今年芸能活動40周年を迎えた小泉今日子さんと、映画俳優としてだけでなく、

ところが離婚して20年近く経つ今も、二人の名前を検索すると、関連キーワードに お互いの名前が出てきます。

離婚後6年目には2011年に公開された映画『毎日かあさん』では、夫婦役で共演して話題を呼んだこともあり、世間では離婚してもなお二人の絆があるような気がして いるのかもしれません。そこで、永瀬正敏さんと小泉今日子さんの馴れ初めや   離婚理由や、それぞれの再婚相手などその後の二人についても調べてみました。

近年は写真家としても活動する永瀬正敏さん。二人は1995年2月22日に結婚した  ものの、2004年2月22日の結婚9年目の記念日に離婚届を提出。

新しいスタイルを確立した結婚

馴れ初め

永瀬正敏さんと小泉今日子さんは1993年雑誌「an・an」での対談をきっかけに  出会っています。当時は、まだ名前が売れ出したばかりだった永瀬正敏さんに    お声がかかったのは小泉今日子さんのご指名だったといいます。                            永瀬正敏さんは高校生だった1983年に映画デビューを果たし、芸歴こそ小泉今日子 さんとほぼ同じ。しかし、デビュー当時から人気アイドルとして活躍していた         小泉今日子さんに対し、永瀬さんはデビュー作以降5年以上映画の仕事で声が         かからず不遇の時代を過ごしていたそうです。   

永瀬正敏さんは1990年に、ようやく2作目となる海外映画『ミステリー・トレイン』が公開され、若手俳優として一気に注目を浴びることになります。小泉今日子さんは、このあたりから俳優として永瀬さんの映画を見てファンになったといいます。

対談当時、小泉今日子さんは28歳で、永瀬正敏さんは27歳。翌1994年には  「an・an」読者が選ぶ好きな男ナンバー1に永瀬正敏さんが選ばれているので、  小泉今日子さんだけでなく、「an・an」読者世代の20代の女性たちにとって    クールな魅力を持った男性ということで人気だったことが分かりますね。    

その後二人は、週刊誌に交際を報じられますが、変装したり、隠れたりという   ことはせず堂々の交際でゴールイン。そして結婚に際しても、金屏風をバックにした記者会見や豪華な結婚披露宴や新婚旅行など形式的なことは一切せずに、     画廊で二人のプライベート写真を公開するというスタイルで結婚会見を行ったことが話題になりました。まだバブルの余韻の残る時代に、「地味婚」とセレモニーを  一切しない簡素な結婚のスタイルがひろまったきっかけだったともいわれてます。

80年代のアイドル時代も、アイドルは清楚な聖子ちゃんカット一色の中で、    ショートヘアにしたりと、キョンキョンらしさを貫く姿勢を持っていたので、   この時も芸能人の結婚式や会見のあり方にも一石を投じたスタイルが世間から   支持されました。それ以来「かっこいい女性」の代表としてキョンキョンの名前が 上がるようになった感じがありますね。

離婚理由

結婚した当初、小泉今日子さんは1年ほど仕事をセーブしていたようです。     実は結婚して芸能界を引退するつもりもあった小泉今日子さん。そんな中で、   永瀬正敏さんが仕事を続けた方がいいと説得したそうです。

永瀬正敏さんとの結婚期間は、小泉今日子さんがアイドル歌手としての活動から、徐々に女優業にシフトしていったタイミングと重なります。永瀬正敏さんの演技力は数々の受賞歴から言うまでもありませんが、実際プライベートでも役柄に全力で  入り込んでしまうほどのすさまじい集中ぶりだそう。

小泉今日子さんからしてみると結婚して何度も「役そのままで家に帰ってくるので、毎回違う男性が帰ってくる」と思っていたと言います。(出典:AERA.dot)

小泉今日子さんは逆に役柄に入り込むというよりも、その場で自分の求められている役を演じるというスタイル。自分と真逆の永瀬正敏さんから演技に対する向き合い 方を学ぶことも多かったはずですが、仕事に対する姿勢の違いという点で少しずつ 違和感が増えていったようです。また、妻として女優としての仕事の板挟みになる ことや、子供を持ちたいと願った小泉今日子さんに対して、永瀬正敏さんがそれほど乗り気ではなかったということも言われていますが真相のほどは分かりません。

また、永瀬正敏さんは海外映画にも数多く出演しているのですが、その時に出会った香港女優との遠距離不倫が原因だったとも言われています。香港に足しげく通い、 家を不在にする事実が報じられた直後に二人は別居し、そのまま離婚してしまった ので、これが決定打になった可能性もあります。

ただ、この「香港女優」とは誰なのか、当時誰と噂になっていたかなど、私自身検索できる範囲で中国側のメディアも確認しましたが、見当たりませんでした。

またその後再婚に向けた交際相手として香港女優の名前が挙がったこともないので、こちらも憶測の可能性があります。( 中国滞在歴があるので、中国の芸能メディア にはちょっと詳しいのだ )

小泉今日子さんは、後日離婚理由について「派手な愛憎劇があったわけじゃなくて、背負っているものに対して、一緒にいることがきつくなってしまったという感じ  だったから」と語っているので、不倫が原因などではなく、純粋に一緒にいることが難しくなってしまうような価値観の違いがあったのではないでしょうか。

再婚相手は?

相手は誰?

永瀬正敏さんは、2002年に公開されたドラマ「私立探偵濱マイク」で当時19歳の  中島美嘉との共演をきっかけに2004年には交際を報じられています。       出会った当時の永瀬正敏さんは36歳というので、20歳近い年の差ですね!

ただ、馴れ初めこそ19歳とはいえ社会人でもあり、大人ですから、年上の男性に  魅力を感じることがあっても不思議ではありません。永瀬正敏さんも若い頃から  落ち着いた感じで逆に年を重ねたことを感じさせない佇まいなので、あまり年齢は 関係ないのかもしれませんね。

永瀬正敏さんが小泉今日子さんと正式に離婚したのは2004年の2月22日なので、  タイミング的には別居中で夫婦仲は修復不能だったかもしれませんが、結婚期間と 交際時期が重なっている時があっても不思議ではないかもしれません。

その後、中島美嘉さんとは4年ほど交際期間があったものの、永瀬正敏さんは結婚願望がなく、結婚を望んでいた中島美嘉さんとは、すれ違いのまま別れたと報じられ  ました。現在も永瀬正敏さんは結婚しておらず、2004年以降独身を貫いています。

交際の噂すらほとんど聞こえてこない永瀬正敏さんに対して、小泉今日子さんはその後、20歳以上年下でジャニーズの亀梨和也さんとの交際が報じられたり、2018年に 既婚者だった俳優の豊原功補さんとの交際が報じられた際は、自ら不倫関係にあることを認めるコメントを出し、世間を驚かせたりと何かと恋多き女性という印象です。

ただ、その後、豊原功補さんと前妻との離婚が成立した後も、小泉今日子さんとは 再婚せず、現在は仕事上のパートナーということで、意外にも小泉今日子さんは  今も独身ということになります。

 

現在の二人の関係性は?

独身のままだった二人が2011年に映画で夫婦役を演じるということが報じられた際、世間はこれを機にヨリを戻すのではないか?と再婚に対する期待がおこったのも  無理はないのかもしれません。

実際家族として子供を挟んで夫婦役はとても自然で、本当の家族にも見えました。

むしろ小泉今日子さんが『毎日かあさん』で主演が決まった後に、夫役をどうする かということで監督から「永瀬君はどうか」と聞かれた際に、良いと思うと答えたと言います。監督からのオファーが入った後に、永瀬さんにも自ら直接電話して、 「永瀬君がやったらとっても素敵な役だと思う」と説得したそうですよ!

信頼関係がないとなかなかここまで元夫とは話ができないですよね。       世間からいろいろ言われることを分かったうえで、「それでも、これを突破したら 俳優の仲間としてずっとやっていける」という言葉を聞いて永瀬さんは、映画出演を  引き受けたそうです。(出典:AERA.dot)

離婚理由が、相手に対する憎悪というよりも、夫婦として「一緒にいることが   きつくなってしまった」ということなので、今は色々なものを乗り越えて戦友と  言える状態になっているのかもしれません。

小泉今日子さんは現在自身で芸能事務所を立ち上げ、その代表を務めながら、女優として演じる仕事以外にもプロデュース業にも精力的に取り組んでいると言います。

一方の永瀬正敏さんは俳優業以外にも、写真家のほかになんとアクセサリー    デザイナーとしても活動しています。

 

「Trygod」というブランド名で、なんと2005年からジュエリーデザインを手掛けていたと言います。友人との付き合いの中でこじんまりとやっていたジュエリー   デザインをヒステリックグラマーのデザイナーが惚れ込み、ヒステリックグラマーで永瀬さんがデザインしたコラボジュエリーが2015年に発売されました。

純粋に商品を気に入ってくれる人に手に取ってほしいということで、「永瀬正敏      デザイン」ということを一切伏せて販売をスタートしたと言います。         これは演技とも共通していて、背景をあえて語らず純粋に、その画面の中の            役柄として見てほしいという思いからだそうです。

永瀬正敏さんの言葉ではなく、背中で語る姿勢は少し女性には分かりにくい    感じもしますが、昔の日本人男性像を体現しているような感じがしますね。

まとめ

永瀬正敏さん、小泉今日子さん、それぞれの活躍の場で活動しつつ、                    お互いを今でもリスペクトしている姿勢がとても大人でかっこいいと思いました。

芸能人の暴露動画などが人気になっていますが、こうして年を重ねながらも、   常に時代をリードし続けるかっこいい女性であり続ける小泉今日子さんと、海外でも高い評価を受ける俳優としての一面だけでなく、写真やジュエリーデザインと   自分の才能と向き合いそれを高める姿勢を持ち続ける永瀬正敏さん。                    また今後2人の共演作画見られる機会があるかもしれませんね。

 

 

小泉今日子は「入籍・離婚・独立・不貞」すべて2月に   発表した/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 2023年2月8日

 

 正月が終わったと思ったら、もう2月。昨今は、毎月22日の「夫婦の日」には、 映画鑑賞券が割引になるなど、様々な特典が付つくようだが、今から28年前、1995年の「2」が3つ並んだ2月22日、東京・青山のギャラリーで、おしゃれな結婚入籍記者会見を開いたのが、小泉今日子と永瀬正敏だった。当時、2人は俗にいう「ファッションリーダー」的存在で、この日も、永瀬はベージュのハイネックにスカイブルーの サテンジャケット。一方、小泉も黄色いサテン素材の衣装に共布の帽子、     そして足元は2人とも白系のシューズで決めており、集まった女性記者からは、  「おしゃれ~」「かわいい~」と歓声があがったものである。

 2人は雑誌「an・an」の対談で2年前に出会い、「会った時から電波を感じていま した。理由はわからないけど、こういうふう(結婚)になると思いました」と永瀬が言えば、小泉も、「初めて会った時から、ほかの人と違う不思議な感じがしました」と、運命の赤い糸を感じたと語る。報道陣からの「指輪を見せてください」との  呼びかけにも「エィッ!」と薬指を突き出し、「昨年の夏にもらいました。大人だあという気持ちになりました」と、ご機嫌で500万円だという指輪を披露した。

 そんな2人は結婚会見の翌日、ギャラリーで「2人の私生活を全て公開した」という写真展を開催。ベッドの中で2人が顔を寄せ合うカットのほか、バスルームや南の島 でのプライベートショットなどが満載で、会場には記者会見で着用した衣装も展示 する、といったユニークな演出に、あらためて2人のアーティスティックな才能を  感じたものだ。

 ところが、そんな仲睦まじい夫妻に破局が訪れたのが、04年2月。結果、2人は  9年間の結婚生活にピリオドを打ち離婚。小泉にしばらくはロマンスの噂が聞こえて こなかったが、彼女は15年の2月4日、49歳の誕生日に個人事務所「明後日」を設立。そして翌3月、舞台で共演した豊原功補との居酒屋デートが報じられることになる。

 彼女の半生を時系列にすると、結婚、離婚、個人事務所設立と、偶然なのか、  あえてそうしているのか、2月が節目となっていることがわかる。そして、再び彼女が驚きの言動に出たのが、18年のやはり2月のことだった。

 それが、よく知られる、52歳の誕生日を3日後に控えた2月1日に公式サイトで公表した、36年間在籍した所属事務所からの独立と、「人間としてのけじめ」と綴った、妻子ある豊原との交際宣言だったのである。

 その衝撃の公式発表から今年2月で、ちょうど丸5年になる。2月4日には57歳の誕生日を迎えた小泉だが、果たしてまた新たな発言が飛び出すのか、気になるところだ。

 

 

小泉今日子が離婚した理由

2015/02/25/ 11:30  AERA.bot

 

どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか――     その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における “小泉今日子” の          存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして “小泉今日子” 的に       生きるべきかを考察する。

*  *  *

 9回目の結婚記念日当日、小泉今日子と永瀬正敏は離婚届を出しました。

 小泉今日子は、結婚と同時に引退するつもりだったようです( それを止めたのは  永瀬正敏でした )。彼女の中には「日本の女はかくあるべし」というイメージが  あったので「妻」となってからは仕事と板ばさみで辛かったとも述べています  (注1)。入籍後、1年間ほど活動をセーブしていた期間もありました(注2)。

それでも小泉今日子は、永瀬正敏と並走しながら俳優としてステージを上げていきました。当初は永瀬にしか見えていなかった世界が、彼女の視野にも入りはじめます。

 夫婦で働いてどちらも有能なのに、夫は迷いなく職業に没頭、自分だけが「妻で あること」と「仕事」の板ばさみになる――多くの女性が、この悩みに直面します。 小泉今日子の場合、「映画人」としてパワー・アップするにつれそれが深刻化した はずです。彼女と永瀬のケースでは、そこに二人の資質の問題が加わります。

 小泉今日子は「理想がなかったからここまでやって来れた。理想とかあったらそこで燃えつきちゃうし」と語っています(注3)。「遠大な目標」にこだわり過ぎず、「お客の目から見たちょうどよいかっこよさ」を探れるのが、小泉今日子の特徴です。苦心して「憧れのあの歌手と同じキイの高音」を出しても、コンサートが盛り あがらなければ何にもなりません。そういう「観客の求めるものと別の方向に   突進する悲劇」に陥らないところが、小泉今日子の「強み」です。

 これに対し永瀬正敏は、理想をめざしてストイックに役づくりする俳優の典型です。離婚後に小泉今日子から「結婚したての頃なんか、役そのままで帰ってきて、そのたびにいろんな男の人が帰ってくるから大変だったわよ」と叱られたとか。永瀬は「まったく意識していませんでした、すみません」と応じたそうです(注4)。凄まじい集中力で役になりきる反面、目標を追うあまり見えなくなるものもあるタイプと言えます。

「自分とまったく異なる方式で生きているライバル」が身近にいる――これは、かなりやっかいな状況です。羨望、不安、懐疑、その他もろもろの「闇」の感情が湧いてきます。自分の生き方への疑問符を突きつけられた気になるからです。

 永瀬正敏との結婚生活ついて、小泉今日子はこう語っています。

(永瀬は)自ら進んでカメラに魂を差し出している。そこまでやれるのはすごいことだけれど、私自身は決してそんな状態にはならないから、心のどこかでやっかみや憧れやその不器用さに対しての警告や不安もあって、「バカじゃないの?」と思ったりもしました。だから、一緒に住んでいる頃は大変だった。よく心配もしましたね>(注5)

(永瀬と別れたのは)派手な愛憎劇があったわけじゃなくて、背負っているものに対して、一緒にいることがきつくなってしまったという感じだったから>(注6)

 小泉今日子にとって永瀬正敏は、ある時期から「やっかいなライバル」になっていたことがうかがえます。おそらくそんな風に苦しんでいたのは、女性であり、他人の目線を想像する力に富んだ小泉今日子の側だけでしょう。「没入型の男性」である 永瀬正敏は、自分と小泉今日子の違いなど気にかけず、まっすぐ演技に向かっていたはずです。

 小泉今日子が「映画人」としての才能を開花させるのに、「永瀬くん」が側にいることは不可欠でした。皮肉なことに、そのことが彼女にとっての「永瀬くん」を 「憧れ」ではなく「ライバル」という存在に変化させ、二人の「同じ屋根の下に居る幸せ」は終わったのです。

 2011年、小泉今日子と永瀬正敏は、映画「毎日かあさん」で共演します。    離婚した元夫婦が「離婚した元夫婦」の役を演じた事実は話題を呼びました。

 撮影の間、二人は「以心伝心」で、作品づくりについてぴったり意見が一致して いたそうです(注7)。タイプは違っていても、熟練の境地に達した俳優同士、  通いあうものがあったのでしょう。

 

 小泉今日子は、アイドルのイメージを完全に断ち切る必要のあった29歳で、   永瀬正敏と結婚しました。女優としての個性を確立したところで独身に戻り、   20歳齢下の若者と恋愛もしています。夫婦ではなくなった永瀬とも、「映画人」と しては理解しあっています。

 こうして見ると、「さすが小泉今日子。出会い方も別れ方も絶妙」と言いたく  なってきます。

 しかし、ある人がたどった行路がベストかどうか、本当のところはわかりません。小泉今日子は言っています。

<ただ、いま、やり残したことあるかなあっていうと、それが出てきますね。   子ども生まなかったな、子ども育てなかったなって>(注8)

 永瀬正敏に仕事をやめろと言われていたら。相米慎二に見こまれなかったなら。 そしてあそこまで演技の才能がなかったら……。

「才能があること」や「幸運に恵まれること」は、短いスパンで見ればもちろん 「いいこと」です。ただし、それがその人にとってどういう意味を持つのかは、  生きている限り揺れつづけます。

 近年の小泉今日子の静かな輝きは、そのことを体の奥深くで知っている人の   もののように私には映ります。

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜ  いつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 「小泉今日子ロングインタビュー 目指すのは中年の星!」(「AERA 2008年9月22日号」朝日新聞出版)
注2 「阿川佐和子のあの人に会いたい 小泉今日子」(「週刊文春 2001年1月25日号」文藝春秋)
注3 「ボクらの時代」(2014年6月8日放映 フジTV)
注4 「永瀬正敏ロング・インタビュー」(「アクターズ・ファイル永瀬正敏」キネマ旬報社 2014)
注5 「インタビュー小泉今日子」(「アクターズ・ファイル永瀬正敏」キネマ旬報社 2014)
注6 「インタビュー1 今日」(「Switch 2006年6月号」 スイッチ・パブリッシング)
注7 注4に同じ
注8 注3に同じ

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など

 

 

渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で、不定期に行う対談の最初のゲストに、
糸井重里がお呼びしたのは、小泉今日子さんでした。
この対談の会の通しテーマは「わたしの、中の人。」です。
わたしたちがテレビの画面や舞台でふれるトップスターの小泉今日子さんの中に、
もうひとりの本当の小泉さんがいます。
知らなかったその人が、赤い椅子に腰かけて、お話ししてくれました。
小泉さんのまわりにいつもいた、光る星のような、遠くなく近くない、
あたたかくクールな人びとがたくさん登場します。

写真 小川拓洋

 

第8回 結婚して何がよかったか。

 
糸井
いま聞いた話は全部、いわば、
「小泉今日子」が出ている画面には映ってないことばかりですね。
小泉
うん、映ってないですね。
糸井
映ってない場所で、「中の人」はずーっと生きてた。
小泉
ずっと中の人はいました。
ホント、そうなんです。
糸井
中の人は生きてたんだけど、舞台に立ってる小泉今日子は、
そんなことはおくびにも出さずに
「それではミニミュージカルをごらんください」とか、やってる。
小泉
(笑)そうですね。
糸井
両方あるのはぼくらにも薄々感じられながらだけど、
でも、どっちもホントなわけですよね。
小泉
どっちもホントです。
例えば、若いときに道を歩いてて「ワァ、キョンキョンだ」なんて                ワーッと騒がれちゃったりするのは、中の人は困るわけです(笑)。
だけど外の人は確実に自分をつくっちゃってるから、
それを拒否するのもおかしな話なんだよね‥‥と、中の人は思ってるのね。
糸井
うん、うん、そうですね。

小泉
だけど中の人は、ひとりで歩いてる。
対処できないという感覚がある。
人間だし、気分がよくない場合もあるから
「ごめんなさい」とか言っちゃってることもある。
これはどう考えるべきかなぁって、ひと晩ぐらい考えました。
糸井
ほぉお。
小泉
そうか、と。「ホントにそれがイヤだというんだったら、
わたしはこの仕事をやめればいいだけだ。
やめるという解決法しかなくて、やめないんだったら、
受け入れるしかないんだな」ということになりました。
糸井
それ、ある日突然決めたの? 
小泉
ある日、決めました。
やめるか、外に出ないか、そのぐらいしか選択肢がない。
でもわたしは、街は歩きたい。だから受け入れることに決めました。
そのかわり、ちゃんと人間同士として対応しよう。
「いまね、急いでるんです」
「ごめんなさい。いまここで騒ぎが起こるとわたしは困っちゃうんです。
あなたも助けられないでしょう、ひとりじゃ」ということをお話しします。
糸井
ハッキリ言うわけだ。
小泉
そう。ちゃんと言う。

糸井
さっきのパリの話でさ、小暮さんたちに「おごらせてくれ」と
小泉さんは言ったでしょう?
あれにちょっと似てるんだけど。
小泉
うん。
糸井
おおげさにルールを決めるんじゃなくて、
「自分が決めることだ」という感覚がいつもある気がする。
街を歩くって決めてることもそうだし。
小泉
糸井
「ワーキャー」言われる質量が並大抵じゃないのを経験すると、
どうしても答えを見つけなきゃなんなくなる。
きっといちばん素直な答えにたどりつくことになるんだろうね。
小泉
そうかもしれない。
糸井
小泉さん、街を歩きますよね、よく。
小泉
歩きますね。
もはやいまなんか、とにかくふつうに歩いてます。
糸井
プロデューサーって、すごく用事が多いでしょ。
小泉
そうなんですよ。ひとりで出張にも行きます。
ネットで安い部屋を探して、「会員だから、もっと安くなるぞ」
なんてやってます(笑)。
糸井
芸能の真っ只中にいながら、仕事として芸能をちゃんとやろうと決めたこと、
もうひとりの「中の」自分を守ろうとしたことが、
小泉さんは矛盾せず、ずーっと来てます。
それがまた、ぼくらにもよく伝わるんですよ。
小泉さんは、自分の考える「自分」から
一回もそれずに、ここまでたどりついたんですか?
小泉
どう‥‥ですかねぇ。
こんなこと言っていいか分からないんですけれども、
みなさん憶えてらっしゃるかどうか分からないんですが、
わたし、結婚したことがあるんですよ。

糸井
ありますね、知ってます。
なんとなく知ってます。
会場
(笑)
小泉
それで、離婚したこともあるんですよ。
糸井
はい、そうですね。
それも知っています。
小泉
相手はとても素敵な、いまも活躍しているすごくいい俳優さんですけど、
結婚したことが、本当によかったなと思っています。
結婚があったからこそ、自分の仕事をちがう場所から見たり、
仕事よりも相手のことを考える時間があるんだ、ということを経験できました。
つまり、自分が考えていたいろんなことのサイクルを
変えることができたんです。
そのあとに離婚しましたが、最終的に
「結婚して何がよかったことか?」と問われたら、
わたしは「離婚したことです」と答えると思います。
糸井
そうか。
小泉
離婚という経験が、自分をもうちょっとだけ、地面に着けてくれました。
足が浮いてたところを、ピッと「あなたも人間です」みたいな感じでね。
経験でいえば、それは「失敗」という言葉になるわけです。
でもその失敗が、人間としての自分が未熟なところを考える
きっかけにもなりました。
人の見方もちょっと変わった。
あと「愛だ恋だ」ということを、ちゃんと一回、
終わりにできたっていうか(笑)。
糸井
愛や恋を終わりにできるものだ、ということが
分かるわけですよね。
小泉
そうですね。

糸井
「結婚してよかったと思えるのは、
離婚ができたことです」
小泉
はい。
糸井
それは歴史に残る名セリフだね。
いや、つまり、俺には分かる(笑)。
会場
(笑)
 
そうですね‥‥そうかも。

 

遠くなく、近くない、友達。

糸井
離婚するときには、
まずは人はひとりなんだということを、
心から分かる必要があります。
小泉
家族ってね、血がつながっていれば、誰が悪いことしても、
何があってもホントに大丈夫じゃん、というところがあるでしょう。
糸井
そうね。
小泉
血のつながってない人と家族をつくろうとしたところで、
想像もしないいろんなことが、お互いにあるわけですよ。
すごく傷つけたりとか、どのくらいバット振って──なんで急に
バットの例えが出てきたのか分かんないけど(笑)、
どのくらいバットを振っていいのか分からない状態でも、振るじゃない? 
糸井
それはね、振るよ。
振るしかないから。
小泉
小っちゃいときから一緒にいる家族であれば、「このぐらいだね」ということはお互いに分かってるけど、分かんないまま振っちゃった。
痛い思いさせちゃっただろうし、自分にも「そこないよ」というような          バットが当たったりしてるわけで(笑)。
糸井
あるよね。
バットが出てくるのがおかしいけどさ(笑)、うん。
小泉
そういう感覚をはじめて他人と交わすことができた。
結婚は、よかったです。
糸井
すごいことだよね。
それはなんていうか、簡単に
「愛があれば」とか言えるような話じゃないよね。
小泉
そうですね。
糸井
「そこでバット振るんだあ」
小泉
「ウッソでしょ?」

糸井
「ウッソでしょ?」は、向こうも思ってるんだよね(笑)。
同じことなのに相手はこう感じるんだ、という驚きを
「ものめずらしい」と言えるのは、他人の間柄のときです。
「ものめずらしい」じゃすまないことは山ほどある。
小泉
そうです。
糸井
そんなにも勉強させてくれる場所は、ないよね。
小泉
そうでしたね。
ずっと一緒にいられたら、もっともっと賢くなれたのかなとも思うけれども、
わたしには必要な経験だったんだろうなぁと思います。
糸井
長くいたらいたで、
きっと、またいろいろあったろうね。
小泉
そうですね。
糸井
ぼくはふたりとも、両方好きな人なんで、よく分かるんだけど、
ふたりで話してるところも、とてもおもしろかったです。
小泉
そうでしたっけ。
糸井
男って女で、女って男だし、セットでいると、すごくおもしろく見えた。
「結婚してよかったな」って、ぼくから見たらそう見えたし、
別れたときも「そうだろうな」と思った。
小泉
それまでわたしはわりとワガママに仕事させてもらってたと思います。
でもそれでも、「会社の中にいる人として」やっていたんです。
でも、彼とやることはそうじゃない。
夫婦だから、ふたりでいっしょに何かをつくるのも             不自然じゃなかったし、その経験もよかったなと思います。
いまやってるプロデュースの仕事も、                   あのときの経験があったからかもしれない。
糸井
お互いにないものを持ってましたよね。
小泉さんは「会社」という空飛ぶ円盤を持ってた。
小泉
うん、うん。
糸井
結婚生活を送ったり、いっしょに仕事をたちあげていったおかげで、
いまの自分の会社をスタートさせる勉強は自然にできちゃったわけだ。
小泉
あのときにね。
糸井
小泉さんは若いときからあんがい醒めた目を持ってて、
世間に同調しすぎないということをきちんと守ってきた。
仕事をものすごく一所懸命やってきたという事実は、
「外の人」も分かっていたわけです。
そんな小泉さんが、いまの仕事にシフトした。
そこにつながるジョイントって                      どこにあったんだろうと、ぼくは思ってたんですよ。
小泉
そうですよね。
糸井
ふつうに考えると「一回疲れてやめた」ということが
あると思うんです。
だって、あそこで生きてたらヘトヘトになるよ。
いつも人の目玉の中で泳いでるわけだから。
小泉
それはもう、そうです。
糸井
でも、そうじゃなくて、
結婚と離婚が節目にあったということか。
すばらしい話です。
小泉
そうですかねぇ。
糸井
結婚もそうだけど、小泉さんは、あいだあいだに、
距離が遠くなくて近くない友達や先輩が、
なんだかキラ星のようにいるでしょう。
小泉
そうそう。
30代はよく親友と長電話したりね。
糸井
いいね。

小泉
わたしは外の人としてがんばっているようで、
すごく怠けてた時期があるんです。
その親友としたのはこういう電話。
「何してる?」
「3日間、誰ともしゃべってない。
外にも出てないし、
ごめんなさい、お風呂も入ってない」
「あら奇遇、わたしもよ」
会場
(笑)
小泉
「じゃあ、ちょっと勇気を出して、いまからせーのでお風呂に入って、
5時に待ち合わせましょう」そういうことしてました。
糸井
それはふたりとも境遇が似てたのかしら。
小泉
たぶん似てると思う。
糸井
くたびれはてた女たち?
小泉
なんて言えばいいんだろう(笑)、
えっとね、オタク的なところがあるから、
3日間ずっと、本読んだりビデオ観てたりするってこと。
糸井
ああ、なるほど。
小泉
あとは
「ホントに人に会いたくない」
みたいなときってあるからね。
その3日間は自分を、もう、許す。
糸井
動物のようにバランス取ってきたんだね。
小泉
そうなんです。
動物って具合悪いと一切出てこなくて、ずっと寝てるでしょう。
それは感覚なんですよね。
だから「もう3日声も出してなかった」ということが起こりえます。
電話が鳴って、ンンッ(咳払い)、
「声って、どうやって出すんだっけ?」

いろんなことに、気が晴れた。

糸井
30代までは、そんなふうに
怠けてたこともあったんだ、と。
小泉
そう。結婚して離婚するまでは、
わたしはたぶんそうとうな面倒くさがり屋で、
もっともっとダラダラしていたかったんです。
 
 
この話、最初から読むと面白そうですね 爆笑
 
明菜さんが、1995年3月12日のおしゃれカンケイで
本当、同期のアイドル全盛というか同期生いっぱいいたよねえ。いっぱいいま した。どんな人いたの? 例えば、この間、結婚しました小泉今日子ちゃんと、 今日子ちゃん、あの子、ずるいんですよ。この間話した時、何も言ってくれ  ないんですよ~と言っていました プンプン
本当に、仲が良かったと思っていたので、結婚報告がなかったのには
ビックリしました びっくり
 
キョンキョン結婚した時、引退しようと思ったと読んで意外でした。
お似合いのカップルだと思ったんですが、いろんなことが合っての離婚。
また良い人と出会い、再婚をして幸せになって欲しいです。
これからも健康で、お仕事頑張って下さい 笑ううさぎ おばあちゃん 虹
 
 
いつもありがとうございます。
 
最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート