6月に縄文時代の代表的な遺跡
三内丸山遺跡に行ったこともあり、
7月に、弥生時代の代表的な遺跡、
吉野ヶ里遺跡へ行ってきました。
吉野ヶ里遺跡はこれで3度目の訪問
初めて訪れたのはもう30年以上前のことです。
それ以来、来るたびに発掘調査が進み見学エリアも広くなっています。
1ヶ月前に見た三内丸山遺跡とついつい比較してしまいます。
竪穴住居については、細かい違いはありますが、正直大きな違いがわかりませんでした。
何千年も時代が違うのに不思議な気がしました。
ネットで調べてみましたがやはり、大きな違いはないようでした。
一方、弥生時代には稲作が普及して大規模集落となり、ムラができ、クニができました。
それに伴い、リーダーが生まれ身分の違いも出てきました。
ムラの中心部には祭祀的な意味合いを持つ建物が作られてリーダーや司祭者が住んでいました。
さらに、弥生時代になると平地式建物や高床式建物が加わり、食糧や武器などの倉庫として活用されるようになります。
弥生時代には鉄製品も作るようになりました。
盾や鉄製の武器も見えますね。
外敵から集落を守る外壕の範囲は南北1km以上、東西は最大で0.5km以上、面積は約40haあったと考えられています。
物見櫓
クニができればクニ同士の争いが起きる。
人類が永遠に克服できない課題なのかもしれませんね。