ろみかです
ご訪問ありがとうございます
前回のブログもありがとうございます
先日、弟の誕生日でした
わたしと弟は9歳離れています
弟が生まれた日のこと
弟が退院して家に来た日のこと
今でもクッキリと覚えています
当時、わたしは
赤ちゃんのお世話をしたくてたまらず
お下がりの肌着やおむつやロンパースを
ぬいぐるみや赤ちゃん人形に着せたり
当時すでに紙オムツの時代でしたが
布オムツの折り方を幾つも出来たほど
我が家に本物の赤ちゃんがやってくる
と知った時は嬉しくて嬉しくて
指折り数えて予定日を待ちました
暑い暑い夏の日に
母がサラシの腹帯を巻くのも
よく手伝ったし
生まれる前に
ベビーベッドやベビーバスを買ったり
まっさらな肌着を水通ししたり
いろいろなことを一緒に準備しました
生まれるまで性別が不明だったので
黄色のもので色々揃えて
ベビー布団がスヌーピーだったのも
色鮮やかに覚えています
生まれた日は学校に行っていましたが
同級生のお母さんが
学校の下駄箱まできてくれて
ろみちゃん、生まれたよ!男の子だよ!
と知らせてくれたことも覚えています
弟が退院して家に戻ってきた日は
嬉しくて嬉しくて
夜泣きで起きるたびに一緒に起きて
弟を眺めていて
ずっと見ていたいから学校を休みたい
と母に頼んだほど
学校には行かされましたw
とにかくお世話をしたくてしたくて
習い事も全部やめて
せっせと毎日面倒をみたので
ミルクもおむつもお風呂も離乳食も
お散歩も公園も寝かしつけも
何でも出来る小学生で
母からは
3歳までは半分は一緒に育ててもらった
と言われたほどでした
乳幼児の弟の面倒をみるのが
好きすぎただけなので
大きくなった弟とは
特別仲が良いというわけでもないけれど
我が子のことよりも
弟の赤ちゃんの頃の方が
記憶が鮮やかな気がします
母が亡くなった今
母とわたしがどんな会話をして
弟の誕生をどれほど楽しみにしていたのか
父はそんなことは1つも知らない
生まれたことをどれだけたくさんの人が
喜んでくれ、可愛がってくれたのか
弟に話す機会もなかったのですが
今度話してみたいと思います
弟の世話をした経験があったおかげで
我が子が生まれた時には
最初からお世話は朝飯前でした
日本から産後の手伝いに来てくれた母に
まるで4人目を育ててるくらいの
手つきと貫禄とテキトーさだね…
と感嘆されたのが忘れられません
わたしが生まれたての我が子の世話を
最初から不安なく出来たのは
小学生の頃の経験があったから
ひとり旅が得意なのは
5歳からひとり旅をしていたから
と前にブログに書いたことがあるけれど
不安や怖さを乗り越えるには
ただただ経験することしかなくて
近道やワープなんかはないのだと
赤ちゃんのお世話を振り返って見ても
改めて感じます
そして
自分が経験したことのひとつひとつが
自信となり、成功体験となり
自分を支えていくのだな、と
コツコツと日々お稽古を続け
わたしにも出来た
を積み重ねていくことで
グラデーションのように
少しずつ自分の枠を広げ
変化していくのです
自分の枠を少しずつ広げ
不安や怖れを少しずつ手放し
安心、安全で心地よい領域を増やし
自分の安全基地を開拓していくために
日々お稽古をするのです