「半同棲」写真&岡本健一との「不倫デート」
顔を隠す田中美佐子と付き人のように荷物を持つ深沢邦之(’92年8月7日号)
「この場をお借りして皆様にご報告があります。パパと私はお別れすることに
なりました」7日、田中美佐子(63)が自身のインスタグラムを更新し、
お笑いコンビ「Take2」の深沢邦之(56)と離婚したことを発表した。
深沢に対しては、「大学生のパパと出会ってから33年以上。心から感謝しています。ありがとう。」と感謝のメッセージを添えた。
「二人の出会いは、大学生だった深沢が萩本欽一(82)主催のコメディアン
養成塾のオーディションに合格し、浅井企画に所属したことでした。
当時、田中は『 浅井企画 』の看板女優でした。その後2人は浅井企画から
独立した『 佐藤企画 』に移籍。そこで深沢が田中の付き人になったことで
交際に発展しました」( 芸能事務所関係者 )
“超格差交際” に所属事務所は「絶対にありえない!」
『 FRIDAY 』がそんな2人の熱愛スクープを報じたのは、’92年夏のことだった。
当時の田中は、トレンディー女優としてトップクラスの人気を誇っていた。
しかもこの年は、『しあわせの決断』(フジテレビ系)『眠れない夜をかぞえて』(TBS系)『十年愛』(TBS系)と3本の連ドラに主演。その合間を縫って萩本欽一演出の舞台『夏を抱きしめたい』で主演を務め、全国公演を行っていた。
その舞台に深沢も出演していたのだ。
その地方公演から帰京した2人は、そのまままっすぐ田中の住むマンションへ。
その後も、深沢は自宅アパートへは戻らず田中のマンションへ帰宅し、
そこから仕事に出かける日が続いたのだ。
本誌取材に対し、2人の所属事務所社長は、こう答えていた。
「到底信じられません。深沢には私の命令で美沙子の買い物や映画に全てつき合わ
せているんです。そりゃ、仲がいいのは認めますよ。ただ、彼女のところには、
私も含め皆しょっちゅう事務所感覚で出入りしてますし…」
しかし、それでも2人は周囲の反対を押し切って’95年に結婚。
日本を代表するトレンディ女優と月収7万円の売れない芸人の結婚は「超格差婚」や「収入格差100倍婚」などと揶揄された。田中は深沢との結婚について、’20年8月28日に出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で、次のように語っていた。
「自分をさらけ出せる人がなかなかいなくて、彼氏とかちょこちょこはできていたんですけど “俺、田中美佐子と付き合ってるんだ” とか言われたりすると、
自分の気が引いてっちゃう。普通の私を見てくれたというのが一番だった」
黒柳徹子(89)からプロポーズについて聞かれると、「私からです。“結婚しようよ” とか “結婚するから” とか、そういうようなことを言いました」と明かしている。
田中美佐子と岡本健一の手繋ぎ遊園地デート(’95年12月29日号)
2人が結婚したその年の年末、『 FRIDEY 』は『男闘呼組』の岡本健一(54)と
田中の「手繋ぎ遊園地デート」を報じた。と言っても、2人がデートしていたのは
その前年の夏なので、田中はまだ独身だが深沢とは交際中だった。
さらに、岡本に妻がいたことから、「深沢との結婚は、岡本との結婚が叶わなかったから?」と言われたりもしたが、その後、深沢と田中の間には1女が誕生。
その後も夫婦関係は円満で「格差婚だけどおしどり夫婦」と言われ続け28年。
昨年、その娘が成人したことも離婚を決意した一因かもしれない。
今後は、それぞれのステージで活躍していくことを願いたい。
【 田中美佐子離婚 】ペット夫、月収8万円の亭主と散々…28年前、彼女は格差婚についてどう答えていたか
女優の田中美佐子(63)とお笑いコンビ・Take2の深沢邦之(56)が離婚したことを、それぞれのInstagramで報告した。2人は1995年に結婚し、2002年には子供も
授かった。その子が成人したことで、互いに第2の人生を見据えた決断のようだ。
振り返れば、結婚直後は「格差婚」と大騒ぎされたものだ。当時の報道を振り返る。
***
2人の交際が初めて報じられたのは1992年のこと。
写真週刊誌「FRIDAY」(8月7日号)が「いい女は年下がお好き?
女優・田中美佐子と“夜を共にする”トレンディなカレ」のタイトルで、
田中のマンションに深沢が泊まったことを報じた。
田中(当時32)は82年に公開された映画「ダイアモンドは傷つかない」の主演に
抜擢され、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞して以来、人気女優として活躍。
それまでも熱愛報道はあったが、相手は決まって年下だった。
一方、タイトルに深沢(当時25)の名前が出ていないのは、まだTake2の結成前で、萩本欽一が主宰するコメディアン養成塾「欽塾」の塾生の1人に過ぎなかったからだ。
報道直後に田中は会見を開き、こう報じられた。
《「深沢クンは、うちの事務所の子で、現場についてくれてるんです。恋人とかじゃ全然ありません。『欽塾』の生徒は3人いるんですが、この子たちとはいつも一緒に
います。どっか一緒に遊びに行くのに、会社の子が一番近いから。そのうち誰かと(雑誌などに)出るかもネと言っていたんです。3人ともよくウチに泊まりに来てて“また今日も来てる”っていう感じですね」》(「週刊女性」8月11日号)
《――(深沢を)男性として意識しているんですか?
「そういう質問をされると困っちゃう……」
――今後、2人の関係は?(と念を押されて)
「男と女の事だから、どうなるかわかりません」》(「女性自身」8月11日号)
年収差が100倍
さすがは人気女優、堂々としたものだ。当時の所属事務所の社長も
こう答えている。《「彼(深沢)はウチの事務所のアルバイトもしていて、
美佐子の付き人をしてもらってるんです。美佐子の部屋に出入りするのは彼だけではありません。部屋は3LDKで広いので、泊まったとしても別の部屋でしょう」》
(「女性自身」8月11日号)
年下キラーと呼ばれた彼女とそれまで噂になったのは、高嶋政伸、緒形直人、
岡本健一……彼らと比べると深沢の知名度があまりにも低かったため、その後、
報道はなくなった。ところが3年後、95年11月1日に2人は突然入籍したのだ。
これに仰天した各誌のタイトルは以下の通りだ。
●年収が100倍違う、この2人――田中美佐子はなぜ7歳年下「貧乏芸人」と
結婚したか(「FOCUS」11月29日号)
●我らの田中美佐子を獲った「月給10万円亭主」の素性! 新郎の深沢邦之って
いったい誰? とにかく寝耳に水の結婚劇に、ファンならずとも興味津々で…(「FLASH」12月5日号)
●田中美佐子(36)7歳年下の「ペット夫」くんと電撃入籍!(「女性自身」12月5日号)
●年下キラー田中美佐子(36)電撃ねじ伏せ入籍!! 「リードもプロポーズも私」
“ペットくんおムコさん” やっぱり噴き出した心配の声(「週刊女性」12月5日号)
●田中美佐子(36)が選んだ月収8万円のコメディアン(29)!
(「週刊宝石」12月7日号)
深沢はこの前年、同じく「欽ちゃん劇団」の劇団員だった東貴博とTake2を
結成していたが、まだまだ無名だった。そこで今回は2人揃って会見を開いた。
2人で結婚会見
《 仲良く腕を組んでカメラに収まって、「こんなにたくさんの人に写真撮られるの
初めてでしょ」と姉さん女房の田中がいたわれば、若い彼は緊張でガチガチ。
――結婚を意識したのは?
