前回の津嶋社と隣り合う八幡宮です。
神社正面。鳥居は両部鳥居。
灯篭の台座正面に「台石寄附 濱之山 石工中」とある。明治の頃のもの。
現在、浜ノ山の字名はこの場所の南東に見えます。
そこに石工の人たちが多くいたんでしょうか。
形原の海岸に名古屋城の石垣のための採石跡というのが残っていますが、関係あるのかな。
前回も触れた、屋根つきの水盤。
このように立派な手水舎があってもさらに屋根をつけるからには、やはり理由があるのでしょう。
狛犬。大正15年、作者不明。これも浜ノ山の石工作なのかな?
拝殿前は明るく開けています。
向かって右の境内社、白山神社。
こちらの水盤は古いもののようでしたが判読できず。
さらに津嶋社へつづく東側の木立の奥にもう一社あります。
戸の隙間から中をのぞくと「竜宮」の額がかけてありました。
海の神様ということで祀っているんでしょうか。
その他、本殿となりの小祠に御鍬社と稲荷社が祀られています。
八幡宮の創建は天正年間(1573~92)に細川左馬尉という人が鎮守として祀ったと伝えられる。
当時は森村、小見行村、谷村、桑畑村の氏神だった。
明治に入って社格制度を整備した際に、調査から漏れて無格社になったというお茶目な(?)一面も。
以上『愛知県幡豆町誌』から。
神社の前は海。