルバム「THE SEASON IN THE SUN」をリリースすると初のTOP5入りを果たし、トップアーティストの仲間入りを果たしました。
5thシングル「SUMMER DREAM」をリリースこの曲も大ヒットすると、
「TUBE=夏」というイメージが定着します。 その後もヒット曲を出していた
TUBEは、2004年韓国で日本語音楽が全面解禁になると日本人のアーティストでは
初めてソウルのスペシャルカウントダウンライブに出演しました。
その後もライブやシングルのリリースなどを行い精力的に活動しています。
TUBEインタビュー ソニー・ミュージックレーベルズ 2022.08.02
日本の音楽シーンで存在感を放ち、時代を超えて支持されつづけるレジェンド
アーティストをクローズアップ。 本人へのインタビューで、過去と現在の
活動を辿る連載「THEN & NOW 時を超えるアーティスト」。
今回は、デビューから37年の今年、恒例の横浜スタジアム公演の33回目の
開催を発表したTUBEから、ボーカルの前田亘輝とギターの春畑道哉が登場。
ライブバンドとしての活動が制限されたコロナ禍の現在から、
TUBE=夏のイメージに葛藤した過去まで遡り話を聞く。
前編では、ライブへの想いや最近始めたTikTokのこと、そして、
名曲「シーズン・イン・ザ・サン」発売当時のエピソードを明かす。
(写真左より)松本玲二(ドラム)、前田亘輝(ボーカル)、春畑道哉(ギター)、角野秀行(ベース)。 1985年6月1日、シングル「ベストセラー・サマー」で
「The TUBE」としてデビュー。 1986年に「TUBE」に改名後リリースした
「シーズン・イン・ザ・サン」が売り上げ60万枚を超えるヒットとなる。
1988年より、夏の横浜スタジアムでのライブが恒例となっており、
今年9月に33回目の公演が開催される。
無観客だと3曲やると疲れちゃう(笑)
――今年、デビュー37年のTUBEですが、9月3日に、3年ぶり、33回目の横浜
スタジアム公演が開催されることを発表しました。 それに先駆けたツアー “TUBE LIVE AROUND 2022 Emotional Summer” が、先日終わったばかりですね。
前田:昨年は、コロナ禍の影響で会場キャパの半分でツアーを回ったんですけど、
今年はフル。 その衝撃というか、「えっ、こんなに人がいるの?」っていう
圧みたいなものを久々に感じました。
春畑:でも、人がいるって良いですね。 横浜スタジアムが中止になったとき、
一度無観客の配信ライブをやったんですけど、それはなんかちょっと怖かったです。
前田:そうだね。 まるで、ウィル・スミスの映画『アイ・アム・レジェンド』
みたいで。
春畑:向こうで見てくれてる人がいると、いくら自分に言い聞かせても、
人のいないスタジアムの強烈さには困惑するばかりでした。
――無観客配信ライブはTUBEにとって大きな経験だったんですね。
前田:コロナ禍でなければやる気もなかったと思うんです。
それを慌ててやりだして、多少知識は得ましたけど、我々世代にとっては失ったものの方が大きかった気がしますね。 どちらかというと、そういう今ふうのやり方とは
乖離して生きていこうと決めていたところがあったので。 だからもう、
「チケットってどうやって売るの?」から始まって本当にてんやわんやでした。
春畑:僕自身も、あとで見ようと思って何とか自分で入ろうとしたんですけど、
結局わからなくて、息子にやってもらいました(笑)。
前田:この10年くらいの間にデジタル化に乗り遅れて、もうイイやと
思ってたことと向き合わざるを得なくなったんですよ。
でも、無観客だと3曲やるともう疲れちゃうんだよね(笑)。
春畑:ライブって、その場にいるお客さんの力をもらうからこそできるんだなと、
ただただ思いました。 「ああ、早くみんなに会いたい!」って、
あれほど思ったことはなかったです。
前田:改めて大切だなと気付いたことはいっぱいありましたね。 でも、
このコロナ禍においての新しいデジタルチャンス? みたいなものは掴めなかった。
デジタルチャンスとか言ってる段階でもうダメなんですけど(笑)。
そんなこんなで、今、慌ててTikTokを始めてるんですよ。
――TikTok拝見しました。 メンバーの皆さん、妙に緊張した面持ちですよね。
春畑:「TikTok始めさせていただきました」( おじぎ )みたいな感じです(笑)。
――それがすごくフレッシュで。
前田:いや、だって本当にフレッシュですから!
