[ 2017年2月1日 15:03 ] スポニチ
「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優の藤村俊二さんが1月25日、心不全のため死去した。82歳。神奈川県鎌倉市出身。体調不良のため、2015年10月で日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降りてから療養生活を送っていた。
軽妙な味で多くのファンに愛された「おヒョイさん」が静かに逝った。
11年10月から担当し、好評を博した「ぶらり…」を降板する際、長男で所属事務所の代表を務める亜実さんは「どこかが悪いというわけではないが、“思うように仕事が
出来ないまま、皆さまの前に姿を見せたくない” と言っている」と説明。
原因不明の体調不良で、一昨年10月末から入退院を繰り返していた。
実父は東京・有楽町の映画館スバル座やオリオン座などを持っていたスバル興業の社長だった。藤村さんは小学校から高校まで暁星学園で学び、演出家を目指して
早稲田大学第1文学部演劇学科に入学したものの中退。
東宝芸能学校舞踊科に入り直した。
日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧したが、あまりのレベルの
高さに自らの限界を痛感して舞踊家の道を断念。帰国して振付師に転向した。
ザ・ドリフターズの大人気番組「8時だョ!全員集合」では民謡「北海盆唄」を
アレンジしたオープニング「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」を振り付けた。同番組では、エキストラとしての出演も求められたが、
これが嫌で「ひょい」と逃げたことから「おヒョイ」のあだ名がついた。
軽妙でとぼけた味が人気で、フジテレビ「なるほどザ・ワールド」、日本テレビ「ゲバゲバ90分」、TBS「ぴったしカン・カン」など、バラエティーやクイズ番組に引っ張りだこ。映画「青春喜劇・ハレンチ学園」(70年)、「喜劇・猪突猛進せよ!!」(71年)や三谷幸喜脚本の「王様のレストラン」(95年)、
「古畑任三郎」(96年)などのドラマでも評判を呼んだ。
声優やナレーターとしても才能を存分に発揮した。
藤村俊二さん28歳年下再婚妻と離婚していた…
3年以上前、葬儀も参列せず 2017.02.01 デイリー
1月25日に心筋梗塞による心不全で亡くなった俳優・藤村俊二さん(享年82)の
長男で、所属事務所社長の亜実さんが1日、東京・フジテレビで会見。
2015年10月から「体調不良」として、芸能活動を引退状態だったが、実は小脳出血で倒れ、療養生活を送っていたこと、「何度も危険な状態を乗り越えて」きたこと
などを明かした。
藤村さんは96年4月に当時タレントだった、28歳年下の長尾みか代さんと再婚。
会見では「奥さんは?」などと質問が続いたが、亜実さんは「うちの父に奥さんは
いませんでした」と告白。藤村さんが3年以上前に離婚していたことも明かした。
「僕の知っている限りでは、2013年12月には離婚していました。
親父から報告がありました」という。
離婚後、藤村さんは亜実さんと2人暮らしだった。15年10月に倒れ、昨夏、
肺炎で容態が悪化。今年1月25日、いつものように亜実さんが晩ご飯を作ったが、
反応がなく、寝室に行くとぐったりしており、救急車を呼んだが御殿場の病院で息を引き取ったという。この日、親族ら約30人が参列し、密葬の形で葬儀が営まれた。
葬儀には、みか代さんは参列しておらず、亜実さんは「今は連絡を取っていません」と話した。
藤村さんは、15年10月末からナレーションを務めていた日本テレビ「ぶらり途中
下車の旅」を体調不良を理由に休み、同12月に同番組の降板が発表されたが、
その時、みか代さんは、“妻”として週刊誌の取材に応じ、「実は、藤村は仕事を
全部やめたんです。芸能界を引退?そういうことになりますね」などとコメント。
その後、所属事務所の社長の亜実さんが引退報道を否定する事態となっていた。
亜実さんは、みか代さんの発言について「長年( 社長兼マネジャーとして )
マネジメントされてたので、思うところもあったのでしょう」と慮った。
みか代さんは紀行番組や「ニュースプラス1」の特集コーナーのリポーターなどを
務め、藤村さんとは番組を通じて知り合った。98年1月4日には、ハワイ旅行。
空港で待ち受けたマスコミに、藤村さんは「看護婦さんを連れて旅行に来ている
ようなもんです」、みか代さんは「奥さま、なんて呼ばれるのは初めて。
おねだりは健康だけです」とアツアツで語っていた。
【藤村俊二さん死去一問一答】長男・亜実さん
「苦痛とか不安にとらわれずに生きられた人」
藤村俊二さんの逝去を発表する長男・亜実さん=東京都港区(撮影・春名中)
飄々(ひょうひょう)としたキャラクターで「オヒョイさん」と親しまれ、
晩年は「日本一ダンディーなおじいさん」と呼ばれたタレントの藤村俊二さんが
1月25日、心不全のため入院先の病院で死去した。82歳だった。
所属事務所が1日、発表した。
この日、藤村俊二さんの長男の藤村亜実さんが東京都内で会見を行った。
--体調不良を訴えたのは2015年10月
「私が食事の用意をして、できたので父の部屋に呼びに行っても出てこなかった
ので、おかしいと思って部屋に入ったら、寝室でぐったりしていました」
--2013年12月に藤村さんは離婚
「おやじから報告を受けました。理由については特に聞いていません。
生前、発表しなかったのは父の意思を尊重したためです。
離婚後は私と2人暮らしで、連絡は取っていません」
--入院中の様子は
「歩いたり、体を動かすことに問題はありませんでしたが、
ものを食べるリハビリをしました」
--会話ができたのは
「去年の秋口くらいまでです」
--最後の言葉は
「私から『 おやじでいてくれてありがとう。息子で幸せでした 』と伝えたら
『 俺もだ 』と…」
--父親としての藤村俊二さんは
「なぜあれほど自由で楽しく、優しくいられるのかなと不思議に思っていました。入院中も苦しいとか言わず、いつも穏やかな雰囲気で…。
我慢している様子もないんです」
--それはなぜ?
「苦痛とか不安にとらわれずに生きられた人だと思います。
瞬間瞬間を生きられる人というか」
--怒られたことは?
「ないです。ただ、小〜中学生のときに『 自宅で勉強するな。
勉強は学校でするもの 』と言われました(笑)」
--オヒョイさんの由来について
「昔、父が日劇の新人だったころ、エキストラをやっていたんですが、
『 エキストラがひとりぐらいいなくなっても大丈夫だろう 』と言って
帰ったそうです。それで『オヒョイ』になったと」
--昭和九年会のメンバーが亡くなったときは
「『 悲しい 』とか言わない人なので、家族にも言いませんでした。
ただ、昭和九年会は父が作ったので思い入れはあると思います」
--棺に入れた物は
「お気に入りのグレーのスーツと、好きな色であるピンクのシャツと
ポーチを入れました。ひげもきれいにそろえました」
--生前、年金を貯金していたと聞いたが
「そうです。『 死んだら貯金 』だったと思います」
--会葬礼状には藤村さんの言葉を印刷した
「自宅には父の残した20〜30枚のメモが残っていて、
『 しおどき 』と題されたメモにしました」
--ワインバーについて
「ワインを楽しむと言うより、自分の家のつもりで作ったと聞いています。
父にとっては一番落ち着く空間でした」
--閉店したときは
「『 15年は続けたい 』と言っていたのですが、14年目で閉店したので、
残念だったと思います。閉店は前の奥さんと相談して決めました。
体調の問題もあったと思います」
--病院でのエピソードは
「30代の女性がお見舞いに来たのですが、そしたら髪をそろえて、
ものすごいうれしそうな笑顔をしていました」
--入院中のお見舞いは
「有名な方では黒沢久雄さんが来てくれました。
献花の会の会場も、黒沢さんの紹介です」
--父・俊二さんの美学とは
「つかみどころがないというか、過去に対する後悔とか、将来に対する不安に
とらわれず、その瞬間を生きる…ということだと思います」
藤村俊二さん死去 長男・亜実さん思い明かす 教えを胸に
「人生の『 今 』を大事に」ORICON NEWS
心不全のため1月25日に82歳で亡くなった俳優・藤村俊二さんの
公式サイトが1日更新され、長男の亜実さんが「お別れの挨拶」と題し、
藤村さんの療養生活の様子や思いを記した。
ー中略ー
「父は、そうやって『今』を生きる方が自由で幸せだと知っていたのだと
思います。その心が、あの飄々とした生き方の秘密だったのです。
すべてを受け入れ、何にもとらわれず、過去や未来から切り離された『永遠の現在』という時に生きる心は自由で幸せです。そのことを最後に父から学ばせてもらった
自分たちも、これからの人生の『今』を大事に生きていきたいと思います」と
前を向き、改めて感謝の思いであいさつを結んだ。
■以下、コメント全文
生前、父の周りには、たくさんの友人やファンの方々が集まってくださいました。
掴みどころがないところが好き、と言ってくださった方も多くいたように思います。父も嬉しかったと思います。ほんとうにありがとうございました。
療養中は、危険な時期がありましたが何度も乗り越えてくれました。
父をよく知る方々は、その様子を見て驚いていました。誰も頑張る人という
イメージを持っていなかったからです。
実のことを言うと、息子の自分にとっても父は掴みどころがなく、また頑張る人
でもなく、その自由で独特な生き方が子供の頃からずっと不思議でした。
その秘密がようやくわかるようになったのは、父の病室に付き添いながら、
人生を振り返って眺めていた、この約1年のことです。
不思議なことに、療養中の父は決して頑張っているようには見えませんでした。苦痛や不安が多かったと思いますが、いつも穏やかな表情をしていました。いったいどうやっているのかと思いましたが、ある日、父が苦しみや不安にとらわれず、すべてを受け入れて「今」を生きていることに気づきました。父の人生を振り返ってみても、何も不安に思うことなく、いつもその「瞬間」を大事に生きていたように思います。
父は、欲や執着もあまりありませんでした。父の残した手書きメモに
こういうものがありました。「この世でいちばん愉快なことは、
何かを持っていることではなく、何かを経験できる瞬間です」。
父は、そうやって「今」を生きる方が自由で幸せだと知っていたのだと思います。
その心が、あの飄々とした生き方の秘密だったのです。すべてを受け入れ、
何にもとらわれず、過去や未来から切り離された「永遠の現在」という時に
生きる心は自由で幸せです。そのことを最後に父から学ばせてもらった自分たちも、これからの人生の「今」を大事に生きていきたいと思います。
生前は、たくさんの「今」を親父と共に過ごしていただき、
ほんとうにありがとうございました。
長男 藤村亜実
藤村俊二さんの訃報にアニメファンも涙
死の4日前には出演したアニメ映画が公開
原作の枢やなさんも追悼のツイート by Tatsunori Tokushige
俳優の藤村俊二さんが、1月25日20時45分頃、心不全のため死去した。82歳。
突然の訃報にアニメファンの間でも悲しみは広がっている。
「おヒョイさん」と呼ばれ、親しまれた藤村さんの死を悲しんだ
一人の漫画家がいる。枢やなさんだ。
枢やなさんはアニメ化もされた人気漫画「黒執事」の作者だ。
コミックス10巻の表紙にもなった登場キャラクター「タナカ」は藤村さんがモデル。藤村さんはアニメ化の際、タナカの声も務めている。
藤村さんはタナカを演じることについて「私はタナカほどハゲちゃいませんからね。もっと髪の毛がありますよ(笑)。最終回のころには僕の髪の毛もタナカくらいに
なっちゃうかな」と黒執事の公式サイトのインタビューで茶目っ気たっぷりに
答えている。藤村さんの死を「黒執事」ファンたちも悲しんでいる。
藤村俊二さんお亡くなりになられてたんですね…… もうアニメ黒執事の
タナカさんの声が聞けないのはとても悲しいです。御冥福をお祈りします。
知的で軽妙洒脱な藤村さんは「黒執事」以外にも、映画「デスノート」の
ワタリ役など、数々の作品で執事役を演じてきた。
執事役が多いことに、藤村さんは前述のインタビューの中で、
次のように答えている。
そうですね。何度も執事を演じてきたよ。よく言われるんだよ、執事みたいって(笑)。執事という仕事は、自分を抑えて、主人に仕えるという仕事だからね。
しかも、全部を知っていながら、余計なことを言わない。大変な仕事ですよ。
死の4日前。1月21日に公開された劇場版アニメ「黒執事 Book of the Atlantic」に、藤村さんはタナカの役で出演。名執事はいまも映画の中で生きている。
小さい頃から「8時だョ!全員集合」を観ていましたが、あの振付を考えたのが
藤村俊二さんだったと、後で知りました。
印象に残っているのが、久米宏さん司会の「ぴったんこカンカン」と、
映画「デスノート」のワタリ役です。凄くひょうひょうとして、面白い人でした
ご冥福をお祈りいたします。
純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて
( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係
思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!
人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせない
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財禁止、調子づかないで
乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで!
人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました