95歳の奇跡!(その2) | Pon Polo Pooh♪な日々...

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打楽器の「ポン♪」ギター・ウクレレの「ポロン♪」ハーモニカの「プー♪」から名付けられたこの名前...扉を開ければ、そこには...♪

ネパール

 

「モンジョ村の子供達に

学校を贈ろう!」

 

そんな、だいそれたことが

 

果たして実現出来るのか?

 

そこで四郎さんは

 

自身も所属していた

 

加賀地区の山歩き愛好会

 

「ヒマラヤ・ビスターライ・クラブ」にも

 

この思いを相談し

 

同会の会員の協力も得ながら

 

「ヒマラヤの国ネパール写真展」や

 

「ネパールの民芸品即売会」

 

などを

 

各地の祭り会場や

 

大型ショッピングセンター

 

行政の施設などで開催

 


また

 

元教員/校長のキャリアを頼りに

 

松任/野々市/金沢の

 

小学校、中学校、高校などで

 

講演会を行うなどし

 

ネパールの子供達が

 

置かれている窮状を

 

訴え支援を呼びかけたのだ

 

しかし、その活動は

 

苦労の連続。。。

 

なかなか目標額には

 

到達できず

 

もし集まらなければ

 

自腹を切る覚悟も

 

していたそうだ。

 

なぜなら学校建設計画は

 

地元コーデネーターとの間で

 

話は進んでおり

 

2001年の開校を

 

目指していたからだ。

 

早く送金しないと

 

計画が頓挫してしまう

 

あせる気持ちも

 

あった事でしょう。

 

でも、大きかったのは

 

新聞記事などで

 

活動を知った

 

匿名での大口募金や

 

友人、知人、親戚の方々

 

そして教員だった頃の同僚や

 

退職した元校長教頭などからの

 

大きな支援を得られたことだったと

 

四郎さんは回顧する。

 

そうこうしている内に

 

学校の完成予想図なども

 

完成してきた。

 

 

 
平屋建ての学校。
 

ネパール/モンジョ村では

 

学校を建てる話は

 

すでに進んでおり

 

先行して建設場所の

 

整地なども始まったという

 

情報が入ってきた。

 

支援はお金だけで無く

 

学用品や文房具

 

軽運動用具

 

ボール、鍵盤ハーモニカ

 

救急箱用の薬品

 

鯉のぼり(笑)などなど、、、、

 

様々なものが

 

集まってきた。

 

 

そして、ついに

 

支援活動が始まって

 

4年目の2000年に

 

建設費用の目途もつき

 

学校建設に向け

 

工事が着工されたのだ

 

 
 
 

 工事も順調に進み

 

翌年には完成し

 

2001年10月に

 

開校式が行われることに。。

 

四郎は

 

ご支援をいただいた

 

有志の皆さんと

 

ヒマラヤ

 

トレッキングツァーを敢行!

 

 
 

 
 

開校式には

 

参加者全員も参列し

 

記念運動会なども開かれ

 

盛大に行われたそうだ

 

 

 

 帰国後には

 

新聞でも

 

大きく取り上げられました。

 

 
こうして
 
モンジョ村に学校が建設され
 
これまでの暗い学校から
 
明るい校舎で
 
勉強をすることが
 
できるようになったのだ。。。
 
そして、引き続き
 
支援はつづく。。。。
 
 
 

 95歳の奇跡(その2)

 

次につづく