「これで良いのかな?」ってちょっと怯えながらやってるんですよ(笑)。
「画角からはみ出さないでください」とか「カブってます」とか叱られながら。
春畑:あの縦画面に4人が入るのが結構難しいんです。
前田:ま、メンバーそれぞれいろんなことを感じたんだと思うんですけど、
俺は本当に、右往左往した2年でしたね。 会ってセッションすることさえ
できなかったじゃないですか。 もちろん、技術的に一緒に奏でているような
感じにはできるんだけど、なんか違う。
春畑:一番最初にステイホームが始まって音楽も止まっちゃったとき、メンバーとLINEでやりとりして、なんとかファンの人に新たなものを届けたいよねということになったんです。 で、よくわからないまま僕はギターを弾いて前ちゃんに送り、そこに歌を乗っけてもらったものをミックスしてファンに届けた。 手探りの実験という
感じだったんですけど、正直、クオリティには全然納得できませんでした。
前田:「これ、デモテープだったらオーディションで落ちてるよな」って
話してたよね。 やっぱり目を見て、お互いその場で何かを感じ合ってないと、
自分たちの求めるクオリティには辿り着けないんですよ。
セッションというのは、そういうものなんだということも痛感しました。
――今年、ひさびさに横浜スタジアムのステージに立つのが、
なおさら楽しみではないですか?
前田:まず、大勢の人を見ただけで興奮しちゃうでしょうね。
たぶん俺は、オーバーペースで入っちゃうんだろうなと。
春畑:毎年、ハマスタが終わって初めて、「この夏もお疲れさまでした」って
なれてたんですね。 この2年間は、ずっと夏が終わらない感じだったので、
今年はリベンジします。
「夏立ちぬ」はTUBEの名作として残っていく曲
――6月22日に、1年ぶりにリリースされた新曲「夏立ちぬ」からは、
まさに “人と人とが生み出す大切なもの” ということをすごく感じました。
TUBEのライブの、アコースティックコーナーのムードを彷彿とさせる温かな音で、昭和のファンタジーといった歌詞も素敵です。
TUBE / 夏立ちぬ (Lyric Video)
前田:「そう言えば見かけなくなったよな」と思う夏の風物詩みたいなものを
挙げていき、それを時間軸的に通じるように並べ替えていっただけなんですけど、
なぜか染みますよね。 もちろん、聴く人によって感じ方はさまざまだと思うんです。 僕には僕なりの染み方があって、世代の違うスタッフに聞いたりすると、また違う
染み方がある。 こうやってコロナ禍の2年間を振り返ってみると、「夏立ちぬ」が
ここでできたのも、もしかしたら偶然じゃないかもしれないなという気がしますね。 お祭りをはじめ、とにかく人が集まるってことがなかったから。
そこを狙って作ったわけじゃないんですけど。
春畑:僕も、昭和の感じにしようと思ってメロディを作ったわけじゃないんです
けど、歌詞とサウンドが相まって、昭和レトロな、良い雰囲気に仕上がりました。
使ってる楽器数も本当に少ないんです。 ドラムの(松本)玲二は、アコギを
ひっくり返してリズムを叩いてますし。
――TikTokで見られる演奏風景のまんまなんですね。
前田:しかも、あれは玲二自身のギターなんですよ。
春畑:タカミネさん(高峰楽器製作所)が作ってくれた “松本玲二モデル”。
――そういうアプローチを玲二さんが選んだところにも、何かこの曲への想いが
表われている気がします。
前田:なんだろうね、あの曲。 レコーディングした曲はいつもは
大抵ミックスまでしか聴かないけど、「夏立ちぬ」は珍しく毎日聴いてるんです。
本当に毎日違う染み方をするんですよ。 ま、ひょっとしたら、
TUBEの名作として残っていく曲なのかもしれないね。
春畑:僕もいつもは完成しちゃうと聴かなくなることのほうが多いけど、
確かに「夏立ちぬ」は散歩のときも聴いてます。
前田:俺は、家に帰ってエアコンが効き始めたころにかけることが多い。
そうすると、さらにこう、涼しげな感じがするんですよ。
――曲作りにも何か変化が訪れているんでしょうか。
前田:そうかもしれない。 うまく言えないけど、「夏立ちぬ」は、
TUBEからファンへの、つたない手書きの手紙みたいな肌触りだなと思いますね。
“夏”と言われると、カチンとくることもあった
――さて、ここから時を巻き戻させてください。 TUBEのデビューは1985年。
翌年には「シーズン・イン・ザ・サン」が大ヒットしてブレイク。
当時のエンタメ業界というのは、バンドもミュージシャンもアイドルもタレントも、みんなごちゃ混ぜの華やかな世界でした。
前田:そのころのことで真っ先に思い出すのは、テレビでもラジオでも、
出演するためには新人は、すべてオーディションを受けなければいけなかった
ということなんですよ。
春畑:うん。 面白かった、オーディション(笑)。
前田:とにかくどこの放送局でも、行って1コーラスのパフォーマンスをして、OKとなって初めて曲をかけてもらえたり、番組のゲストに呼んでもらえたりするんです。
春畑:でも、「楽器は持ってこないでね」と言われて、「えーっ! 何するの?」
みたいな。
前田:そうそう。 しょうがないから、4人並んで、なんかステップ踏みながら歌って(笑)。
春畑:歌の途中で、「はい、もう大丈夫です」と言われて、
「大丈夫ってどういうこと?」と不安になったり。
前田:放送局側が、「ソニーミュージックからデビューしているからといって、
ウチらがプロと認定するかどうかは別よ」みたいな。
春畑:すごく覚えてるのが、当時大ブームだったウーパールーパーが
同じオーディション会場にいたこと。
前田:あっちは着ぐるみだからトイレで着替えてるんだけど、俺たちもちょうど
同じタイミングでトイレで着替えてたら、「あの歯磨き粉みたいな衣装ねぇよな」って声が聞こえてきて。
春畑:「あの縦縞、ダッセー!」って(笑)。
前田:逆に自分たちから飛び込みで、
生放送に出させてもらったこともありましたね。
――飛び込みで!?