「そうですねえ。会ったころからやさしいいいコだなあって。
それがぜんぜん変わらなくて」
田中はさらりとかわしたが彼の方は、「基本的に、仕事の先輩ですし、
彼女の言うことの方が正しいのが、よく考えるとわかります」とやはりガチガチ 》
(「女性自身」12月5日号)
やはり収入格差について質問が及ぶ。
《 田中が「気にしていません。夫が売れなくてもいいから」といったのに対し、いかにも気合いのこもった口調で「養っていきたい気持ちは、十分にあります!」と、深沢が宣言。このふたりの場合、どうしてもその問題へと行き着いてしまうのである。年収1億の田中に、月収10万円の深沢。なんと80倍だ。年齢とともに、このフトコロの差を危惧する声もちらほら。》(「週刊女性」12月5日号)
翌年には早くも不仲説が報じられ始めた。
別居説まで
《「大晦日に、深沢が新宿の飲み屋で荒れていた」とテレビ関係者が言う。
その店で新年を迎えたというのだから穏やかではない。テレビ関係者は続ける。
「なんでも飼っている犬のことでケンカしたとか話していたそうですよ。お店の人が『 新婚なのに大晦日に家に帰らなくていいの?」と聞いたら、『俺は付き人じゃないんだ!』と自嘲気味に言ったそうですよ。飲めない酒を飲んで荒れたというんだから、ウップンが相当たまっていたんだろうね」》(「週刊宝石」96年4月11日号)
《 小遣いは少ししかもらえない。家事はしてもらえない。夫婦生活も許されない。
これだけナイナイ尽くしの上に、新婦は怒るのだという。「深沢クンが舞台やテレビ番組で、自分の夫婦関係のことをネタにして笑いを取ると、すごく怒るらしく、気性の激しい彼女は思いきり深沢クンをブン殴ることもあるそうです。反撃したくても、さすがに女優の顔に手は上げられませんよね。いまはまだガマンしてますが、
いずれキレますよ」(放送関係者)》(「週刊ポスト」96年4月26日号)
中には《 一時は、深沢クンは田中美佐子の扶養家族として税務署に申告された、
なんて話も出たが 》という記事もあった。そして翌97年には別居説まで飛び出した。
《「今年の夏ぐらいからでしょうか、深沢が新宿や中野あたりの芸人仲間の家を
泊まり歩くことが多くなったんですよ」
間もなく結婚2周年を迎えようとしている、田中美佐子・深沢邦之夫妻の周辺から
こんな声が漏れ聞こえてきた 》(「週刊女性」97年10月21日号)
同誌は、深沢が家を出た理由をこう分析している。
ルミ子と賢也
《 “ペットくんおムコさん” “ねじ伏せ入籍” など、ありがたくない呼び名も頂戴することになった。(中略)それが少しずつではあるが状況が変わってきた。深沢が故・東八郎の息子・東貴博とコンビを組んで活動している“Take2”が『新ボキャブラ天国』(フジテレビ系)で人気が爆発。テレビのレギュラーは増え、CMにも出演。
ライブを開けばソールドアウトと、売れ始めたのだ」》(同)
なぜ売れない芸人だった深沢が売れ出して別居説が出るのかといえば、
当時の芸能界には前例があったからだ。小柳ルミ子と大澄賢也の13歳差の収入格差婚だ。89年に3億円の豪華挙式を挙げた2人だが、ちょうどこの頃、無名のダンサーだった大澄が売れはじめ、小柳の元を離れようとして離婚の危機が囁かれていたのだ。
99年には芸能レポーターの梨元勝氏が「週刊実話」(9月16日号)の連載で、
“破局危機”としてこう書いている。
《 事実、このところのTake2は、売れっ子になった。テレビでは「社会の窓2」(フジテレビ系)『 スーパーボキャブラ天国 』(テレビ朝日系 ※註:原文ママ)など、番組を5本も抱えている。結婚4年で、ここまで夫婦の立場が逆転してしまうと、
夫婦関係も自ずと変わってしまう 》
ついに破局説である。ところがこの年、田中が陣内孝則らと司会を務めたバラエティ番組「ハッピーバースデー!」(フジ)の最終回企画で、これまで式を挙げていな
かった2人の結婚式が行われ放送された。「ボキャブラ天国」シリーズも終了し、Take2のコンビを見ることも減っていった。これで破局説も一蹴されたようだ。
深沢単独インタビュー
2002年、田中は妊娠を発表。深沢は女性ファッション誌「FRaU(フラウ)」
(10月8日号)の単独インタビューで、結婚当時を振り返っている。
《 プロポーズは彼女から。電話で「結婚しない?」って言われました。
もちろん驚きましたよ。「えっ、結婚?」「うん、結婚しない?」「いや、急に
言われてもなんのアレもないし」「アレって何?」みたいな感じで(笑)》
そして今の生活について語り出すと、田中を “カミさん” と呼び始める。
《 それにね、カミさんはボケも楽しくこなしてくれるけど、つっこみもうまいんですよ。お腹の子供に関しても「邦ちゃんには絶対に似て欲しくないな」とかね(笑)。会話をしていても「私の子供がね」って言うから、「 “私たち” の子供でしょ?」と
訂正しても「いや、私の子供だから」とか。「私は歌が好きだから、歌がうまい子がいいな。でもそう思うとあなたの遺伝子はいらないわね」とか。
でもまあ冷静に考えると俺に似るよりは彼女に似た方がいいんだけどね(笑)》
02年12月、田中は女児を無事出産すると、05年の「ブラザー☆ビート」(TBS)で5年半ぶりにドラマ復帰し、今も活躍を続けている。
こうしてみると、やはりマスコミに「格差婚」と書かれた頃が、
2人にとって一番の思い出になっているのかもしれない。
田中美佐子、深沢邦之と離婚「パパも私も苦しかった」…
結婚28年目 収入格差100倍婚で話題に
スポーツ報知
女優の田中美佐子(63)と、夫でお笑いコンビ「Take2」の深沢邦之(56)が7日、
それぞれのインスタグラムで離婚を発表した。
2人は1995年11月に結婚。2002年に第1子となる長女が誕生している。
田中は、インスタグラムに海の写真を投稿するとともに、深沢との離婚を報告。
「パパと私はお別れすることになりました。ここまでに至るまで、私たちには
とても長い年月がかかりました。なかなか言えなくてパパも私も苦しかったです。
大学生のパパと出会ってから33年以上。心から感謝しています」と思いをつづった。
深沢も真っ黒な画面と共に「突然のご報告になりますことをお許しください」と
前置きし、離婚理由について具体的には言及しなかったものの「2人で話し合って
出した結論ですので、受け止めていただけたら幸いです」と呼びかけた。
2人はかつて同じ芸能事務所に所属し、深沢が田中の付き人を務めていたことを
縁に恋人関係に発展した。約7年間の交際を経て極秘裏に婚約し、95年11月に結婚を発表した。その際、田中は「彼はお金がないので、指輪の代わりに犬のチワワを
もらった」などと告白。第一線で活躍していた田中と、若手芸人の深沢との電撃婚は「収入格差100倍婚」と話題になった。
02年のクリスマスに、田中は43歳の高齢出産で念願の第1子となる長女を出産。
今年1月には、田中がインスタグラムで長女とのツーショットを披露し、
成人を迎えた喜びを報告していた。
深沢邦之、田中美佐子との離婚を明るく “自虐” で生報告
「独身になったの、お気づきじゃないでしょうか?」
スポーツ報知 一部抜粋
女優・田中美佐子(63)との離婚を発表したお笑いコンビ「Take2」の深沢邦之(56)が、9日にテレビ東京系「よじごじDays」(月~金曜・後3時40分)に
生出演し、離婚したことを明るく報告した。
7日の離婚公表後、初めてとなる生放送に参加した深沢。番組の冒頭にスタジオで、司会の石塚英彦は「本題に入る前に、全国みんな気になっている、あのことを一言
言わせてもらってもいいですか?」と前置きし、深沢に一礼しながら「『噂の!東京マガジン』見てます!」。深沢は「そっち~!」と笑いながらツッコんだあと、
姿勢を正して「ありがとうございます。あの…もしかして、私独身になったの、
お気づきじゃないでしょうか?」と “自虐”。石塚が「全然知らない!何それ?」と
ボケると、深沢は「余計なこと言っちゃった!」と笑った。
三女が深沢さんに「そっち~!」と言わせていたと分かりました。
この言葉、私が言った言葉だから分かりました
たぶん結婚後も、いろんなことがあったと思います。
二人にしか分かりませんが、相当嫌な事( 感情など )をされていたんでしょう。
これからは、健康で今まで以上に仕事を頑張って下さい
他人に自分たちの感情を三女が持って行っているので止めて
源氏物語あらすじ
五十帖 東屋(あずまや)
浮舟の母(中将の君)は薫の思いを知るが、身分の差を考え、浮舟を左近少将に
嫁がせようとする。財産目当ての左近少将は浮舟が父•常陸介の実子でないと知ると、話を一方的に破断する。中将の君は中の君に浮舟の後見を頼み、薫との縁を願う。
匂の宮は邸に帰ると、誰とは知らぬまま浮舟に言い寄る。
中将の君は、事なきを得た浮舟を三条に移す。
九月、浮舟が三条にいると知った薫は、浮舟と会い契りを結ぶ。
翌日、薫は浮舟と連れ立って宇治に向かう。
純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて
( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係
思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!
人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせない
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財禁止、調子づかないで
乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで!
人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある ( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました