しあわせの種まき 花音 -59ページ目

しあわせの種まき 花音

☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

こんばんは。ちょうど一年ほどまえに初めてお会いした方からメダイとメッセージをいただいた。こんな風にメッセージが届けられるって思いがけずでありがたいなあと思ったよ。ふと思い出したので書いてみたよ。
 
ルルドとマリア様とは魂のご縁を感じます。なんか懐かしい気分がする。
 
後ろを振り向く必要は無い。
後はあなたの糧となり力となるもの全てが後押ししてくれて前にはあなたを迎える光の道がある。
あなたの明日は何が起きたとしても光のシャワーが降り注ぎ毎瞬あなたに愛を届ける。
あなたはただ正直にまっすぐに心のままに進むだけ安心してね。大丈夫だよ。
あなたは何が起きても大丈夫。あなたがあなたの思いに耳を傾け進むだけ。光のシャワーはどんなときもあなたを守り支え続ける。
 
ありがとうございます。
 
それでは チャオ⭐︎
 
 
 
 

こんばんは。昨日小諸節が江差追分へとつながっていった話しをかいた。

奈良平安時代に小諸で生まれた歌が、信濃追分宿で歌われていて、それが数百年を経て
そこの飯盛女の歌う賑やかな酒宴の歌として追分節となり、越後に伝わり、船で北海道に伝わり江差追分という日本を代表する民謡として大成した経緯はとても興味深い。
 
信濃追分などの追分という場所は街道の分岐点、いまでいうとジャンクション的な感じの街。そこは文化や物流の交わる場所。信濃追分の場合は中山道と北国街道の分岐点。
十文字とか十の交差する点はエネルギーが強く働くのだという。そのボルテックスの中で培われた歌にはパワーがあったのだろう。又追分には 浅間神社がある。小諸節はその神社の神事歌であったわけだから、浅間山麓の神々のパワーも宿っていたんだろう。
追分は出会いの交点でもあったが、分かれる、別れの場でもあったわけで、モンゴルの人々の郷愁は旅人の郷愁と共鳴して、旅する人々に歌われて北国街道を北上して越後にたどり着く。そして船で北海道へ。蝦夷の人々も開拓などで元々の故郷から遠く離れて暮らしていたのだろうから、モンゴルの人々の郷愁、望郷は人一倍理解出来たのではないかなあ。だから江差というニシン漁が盛んでさまざまな物流の繁栄した場所で多くの人々が行き交う場所で、別れや出会いも沢山あったろう。ふと山を見て故郷を偲ぶというのは理解出来るなあと感じたのだった。山とは母性的でもあるのだ。歌うことで心は安らぎ思いは昇華されていくのだろうなあ。そんな思いが江差追分として洗練されて身を結んだとしたら。歌は暮らしと共に息づいて変容していく。生きているのだ。
思いついたこと書いてみました。今日もありがとうございます。
 
 
 

こんばんは。信濃の伝統音楽という本を読んでます。

その中に 正調小室節のことが少し書いてありました。
この本の中では 小室節ではなくて小諸節という表記になっています。
小諸節ということで そう小諸市に伝わる節歌なんですが、
小諸馬子唄の原曲とも言われています。小諸馬子唄は江戸時代に信濃追分から江戸へと伝わり、江戸の流行歌となったそうです。
 
奈良、平安時代に日本最大の牧場が御牧が原にあり、馬の飼育のために渡来してきた騎馬民族、モンゴルの帰化人が歌った望郷の唄が 浅間神社の神事唄となり、小諸の建速神社の神賄い唄となって 小諸節として成立したんだそうです。
 
日本の民謡の源流ではないかと言われていて、東洋人に共通する郷愁の情を表す格調高い叙情的な民謡と書いてありました。
私は牧歌的で浅間の雄大な景色とのどかな感じが好きです。
小諸節はその後新潟 越後に伝わり、北前船にのって北海道に伝わり、江差追分という唄になっていきます。 小室節も江差追分もそれぞれ全国大会がある有名な民謡です。道や船の物流などで歌も伝播していくのは面白いですよね。
今日はハナタレナックス全国放送でした。知床の自然 雄大だなあと思い、楽しく見ました。北海道の自然を見ていると長野の自然も愛おしく思います。モンゴル人が故郷を歌った歌に古代の小諸の人も感じいって、地元への愛を感じて歌を作ったのも同じかなって思いました。今日もありがとうございます。