春畑:「シーズン・イン・ザ・サン」をリリースしたてのころ、TUBEはワゴンで自走しながら、2週間で12カ所を回るという北海道ツアーをやってたんです(“夏まで待てない Sea-Side Vibration '86”)。 その最中に、「シーズン・イン・ザ・サン」が
1日ずつジワジワとチャートをあがっていってて、「あれ? 今日1位になっちゃう
じゃん、これ」っていう事態になったんですよ。 本当に漫画みたいなんですけど、
車で次の会場へと向かいながらラジオを聴いてたら、その地元の放送局のマークが
見えて、「あれじゃん!」ってなった。 これはもう出してもらうしかないとなって。
前田:「ウチらTUBEと言いまして、今、ちょっと売れかかってるんですけど」って飛び込んだんです。 警備のおじさんに「はぁ?」って顔されて、「受け付けに行って」などと言われながら(笑)。 でも、最終的に生放送に出してくれましたね。
春畑:向こうは半信半疑でしたけど(笑)。
前田:良い時代でしたね。 とは言え、そのチャートをあがっていく間は
ずっと北海道にいたので、何の実感もなかった。
春畑:本当に、メンバーが順番に運転しながらのツアーだったし。
前田:カーナビなんてないから、コンパスと地図を持って、「これ、間違えて
ねえか?」 なんて言いながら、民家で道を聞いたり、トイレを借りたりしながらね。
春畑:そうすると、地元の人たちが、新鮮な牛乳とかジャガイモとかを
「食べていきなさい」とくれるんですよ。 もうその牛乳が美味しすぎて、
みんなお腹壊すほど飲んでました(笑)。
――そのときは、どれくらいの規模の会場を回っていたんですか?
前田:ホールでしたよ。 ただ、ガッラガラ(笑)。
子どもがはしゃぎまわってて、ステージのほうにも走ってきちゃう。
でも、もう良いよ、好きにさせとこうという感じでした。
春畑:富士山が描かれた垂れ幕を開いてステージに出るという
会場もありましたね(笑)。
前田:そうそう。 「この垂れ幕は取れないんですよ」と会館の人に言われてね。
あと、会館の出演台帳みたいなのに「記帳してください」って言われるところも
あって。 パッと見たら、俺たちの前に来たのが「岸壁の母」の二葉百合子さん。
恐れ多いなと思いながら記帳した覚えがあります。
――「シーズン・イン・ザ・サン」が売れたという実感を味わったのは
どの段階でしたか?
TUBE『シーズン・イン・ザ・サン@横浜スタジアム(2013年)LIVE』
前田:北海道ツアーが終わっても、そのまま全国ツアーはつづいてたんですね。
その途中で、『ザ・ベストテン』への出演が決まった。 そこで感じたかな。
ただ、スタジオには行けず、中継でした。
しかも、コンサートホールからとかではなくて、商店街から。
春畑:見に来ていた人巻きから闇雲にパンチが繰り出されたりしましたね。
前田:そう。 握手かと思ったら、パンチ。
春畑:特攻服に旗の人たちもいましたし。
前田:テレビを見てた人は、演出かと思ったんじゃないかな(笑)。
中継は何が起こるかわからなくて、ドキドキ感がありました。
――そういったなかで、TUBEは “夏男” のイメージが定着していきました。
その見られ方に対しては、当時はどんな想いだったんでしょうか?
前田:「シーズン・イン・ザ・サン」、「SUMMER DREAM」(1987年)、
「Beach Time」(1988年)という夏の3部作を出したあと、ソニーミュージックの担当者と「このままで良いのか?」みたいな話はすごくしました。 アーティストイメージがスイカみたいなものだったから、音楽専門誌のインタビューとかがまったく
ないんですよ。 俺らは22、3歳の血気盛んなころだったので、そりゃ抵抗しました。
春畑:うん。 めっちゃ抵抗したよね。 TUBEは夏だけじゃないと思ってほしくて、
頑張って冬の時期に力作を出したり、ものすごい本数のツアーをやったり。
前田:夏が40本だとしたら、冬は70本とかやってたんじゃないかな。
“夏” と言われると、正直カチンとくることもありました(苦笑)。
ま、徐々に受け入れていきましたけどね。
――どこか面白みを感じるようにもなったんでしょうか?
前田:そうですね。 毎年、ソニーミュージックを含めてチーム一丸となって、
ひと夏の大プロジェクトをやるという感じになっていきました。
テレビ局、ラジオ局の宣伝担当の人はもちろん、当時は全国に営業所もあったんで、ツアーに行くとそこのスタッフと一緒に地元の有線局に菓子折り持って行ったり、
各地のレコード店へも挨拶回りに行きました。 とにかくすべてがアナログでしたね。
人と人が繋がってなんぼというところが。
春畑:「僕らでよければどこにでも会いに行きます」という感じでしたね。
前田:レコードのプレス工場でもライブやったよね。
俺たちいつも納品が遅くて、「すごく苦労をかけてるんだよ」とスタッフから
聞いていたので、工場の夏祭りがあると聞いて、「喜んで!」と。
――そうやって、TUBEを愛する人たちが増えていったんでしょうね。
前田:工場でこうやって作って、トラックのドライバーさんが運んでくれて、
お店の人が段ボールを開けて、店頭に並べて、売ってくれてるんだなというのが、
人とのふれあいのなかで見えてくると、俺たちの感謝の気持ちも増すんですよ。
春畑:ストリーミングですぐ聴ける今とは、全然違いますね。
後編につづく
文・取材:藤井美保
撮影:田中聖太郎
今年、TUBEがデビューをして39年、40年目なんですね
よく歌番組でTUBEを観ていました。車の中でも曲を聴いていました
あの当時、夏と言えばTUBEと言われていましたね。でも、良いバラード曲もあり
私は、そんなことあまり気にしなかったので
冬に曲を作ったりレコ―ディングをしたりしていたのでは?
広瀬香美さんがよく冬の曲を歌っていて、夏になるとレコ―ディングをしていると
TVで言っていたので、その逆かなと思っていました。
コロナ禍の時は、みんながスティーホームの時で、いろんなことを不便でしたね。
だから、みんながファンに向けて何かをしなければと思って、youtubuなどで
踊りや楽曲を一緒に歌ったり、その時にできることを精一杯していたと思います。
だから今、その時のことを振り返るとクオリティーが低い、納得できていないと
思うのは、やっと余裕が出来た証拠ですね
この事があってTikTokwを立ち上げ【 夏立ちぬ 】が出来て、
名曲になると良いですね。本当に、この経験を踏まえて、これからも良い曲を作ってファンに喜んでもらえる様に頑張って下さい。
純ちゃんに嫌な事をしてこないで! 咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。 トイレ関係も。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
TV等の撮影でスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存を止めて、人に嫌な事をしてこないで
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこない。トイレ等禁止
思考低下、頭を空っぽにしないで!仕事の邪魔や記憶障害にしない。 目の錯覚、
老眼近視、他人に言われたことを人に言わさない。心の中に持って来ない
ブログを書いている時邪魔しない!自分で考えて書いて。深夜に連絡してこない
負けず嫌いも程々に高圧的な態度禁止。口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、
散財させないで、調子づかないで、無理強いしないで
乗り物関係を運転時は邪魔をしない。中枢神経を触って来ない。頭を重くしないで!
人の感情やパワーを抑えない、唇を痺れさせない。人をコントロールしないで
マウントを取って来ない、過保護にしない! 頬を痛くしないで!あの母親のパワーが
胃の付に感じて、あの子が後ろに憑き、あの三女が遠隔でコントロールしてくるの
止めて!あの親子、両依存水晶を使って人を脅さない。個人情報保護法、
プライバシー侵害しない! 日本には言論や表現の自由がある
その力、仕事以外に使わないで人の為に使って、決して悪いように使わないで。
全責任は、お母さん達に取ってもらう。 もちろん本人にも取ってもらう!
長女のパワーを使わない! 上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました