山内丸山遺跡、
平成4年から始まった発掘調査で、縄文時代前期~中期の大規模な集落跡が見つかり、多くの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、多量の土器や石器、木製品などが出土しました
その後、調査が進み、平成12年には国の特別史跡に指定され、さらに平成15年には出土品1958点が重要文化財に指定、また、令和3年7月には三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されたところです。
(北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡の合計17遺跡で構成されています。)
実際に遺跡を見る前後の時間で館内にある展示物で予習・復習をしました。
何せ、私の学生時代にはこの遺跡は教科書でも見たことなかったもので💦
(高校で日本史は選択していなかったのでもしかしたら記載はあったのかもしれめんけどね)
5900~4200年前の縄文時代の大規模集落
この地は、標高約20メートルの丘上にあり、前面には貝のほかサケ・マスなどの回遊魚などの水産資源が豊富な内湾及び河口にあるとともに、後背地には栗や胡桃などの落葉広葉樹の森が広がっていて、食生活などの環境に恵まれていました。
集落には、竪穴建物、掘立柱建物、列状に並んだ土坑墓、埋設土器、盛土、貯蔵穴、道路、大型建物などが計画的に配置されています。
祭祀や儀礼、墓地などの文化も構築されていて、自分が思ってたよりはるかに縄文時代は高度な社会だったんだなと目から鱗でした。
個人的には古墳だけでなく、お墓の文化は昔から興味が大きい分野です。
このお墓は一般人のお墓より大きなもので有力者の墓と考えれれています。
こちらは大人の墓
墓の中から副葬品として石器や翡翠性のペンダントが出土していた例もあるようです。
列状に並んでいます。
子供の墓は土器に入れられていたそうです。
発掘は現在も進められているので今後、さらに新しい発見が期待されます。
復元した竪穴建物
時代考証から茅葺、樹皮葺、土葺の3種類の材料を使用していたであろうと想定して復元しているそうです。
土葺
樹皮葺
茅葺
盛土
端的に言えばゴミ捨て場
大型堀立柱建物
写真にある人の身長と比べるとその大きさがわかると思います。
柱はこれまでの調査で全体の大きさを推定できていますが、屋根についてはどんなものだったか根拠がわからないため復元されていないそうです。
推定、紀元前2600年頃のもの
その時代にこれだけの大きさの建物を築くことができたなんて本当にびっくりですね。
地下水が豊富で、木柱の周囲と底を焦がしていたため、痕跡が腐らないで残っていたそうです。
長さが10メートル以上のものを大型住居跡と定義しているそうです。
三内丸山遺跡では、最大のもので長さ約32メートル、幅約10メートルのものが見つかっています。
集落の中央付近から見つかることが多いたことから、集会所、共同作業所、共同住宅などに利用していたとの説があります。
三内丸山遺跡で縄文文化について学んだので、勢いに乗ってこの1ヶ月後(7月23日)に弥生文化を学ぶため、佐賀の吉野ヶ里遺跡に行ってきました(笑)
いずれブログで書きますね。