浜松城公園から西へ500mほど、用水路のような新川にかかる二本の橋をご紹介します。
まずは元浜大橋から。
大通りから一本入ったところにある。
橋の南西から。奥の黄色いネットが掛かっているのが反対側の高欄になる。
見ての通り長さより幅のほうがはるかに広く一見暗渠のようだが、ちゃんと両側に親柱や高欄があって橋であることを主張している。
あんま変わらないけど橋の上から。右端を除いて写っている路面は全部橋のもの。
まぁ確かに名前の通り大きい橋とは言えるかもしれないけど、ふつう橋の大きさ=長さではないだろうか。
これを大橋と言われるとなんだか一休さんにとんちで出し抜かれた桔梗屋さんみたいな気分になる。
いや桔梗屋さんがどんな気分なのか知らんけど。
ちなみにQ地図様(が基にしている浜松市の資料)だと延長23m、幅員13mとなっているが、地図上で測ると長さ9m幅40m程度と全然違っている。
計っている場所が違うんだろうか?
先ほどと反対の北(上流)側から。
こちらのポイントは高欄のデザインが途中で切り替わっていること。
写真左がかまぼこ型なのに対して、右側はシンプルな長方形になっている。
切り替わる部分は無理やり切ってつないだ跡がある。何となくかまぼこ型の方が古そう。
銘板のある親柱は南西の一基のみ。「昭和三十七年三月修繕」
橋名の親柱は無かったのでQ地図様に拠った。
で、元浜大橋の下流に見えるのが元濱小橋。隣の大橋よりも断然納得感のある小橋っぷり。
ゆるやかにカーブした高欄も小粋である。
この橋も長さより幅が広いのだが、これぐらい小さいとあまり気にならない。
北(上流)側の高欄と親柱は撤去され、橋がかかる水路は完全に暗渠化されているようだ。
元濱小橋の親柱。残っているのは「元濱小橋」「もとはまこはし」の二枚。
Q地図様では完成年が昭和60年となっているが、恐らくそれは改修した年だろう。
昭和初期から遅くても昭和30年代には完成していたのではないだろうか。
そしてこの大小の元濱橋の下流には、一番交通量が多い無印の元濱橋がかかっている。
なぜか写真を撮ってないのでストリートビューで。
ちなみに橋名の元濱(浜)はもちろん所在地の元浜町から採っていると思われるが、その元浜は元浜松を縮めたものだという。
徳川家康が支配するより前に浜松と呼ばれていたのがこの辺りということらしい。
そういう意味では浜松のオリジンを冠した橋名ということでなんか意義深く思えてくる。
手前から元浜大橋、元濱小橋、元濱橋。