幡豆の「こどもの国」南西の海岸沿いに鎮座する津嶋社です。
神社正面。手前の防潮扉から分かるように、海を目の前にしています。
水盤には小さな屋根が取り付けられています。
この後、すぐ隣の八幡宮や少し北へ行ったところにある彦田神社でも同じように水盤に屋根をかぶせているのを見ました。
私は他の場所でこういうものを見たことがありませんが、どういう意図なんでしょう?
手水舎の代わりなのか、あるいは海が近いから塩水が混じらないように、とか?
境内全景。元が砂浜なのか木は少なく広々としています。
拝殿隣の石仏と寛政9年(1797)の「三寶荒神祭」の石碑。
拝殿後ろの一段高い塀というか瑞垣の中に本殿と境内社が祀られています。
境内社は稲荷社と金毘羅社。
金毘羅社はやはり海に関わる人が多い土地柄ゆえでしょうか。
本殿屋根の跳び狛。
「愛知県幡豆町誌」を見ても由緒や創建年は不明で、祭神が建速須佐之男命としか載っていませんでした。
検索すると「小見行組の写真日記」というページにお祭りの様子が載っています。
幡豆では各集落ごとに「組」という町内会のようなものがあり、この津嶋社は小見行組(こけんぎょうぐみ)が世話をされているようです。
地続きになっている隣の八幡宮へつづく。