2023/4/17 17:14( 最終更新 4/18 17:54 )
福知山線脱線事故は2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線で、快速電車が
脱線して線路脇のマンションに激突し、乗客106人と運転士1人(当時23歳)が死亡、562人が重軽傷を負った列車脱線事故である。事故の原因について、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(当時)は「運転士のブレーキ使用の遅れ」と推定した。
安全対策をめぐり、JR西日本の歴代社長4人の刑事責任が問われたが、
いずれも裁判で無罪が確定した。
事故概要
事故名 | JR福知山線脱線事故 |
発生日時 | 2005年4月25日午前9時18分ごろ |
場所 | JR福知山線 塚口―尼崎間(兵庫県尼崎市) |
被害者 | 乗客の男女106人と運転士(当時23歳)が死亡、562人が重軽傷 |
特徴 | JR西が、仕事でミスをした運転士らに「日勤教育」と呼ばれる 過酷な再教育をしていることが事故の背景にあったとの指摘も出た |
事故は05年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口―尼崎間で起きた。7両編成の快速電車が、制限速度70キロの右カーブに時速約116キロで進入。1~5両目が脱線し、1、2両目が線路脇のマンションに激突した。
事故調の報告書によると、乗客106人と運転士1人の計107人が亡くなり、562人が負傷した(神戸地検が認定した負傷者は485人)。犠牲になった乗客106人のうち、
事故当時乗っていた車両を特定できなかった4人を除く102人が1~3両目にいた。
事故調は原因について、運転士のブレーキ使用が遅れたため、快速電車がスピード
オーバーの状態でカーブに進入し脱線したと推定。また、ミスをした乗務員への
懲罰的な再教育である「日勤教育」など、JR西の運転士管理方法が関与した
可能性があるとも指摘した。
神戸地検は09年7月、JR西の山崎正夫元社長を業務上過失致死傷罪で在宅起訴
した。山崎元社長のほか、歴代社長3人についても遺族による検察審査会への
申し立てを受けて同罪で強制起訴したが、いずれも無罪が確定した。
被害の状況
脱線した先頭と2両目の車両が激突したマンションは、カーブに差しかかって
間もない線路脇に建っていた。先頭車両は線路から完全に飛び出し、マンションに
ぶつかった衝撃で、2両目と共にほぼ「く」の字に折れ曲がった状態で止まった。
3両目は線路をまたぐようにレールから外れ、4両目も線路から右に飛び出した。
現場周辺は住宅や工場の密集地だった。事故現場のカーブには、
自動列車停止装置(ATS)が設置されていなかった。
事故調の報告書には乗客の口述も盛り込まれ、事故当時の様子が明らかとなった。
1両目に乗車し、骨盤骨折の重傷を負った男性は「『 フワ 』と傾いた時、後ろから
落ちてきた感じで、人が自分にぶつかった。車内はまるで洗濯機のような状態で、
砂袋でぶたれるような感じだった」と語った。
1両目に乗車し、両足切断の重傷を負った男性は「気が付いたら運転席の後ろのガラス窓を突き破って体が飛ばされ、運転席の機器の上に体が乗っていたように思う。
救助されたのは、22時間後だった」と証言した。
事故原因
なぜ運転士は制限速度をオーバーして走行し、ブレーキをかけ遅れたのか。
事故調によると、運転士は事故直前に伊丹駅で約72メートルオーバーランして
いた。その際、車掌にオーバーランの距離を過少報告するよう車内電話で依頼した。車掌は「だいぶと行ってるよ(ずいぶん行き過ぎているよ)」と答えるとともに、
乗客対応のため運転士との会話を途中で打ち切った。
車掌は総合指令所に列車無線でオーバーランを「8メートル」と虚偽報告した。
その約34秒後、運転士は時速約116キロでカーブに進入し、脱線事故を起こした。
事故調は運転士のブレーキ使用が遅れた理由について、①オーバーランの虚偽報告を求める車内電話を切られたと思い、車掌と輸送指令員との交信に特段の注意を
払っていた②日勤教育を受けさせられることを心配して言い訳を考えていた――
ことなどから、注意が運転からそれたためと推定した。
虚偽報告を求めた背景には、JR西がミスをした運転士に普段から懲罰的な
再教育制度である日勤教育や、懲戒処分をしていた社内風土があったと指摘した。
運転士は事故以前に3度、日勤教育を受けていた。
友人には「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで意味が分からない」
「その間の給料がカットされ、本当に嫌だ」と話していたという。
事故調は日勤教育について「一部の運転士には、運転技術向上に効果のない
ペナルティーと受け取られていた」「実践的な運転技術の教育は不足していた」と
指摘した。
事故調の報告書を巡っては、07年6月の公表前、事故調の山口浩一・
元委員が山崎元社長に報告書の案を渡していたことが発覚した。
山崎元社長はATSに関する報告書案の記述について「後出しじゃんけんであり、
表現を柔らかくするか削除してほしい」と要求。これを受け、山口元委員は
事故調の委員会の席上、「後出しじゃんけんにあたるのでいかがなものか」と
発言していたという。
山崎元社長は「事故調の調査に全面的に協力する中で、調査状況を把握し、
迅速に対応するとの思いから報告書案などを事前にもらった。
軽率で不適切な行為であったと反省している」と謝罪した。山口元委員は
「安全対策を積極的に推進する姿を見て助けたかった」などと釈明した。
山崎元社長の裁判
神戸地検は09年7月、事故を予見できる立場にありながらATSを設置しなかった
過失があるとして、山崎元社長を業務上過失致死傷罪で神戸地裁に在宅起訴した。
山崎元社長は、JR西の安全対策を一任された鉄道本部長在任中の1996年~98年、①事故現場カーブを半径600メートルから304メートルに半減させる工事
②JR函館線のカーブでの貨物列車脱線事故 ③ダイヤ改正に伴う快速列車の増発――
により、現場カーブで事故が起きる危険性を認識していたにもかかわらず、
ATSの設置を指示せずに事故を起こさせたとして在宅起訴された。
山崎元社長のほかにも運転士らJR西の関係者9人が書類送検され、歴代3社長も
遺族に告訴されたが、神戸地検は山崎氏以外の12人については不起訴処分とした。
運転士は容疑者死亡が理由で、他の11人は事故を予見できなかったとして
容疑不十分と結論づけた。
山崎元社長の裁判は10年12月に神戸地裁で始まった。山崎元社長は「106人の
尊い命を奪い、多くの人にけがをさせた。おわび申し上げる」と謝罪する一方、
起訴内容については「危険性の認識などの指摘は事実と全く異なる」と全面否認し、無罪を主張した。
弁護側は「鉄道業界では当時、カーブの安全対策は余裕のある制限速度を設け、
速度順守は運転士に委ねるのが常識で、カーブにATSを急整備すべきだとの
規範意識はなかった」と主張した。山崎元社長には、危険性の認識も事故の
予見可能性もなく過失はなかったと述べた。
これに対して検察側は冒頭陳述で、山崎元社長が安全対策室長だった93年、
東海道・山陽線のATS設置を巡り、経費削減のために重要度の低いものを
減らす検討を指示した ▽その際、カーブでの速度超過による事故の危険性について
報告を受けていた――などと指摘した。
当時は運転士の人為的ミスが多発し、設備面で補うのが業界の常識だったうえ、JR函館線事故などの報告も受けており、予見可能性があったのは明らかだったと述べた。
裁判では、事故で家族を失った遺族らが意見陳述した。事故で全身を38針縫い、
左足を複雑骨折した西尾和晃さんは陳述書を検察官に託した。
「長い長い将来に(わたり)障害を負った。どんなに頑張っても元通りにならない」と無念の思いを吐露し、「ATSの設置は、責任者としての義務ではないか」などと
山崎元社長の責任に触れた。
事故で18歳の次男を失った上田弘志さんは「『正直に話すことが償いになる』と
約束したのに、つじつまの合わない証言をしていますが、それが償いですか」と
語りかけた。
23歳の長女を亡くした大森重美さんは「この大事故が運転士1人だけの
責任ということになれば、司法の限界が見えたということになる」と訴えた。
裁判にはJR西や同業他社の関係者、鉄道専門家らが証人出廷した。
山崎元社長の元部下に当たる当時の社員らは、カーブの危険認識を認めた捜査段階の供述を法廷で次々に覆し、「カーブの危険を感じたことはない」などと証言した。
神戸地裁は12年1月、山崎元社長に対して無罪(求刑・禁錮3年)の判決を言い渡した。事故の予見可能性について「JR西に多数存在するカーブの中から、
現場カーブの脱線転覆の危険性を認識できたとは認められない」と指摘した。
一方、JR西の組織としての責務について「カーブでの転覆リスクの解析や
ATS整備のあり方に問題があり、大規模鉄道事業者として期待される水準に
及ばないところがあった」と述べた。
その他、カーブの工事について「半径304メートル以下のカーブはかなりの
数存在している」とし、ダイヤ改正も「列車が脱線転覆する危険性を高めた
ものとは認められない」と判断した。さらに、函館線脱線事故は「閑散区間の長い
下りで貨物列車が加速するに任せて転覆した事故で、本件事故とは様相が異なる」
として、危険性認識の根拠とは認められないとした。
ATS設置については「当時、義務づける法令はなく、カーブに整備していたのは
JR西を含む一部の鉄道事業者のみだった」とし、現場カーブで個別に整備
すべきだったとの検察側の主張を退けた。
地裁判決を受けて、遺族らは神戸地検に控訴を申し入れたが、地検は「全証拠を
精査し、控訴しても認定を覆すのは困難との結論に達した」として控訴を断念した。
<判決の骨子>
・山崎元社長が、事故現場カーブで速度超過による脱線事故が起きる
危険性を認識していたという証拠はない
・山崎元社長が、事故を回避するため現場カーブにATS整備を
指示すべきだったとまではいえない
・JR西にはカーブでの転覆リスク解析などで問題もあったが、山崎元社長が
事故を予測できなかったとの判断は変わらず、山崎元社長に過失はない
歴代3社長の裁判
山崎元社長のほかに、JR西の歴代3社長も業務上過失致死傷罪で強制起訴され、
最高裁まで争われた。
起訴されたのは井手正敬・元会長、南谷昌二郎・元会長、垣内剛・元社長。
遺族が09年、井手元会長ら3人を神戸地検に告訴。地検は「安全対策を鉄道本部長に一任しており、事故を予見できる立場ではなかった」として不起訴処分にしたが、処分を不服として遺族らが審査を申し立て、神戸第1検察審査会は「起訴相当」と
議決した。地検は同年に改めて不起訴とし、検察審査会が10年、強制力のある
起訴議決をした。
3人は、脱線事故が起きる可能性を予見できたのに、ATSの設置を指示しなかった
として起訴され、12年7月に神戸地裁で裁判が始まった。
3人はいずれも「事故が起きると想定できなかった」と述べるなどして、無罪を主張
した。神戸地裁は13年9月、「カーブが数多くある中、現場カーブで速度超過による列車の脱線転覆事故が起きる危険性を具体的に予見できたとは認められない」として無罪(求刑・禁錮3年)を言い渡した。15年3月、2審・大阪高裁も1審判決を支持。
最高裁第2小法廷も17年6月、上告を棄却する決定を出し、判決が確定した。
JR西日本の対応
JR西は事故後、安全技術の導入や社員教育に力を入れた。脱線事故では、
現場カーブの手前にATSが設置されていなかったことが問題視された。
JR西は06年3月までに1234カ所にATSを設置し、進路を切り替える「分岐器」
(ポイント)などでも1000カ所以上に設置した。
07年には、大阪府吹田市の研修センターに「鉄道安全考動館」を開設した。
事故現場の模型や被害者のメッセージを展示し、過去の鉄道事故について
学ぶことができる内容にした。
18年には、事故現場に慰霊施設「祈りの杜(もり) 福知山線列車事故現場」を
整備した。慰霊碑のほか、手紙などを展示した「追悼の空間」や、資料を展示する「事故を伝える空間」を設けた。このほか、事故車両を吹田市で建設予定の
専用施設に保存する方針も示している。
一方、社員の世代交代による事故の風化も懸念されている。グループ会社などを
除いたJR西の社員のうち、事故後に入社した従業員が20年4月時点で約1万4150人に上り、初めて半数を超えた。JR西労組が同年1月に実施したアンケートでは、
「事故の風化防止を意識している」と回答した社員が全体の約75%を占めた。
遺族の取り組み
事故から2カ月後の05年6月、遺族らは「4・25ネットワーク」を結成した。
①事故の原因究明②悲しみを語り合う③JR西の企業責任追及④公共交通機関の安全を考える⑤JR西との交渉の情報交換――を目的に、月1回の例会などを開いてきた。
14年には、事故を起こした企業への処罰を研究する「組織罰を考える勉強会」を
設立。16年には事故を起こした企業に刑事罰を科す法制度の実現を求める
「組織罰を実現する会」が発足した。
長女(当時23歳)を亡くした大森重美さんは「企業の幹部が責任を逃れられないようにしなければ、安全な社会にならない。娘の死を無駄にしたくない」と話している。
-
【写真特集】JR福知山線脱線事故現場「生」の文字
「次ミスしたら辞めさせられる」運転士の焦り、
歯車が狂い始めた事故25分前尼崎JR脱線、報告書で振り返る
2023/4/24 19:30 神戸新聞NEXT
事故現場付近を通過するJR快速電車の運転席。衝突したマンション(奥)は
目前に迫る=2010年4月25日午前9時13分、尼崎市久々知
脱線してマンションに衝突し、大破した車両2005年4月254月25日、尼崎市
マンションに巻き付くように、「くの字」型に大破したJR宝塚線の快速電車の2両目。1両目はマンションの立体駐車場に潜り込んで見えない2005年4月254月25日、
尼崎市久々知
脱線した車両。事故から2日が過ぎても現場は騒然としていた=2005年4月27日
午前10時32分、尼崎市潮江4
大破した車両から、負傷した乗客を救出するレスキュー隊員ら=
2005年4月25日午後12時6分、尼崎市久々知3
「変わった様子はなかった」。彼の家族や同僚はそう口をそろえた。事故前日、
当日の朝についても。乗客106人が死亡し、493人が重軽傷を負った尼崎JR脱線事故で、死亡した男性運転士=当時(23)=は乗務中に何を思い、電車を暴走させたのか。25日で丸18年になるのを前に、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会
(事故調委)の報告書などから直前の経緯を改めて振り返る。
■〈 8時9分 京橋駅、50秒の遅れ 〉
午前8時9分50秒ごろ、男性運転士は京橋駅から当時44歳の男性車掌を乗せ、
7両編成の尼崎駅行き普通電車を出発させる。既に定刻より50秒ほど遅れていた。
その2時間前の午前6時8分、森ノ宮電車区放出(はなてん)派出所で点呼した
係長は、男性運転士の様子について「特に異常は感じなかった」と証言する。
京橋駅からの出発遅れは、直前の松井山手駅発京橋駅行きの区間快速で、
混雑による遅れが徐々に拡大したためだった。
走り始めた普通電車はその後も各駅を45~50秒遅れで出発し、加島駅直前の
左カーブに差しかかる。その時、速度超過を感知するATS(自動列車停止装置)が
働き、運転室に警報音が鳴り響いた。ブレーキをかけるもATSの自動ブレーキが
先に働いて減速し、ほぼ制限速度の65キロで曲線に入った。
運転士は事故5年前の2000年4月、JR西日本に入社している。家族は
「4人兄弟の中で一番明るい。新幹線の運転士になるのが夢と言っていた」と話した。
友人らは「落ち込んでいるところを人に見せない」「スノーボードなど、
器用に何でも無難にこなす」という印象を持っていた。
その4年後の04年5月に京橋電車区所属の運転士になり、運転技量審査は
平均点よりやや上。勤務評価では平均を大きく上回っていた。
ただ、運転士になって直後の6~7月、片町線放出駅で停止位置を約4メートル通り
過ぎ、同線下狛駅で約100メートル行き過ぎるなど、3度のオーバーランをした。
これは「日勤教育」と呼ばれる懲罰的な研修の対象となった。
脱線事故は、その後1年足らずで起きる。
■〈 8時53分 宝塚駅、非常ブレーキ再三始動 〉
京橋駅から尼崎駅に着いた普通電車は8時31分ごろ、回送に切り替えて宝塚駅へ
向かう。そして到着寸前の8時53分ごろ、男性運転士の歯車が狂い始めた。
レールの分岐に近づき、速度超過を知らせるATSの警報音が運転席に鳴る。
ブレーキをかけても減速しきれず、25キロオーバーの65キロで通過すると、
大きく車体が揺れた。続いてATSを解除しなかったことで非常ブレーキがかかり、
電車は駅手前で急停車した。
本来は輸送指令に報告しなければならない事案だった。しかし、彼は連絡せずに
解除して走り出すと、今度はATSの誤出発防止機能による非常ブレーキが作動して
しまう。結局、定刻より44秒遅れて8時56分14秒、停止位置に止まった。
回送電車は宝塚駅で折り返して尼崎行きの快速電車になるため、
運転士と車掌が1両目と7両目を入れ替わる。ただ、彼はなぜか座ったまま、
しばらく席を離れなかったという。何を思っていたのだろう。
事故調委の報告書は、それまでに経験した「日勤教育」への重圧に
さらされた可能性を示唆している。
周囲の人々は取材にこうも答えていた。前年に運転ミスをした後、彼は「悔しい。もう絶対にオーバーランはしない。絶対だ」と言って、同僚の前で涙を流したという。そして指導中は乗務を外され、延々と続くリポート作成、浴びせられる罵声…。期間は13日間に及んだ。
オーバーランや到着遅れなどのミスをした運転士らに課される日勤教育について、JR西のある幹部(当時)は「集中力不足などのミスを自己分析させ再発防止につなげるため」としつつ「(会社と対立する)特定の労組対策だった」と打ち明ける。
一部の運転士は技術向上に効果のないペナルティーと受け取っていた。
彼は研修を受けた後、親しい知人らにこんな不満をこぼしていた。「トイレへ行く
にも断らねばならない」「社訓を丸写しするだけで、意味が分からない」
「給料がカットされ、本当に嫌」。知人の女性にはこうも漏らしていた。
「今度ミスをしたら、運転士を辞めさせられる」
■〈 9時15分ごろ 伊丹駅、72メートルのオーバーラン 〉
9時4分ごろ、宝塚駅から同志社前駅行き快速電車を発進させる。出発は定刻より
15秒ほど遅れ、中山寺駅の出発時には25秒、北伊丹駅の通過時には約34秒遅れた。その後、約122キロで突っ走り、伊丹駅が近づくもATSの「停車です、停車です」
との警告を聞き逃したのか、減速せずに走り続ける。そして駅468メートル手前に
約120キロで迫ると、再びATSの「停車! 停車!」という警告と警報音が
同時に響き、直後にブレーキをかけた。停止位置を約72メートルも行き過ぎる
オーバーラン。予備ブレーキまで使って9時15分43秒、ようやく止まった。
男性運転士は車内電話を使って「今からバックする」と車掌に告げる。速度オーバーの約16キロで後退し、ここでも停止位置より約3メートル後ろに行き過ぎた。
午前9時16分10秒ごろ、伊丹駅を出発する。遅れはもう約1分20秒に達していた。
車掌が「次は尼崎」と放送した直後、運転士から車内電話があった。
「まけてくれへんか」
伊丹でオーバーランをした距離を小さく報告してほしいという
「過少申告」の依頼だった。
車掌は少し考え「だいぶと行ってるよ」(原文通り)と答えた直後、
乗客が車掌室のガラス窓をたたいた。「なんでおわびの放送せーへんのや」。
応対のため車掌は、運転士の依頼に返答しないまま電話を切った。
当時のやりとりについて、車掌は事故調委の調べに「運転士は( 急に電話を
切られたため、自分が )『 怒っている 』と思ったかもしれない」と述べている。
それでも乗客へのおわび放送を終えた車掌は、オーバーランの報告をするために
輸送指令を無線で呼び出す。「えー、行き過ぎですけれども…」。
その交信内容は、1両目の運転室でもスピーカーから聞こえる仕組みだった。
「およそ『8メートル』行き過ぎ、運転士と打ち合わせのうえ後退で、
1分半遅れで発車しております」
車掌は、明らかな過少申告をした。この報告を受け、指令は続けて「8メートル行き
過ぎ」と復唱する。この時、運転士の彼は双方のやりとりを聞きながら「8メートル」につじつまの合う言い訳を考えていた--事故調委はそんな可能性を指摘している。
運転に集中できないほど、追い詰められた心理状態だったのか。
〈 9時18分 脱線 〉
電車は制限速度の120キロを超え、9時18分22秒、塚口駅を1分12秒遅れて
122キロで通過する。車掌との交信を終えた指令は続いて「運転士応答できますか」と呼びかける。しかし、返答はない。電車はあのカーブに約116キロで
突っ込んでいた。「ガタガタ」と揺れる車体。運転士はようやくブレーキをかけ、
105キロ程度まで減速したが、午前9時18分54秒、650人以上を乗せた快速電車は、
1両目から脱線し、マンションへ向かっていった。
事故調委の見立てを振り返ってみよう。
伊丹駅に到着する際にブレーキ使用の開始が遅れたことについては、宝塚駅での
非常ブレーキ作動などを気にして注意が運転からそれた可能性が考えられるとした。
そして伊丹駅を出発後、車掌に虚偽報告を求めた車内電話を消極的な応答で切ら
れたと思い、その後の車掌と輸送指令員との交信に特別な注意を払っていたと
考えられる。さらに日勤教育を懸念して言い訳を考えたり、運転士を辞めさせられると思い呆然としたりしていた可能性もある-などと指摘した。
そのうえで、彼が車掌と輸送指令員との交信内容をメモしようとして、ブレーキ使用が遅れた可能性も考えられるとした。使用開始の遅れは約16-22秒と推算される。
脱線現場のカーブにはATSの速度照査が付いていなかったため、
非常ブレーキはかからなかった。
◆ ◆
男性運転士を巡っては、兵庫県警が08年9月、業務上過失致死傷容疑で
書類送検し、神戸地検は死亡により不起訴とした。
亡くなられた人達のご冥福を心からお祈りします。
この事故を知ったのがTVで、何故こんな事故が起きたのか不思議でした。
たった1分20秒の遅れで、猛スピードでカーブを曲がりきれすにマンションに
突っ込んだ大事故。この時、運転手に何か精神的プレッシャーや辞めさせられる、
日勤教育が嫌で、こんな大事故を起こした( 繋がった )と思いました
MBSテレビ(毎日放送)で「ちちんぷいぷい」が1999年10月~始まりました。
司会は、角淳一さんで関西では有名なアナウンサーです。
角さんは、四条畷に住んでいるので京橋駅を利用していました
昨日、私にもあの三女の義兄(長女の夫)の言葉を言わされた。
それまでは純ちゃんだけたったのに、2日前には福山雅治さんにも言わせていた。
人の感情や言葉、体調不良を持って来ないで言わさないで、二度と止めて
純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
人に腹痛や胃を痛くしない、気分を悪くしない!身体を熱くしないで
TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係
思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!
人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせない
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで
乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで! 人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある ( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました