江戸時代、浜名湖の北を通る本坂通(姫街道)の関所が置かれた気賀の町。
その南を流れる都田川にかかる曳船橋を紹介します。
さて、いきなりこんな事言うのもアレですが、なんでこの橋を撮ったのか全然覚えていない。
下流の澪つくし橋のついでに足を伸ばしたんだと思うけど、写真を見返してもどこに記録したくなる要素があったのか分からない。
じゃあ黙ってボツにすればいいんだけど、貧乏性なのでとりあえず紹介します。
蓼食う虫も好き好き、ということわざもあることだし。
…という言い訳を済ませて曳船橋南から。
ガードレールそのまんまの高欄、単なるコンクリの板の親柱と全く遊びのないスタイル。
歩道は設けられておらず、上流に人道橋が設置されている。
ちなみに看板では「舟」の字が使われているが、銘板では「船」となっているのでタイトルは銘板に従った。
ただ、実際の風景を想像すると小型の「舟」の方が似合うように思う。
人道橋は車道橋に対して斜めにかかっており、南側では50mほども離れている。
そして南側には橋脚の跡が二基残っている。
今昔マップを確認すると旧橋がこの位置に描かれているのでその時のものだと思うが、あるいは今残っている他の橋脚もそれを再利用しているのかもしれない。
桁に比べて幅がちょっと広いし。
この橋も澪つくし橋と同じく正式には人道橋ではなく「曳船自転車道橋」という。
曳船自転車道橋南から正対。自転車でもすれ違うにはちょっと気を遣う幅。
下流向き、曳船橋と奥に澪つくし橋のアーチが見える。
現地でもやる気がなかったのか銘板を記録していないのだが、「曳船橋」「ひきふねはし」、「昭和43年3月完成」が二枚。
桁の側面に諸元の銘板もあった。
見づらいので一部転記すると、「橋長155.0米(31米 5径間) 巾員 6.0米」とある。
橋名からすると昔はこのあたりで曳舟(川沿いを歩いて、または動物を使って舟を引いて運ぶこと)が行われていたのだろうか。
あるいは澪つくし橋のように何かの和歌にちなんでいるのかもしれないが、ちょっと調べても分からなかった。
おまけ。
北側の堤防沿いに「細江のへそ」の石碑があった。
裏の説明によると(合併前の)細江町の中心点として昭和63年6月に建立された。
北緯 34度48分 9秒
東経 137度39分25秒