中津川市には木曽川の渓谷にかかる大きな橋が複数あります。
その中ではちょっとマイナーというか、通る人が少ないのが今回紹介する源済橋です。
いきなり源済橋全景。北東から。上路式の鋼アーチ橋だ。
ちょうど撮影地点の辺りが待避所のようになっていて、車を駐めて橋を観察するのに都合がいい。
橋上ですれ違いができないので、対向車が来ていたらここで待つために設けられているのだろう。
北から正対。見るからに狭い。
源済橋から木曽川上流方向を望む。景勝地として知られた恵那峡だけに美しい。
下流方向。こちらも良し。
上の写真右手の岩山に、今にも落ちそうな巨石があった。
源済橋の親柱。
銘板は「源済橋」「げんさいはし」「木曽川」「昭和四十四年十一月竣工」。
橋名の由来は橋から南側へ少し歩いたところに隠されている。
橋から100mほどの所に小さな祠があり、その手前から下へ降りられる。
そこを歩いて行くと偶然岩屋の形に組み合わさった巨大な岩の前へ出る。
これを源済岩といい、その名前は戦国時代の永禄七年(1564)頃、この土地に住んだ吉村源済(源斎、玄済との表記もある)に由来する。
伝えられる話では、源済が武田信玄からの味方に付くようにという誘いを断ったため戦となり、源済はこの岩屋に住んで抵抗したものの戦死したとのこと。
死後に近くの人々によって源済大明神として祀られて現在まで続いているという。写真でも岩屋の中に祠が見える。
さらに、上の写真ではわかりにくいが源済岩は裏に回れるようになっていて、そこから木曽川を眼下に望むことができる。
源済岩裏の展望台。
源済岩から見た恵那峡。写っている船は恵那峡の遊覧船「はくちょう6」。
正面の付知川との合流点に立っている岩は「品の字岩」といい、横から見ると漢字の「品」の形に岩が積み重なっている。
そのてっぺんで二羽のアオサギ?が羽を休めていた。
源済岩から見た源済橋。
反対に源済橋から源済岩(の裏側)を見るとこんな感じ。
源済橋には水管橋としての役割もあり(というかむしろ水を通すのが主目的で道路はついでっぽい)、付知川からの取水を木曽川右岸の台地へ灌漑用に供給している。
ちなみにその途中では円筒分水で各地区への分配を行っている。
吉村源済も付近の原野の開拓を進めたという話が伝わっているので、その志を実現する水管橋にその名を冠したのは実にいい命名だと思う。