飯田線中部天竜駅と佐久間駅の間にある天竜川橋梁です。
河口近くの東海道本線天竜川駅と豊田町駅間にも同名の橋があってややこしい。
右岸(南側)上流側から。
いかにも鉄道橋っぽい緑色のワーレントラス橋だ。
この橋を今回取り上げたのは、このように側道があって人も渡れるから。
幅は一人分で、お互い体を横にすればすれ違いもできるかな、という程度。
半場や中部(なかべ)と佐久間の間では徒歩での行き来が難しい(左岸の国道473号線には歩道がなく距離も長い)ので、このような人道が設けられていると思われる。
上流側には「天竜川橋りょう」、下流側には銘板が見える。
橋の上から上流側を望む。手前に見えるのは先代の橋の遺構だろうか。
トラス越しの下流側。この日は水量が少なめだったようだ。
佐久間側のたもとには佐久間ダムから水を利用する発電所と放水口がある。
Wikipediaによるとこの発電所の年間発電量は日本一というので、放流時の様子も見てみたい。
渡り終えて左岸(北側)から。
右岸では橋名と銘板は両側に分けられていたが、左岸では何故か一緒に上流側に配置されている。
べつにどーでもいいんだけど気持ち悪い。
左岸では銘板が人道側にあるので見やすい。状態もこちらの方がいい。
建設は昭和30年、現在の横河ブリッジの前身にあたる横河橋梁製作所によるもの。
時期的にはすでに佐久間ダム関連の工事が始まっている頃なので、前述の放水口や発電所の建設を前提にしていたと思われる。
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おまけ。
佐久間ダムが描かれたマンホール。しかしこれだとダムから汚水が流れているようでヤだな…。
橋の南詰にある「三信鐵道建設工事殉職碑」。「昭和十三年八月」の日付が見える。
三信鉄道は現在の飯田線の前身で、飯田線を知っている人ならわかると思いますが、全体に山の中をムリヤリ通しているような路線なので工事中の事故で殉職した方も少なくなかったようで、裏には54名の名前が刻まれている。
中には朝鮮系らしい名前も多数見えた。
こちらのページには敷設にあたって「橋梁17・隧道171が作られ」とあるので、それだけ危険な箇所も多かったのだろう。