アン・ルイス
1980年代に「六本木心中」「あゝ無情」などのヒット曲を
連発していた女性ロックシンガーだ。
ド派手な衣装とメークで圧倒的な存在感を放ちまくっていたアン・ルイス。
物静かで、どこか陰りのある山口百恵とは、全く異なったタイプに見える。
だが、意外なことにアン・ルイスは、山口百恵の芸能界における
”一番の親友” だったという・・・
一部によると少女時代に過ごした場所が近かった( アン・ルイスは横浜の本牧、
山口百恵は横須賀 )ことが仲良くなるキッカケとなったとも言われている。
だが、根本的には馬が合ったのだろう。
タイプこそ違うが ”はっきり” しているところは、二人に共通しているように見える。
アイドルには中々いないアン・ルイスのそういった性格が、
山口百恵に心を開かせたのかもしれない。
(1978年)昭和53年9月
そんな二人が多忙なスケジュールを調整して約1週間のわたる旅行に出かけた。
行く先はアメリカ。アン・ルイスの父親の母国だ。
先ずはニューヨーク。
山口百恵とアン・ルイスは、その夜のディスコに飛び込み、
当時旅行していたパンクロックで夜通し踊りまくっていたという。
アン・ルイスが踊りまくるのは想像できるが、百恵ちゃんまでが・・・
やはり、アン・ルイスは、本当に心を許すせる友達だったということなのだろう。
そして、今度はロサンゼルス。
二人は、観光や買い物を楽しんだ。
この時、山口百恵は古着を30着以上買い込んだらしい。
一方のアン・ルイスは、当時のロスに住んでいた元カレに再会した。
「相変わらずハンサムだった」と喜んでいたという。
おそらく山口百恵も、その元カレに会ったのだろう。
やってることは、今時の若い女の子と変わらない。
二人は、本当の ”友達” だったのだ。
同じ女性シンガーとはいえ、全くジャンルの異なるアン・ルイスと山口百恵。
桜田淳子との関係のように ”商品” として比較されることもない。
だから ”売れた” 後でもアン・ルイスとの友情にひびが入ることはなく、
ずっと良い関係を続けられたのだろう。
芸能界を引退後、一切表舞台に立たなくなった山口百恵が一度だけ、
芸能界に関する仕事をしたことがある。
そう。
息子を出産し歌手活動を休止していたアン・ルイスの復帰作
「ラ・セゾン」の歌詞を ”三浦百恵” として提供したのだ。
「ラ・セゾン」
完全に芸能界から身を引いている山口百恵が一度だけ許した例外。
どれほど山口百恵がアン・ルイスを友人として
大切にしていたかが、この事実だけからでも窺える。
そのアン・ルイスも、今は芸能界から完全に引退している。
桑名正博と離婚した後、息子・美勇士とも離れ、
現在はアメリカで猫と暮らしているという。
アン・ルイスと山口百恵
ふたりの友情は、今も続いているのだろうか・・・
【1982年8月】ラ・セゾン/友人アン・ルイスのために
山口百恵 ひと肌脱ぐ スポニチ [ 2011年8月12日 06:00 ]
★82年8月ランキング★
1 小麦色のマーメイド/松田聖子
2 NINJIN娘/田原俊彦
3 待つわ/あみん
4 ハイティーン・ブギ/近藤真彦
5 ラ・セゾン/アン・ルイス
6 哀愁のカサブランカ/郷ひろみ
7 100%SOSOかもね…/シブがき隊
8 聖母たちのララバイ/岩崎宏美
9 北酒場/細川たかし
10 暗闇をぶっとばせ/嶋大輔
注目大きな恋の物語/よせなべトリオ
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン
番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。
【 ラ・セゾン / アン・ルイス 】
結婚、出産から1年半。アン・ルイスは歌手復帰のチャンスをうかがっていた。
どうせまた歌うなら、話題になる曲をやりたい――。漠然とそう思っていた時に
ふと思い浮かんだのが、友人に歌詞を書いてもらうことだった。
アンの理解者で実は親交が深かったのが、スーパースターだった山口百恵。
あの伝説の日本武道館での引退コンサートから約2年。三浦百恵となって、芸能界とは縁を
切った百恵ちゃんが友達とはいえ、願いを聞いてくれるかどうか、半信半疑だったが
「再び頑張ろうとしているアンのために書く。ただしこれっきりよ」と快諾してくれた。
百恵ちゃんと夫の俳優三浦友和の名前が入った、専用原稿用紙に書かれて届けられた歌詞。
歌手時代に横須賀恵のペンネームで作品を発表していただけあって仕上がりは上々だった。
タイトルの「ラ・セゾン」はフランス語で「季節」という意味だったが、
さらに「発情期」という意味合いも含まれていた。
引退後、フランス語を学んでいた百恵ちゃんはタイトルにちょっとセクシーな言葉を
使うことをアンに告げ、アンも大賛成。ウソかホントか百恵ちゃんが飼っていたインコが
発情期を迎え、それにヒントを得て書いたとアンは当時のインタビューで答えている。
曲は以前から話のあったジュリーこと沢田研二が作曲。百恵とジュリーという70年代後半の日本の歌謡界を代表する2人による新曲は、リリースされる前から話題になった。
取材は殺到するわ、テレビの歌番組からはお声がかかるわで、「女はそれを我慢できない」
「グッバイ・マイ・ラブ」などスマッシュヒットはあったものの、いわゆるベストテンにランクインしたことがなかったアンは一躍売れっ子に。レコード売り上げは35万枚を記録。TBS
「ザ・ベストテン」では最高3位を記録。「ロックの女王」として脚光を浴びることになった。
「百恵ちゃんははっきり言っていた。復帰はないって。
復帰するってことは彼女にとって格好の悪いこと。この先もないんじゃないの」とアン。
友人のために歌詞を書いてから、30年近く。山口百恵が表舞台にたったことは一度もない。
私、小学生の時に、山口百恵ちゃんの「プレイバック Part2」、
沢田研二さんの「LOVE(抱きしめたい)」ピンクレディーのレコードも
お年玉で買たことを思い出しました。そして、アン・ルイスさんの「グッド・バイ・
マイ・ラブ」や「リンダ」の曲が入っているアルバムも持っています
百恵ちゃんの「ただしこれっきりよ」【 横須賀ストーリー】の歌詞を読んで気が付きました。
若い時から、あの姉妹に嫌な事をされていたと分かりました。百恵ちゃん以外にみんなが 百恵ちゃん作詞する時は、横須賀恵を使っているのに、この時は本名の三浦百恵を使っている。
沢田研二さんも。これからも、あの3人に嫌な事をされない様に、
頑張って下さい。応援しています
みんなと個人的に約束しているのなら、絶対に約束を守って、約束を破らないで
最近、また純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしないで、転ばさないで ) をしてくるの止めて。
【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、
「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
人の脳の中枢神経などを触らない、潜在意識などに入ってコントロールしないで
( 目の錯覚、老眼近視。思考が低下、停止にしない。記憶が出来ない、出てこない、忘れる。人に自分の考えを言わさない。理性を失わせないで。胸などにモヤモヤとさせないで。口臭も
人の仕事の邪魔をしないで、人の後ろに憑かない憑依しない。喉、頭や首の神経を痛くしない。
特に、乗り物を運転している時は、絶対に頭を低下やボーっとさせないで!体調不良にしないで
人を縛らない、人をコントロールしないで、もっと自由にさせて。人のモノマネや水晶禁止。
人に嫌なことをしたり、言って脅さない。人に必要以上に執着や嫉妬しない。過保護にしない。
人にお金を使わさないで( 家や外食、テイクアウト、旅行仕事も含む )。プライバシー侵害
個人保護法。人を嵌めないで。楽天、ソフトバンクグループに嫌な事はしないで、緊張させない
その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って
人に対して完璧主義を押し付けないで(暴言や自分勝手な言動行動は慎んで、人を縛らない)
深夜に毎日、連絡してこないで。自分が言った言葉に責任を持って、高圧的に言ってこない、
考えが甘い、ワガママを言わないで。トイレ関係。唇びるを痺れさせない。こけさせない。
顔や身体を熱く冷たくしない )吸い上げない。怒りの感情を倍増しない、笑い上戸にしない。
人のアイデアを盗ったり、利用しないで自分で考えて。パワーや感情を抑えたり取らないで。
やる気を取らない。ちゃんと直して。職権乱用しない。全責任は、お母さん達に取ってもらう。
解散や休止、脱退、独立、退社、業務提供解消させないで。離婚も。言論や表現の自由が
法で定められている)人のPCやスマホに、ハッカーみたいに侵入してこないで
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して
( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退をさせない。契約書、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました