こんばんは。摩利支天って知ってますか?
Wikipediaによると
仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属である。
原語のMarīcīは、太陽や月月の光線を意味する。摩利支天は陽炎を神格化したものである。
陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
とあります。
私数年前に地元の神社の裏で、すごく雰囲気のある不思議な場所に 大きな石碑があって、そこに摩利支天って書いてあって、それがとってもインパクトがあったんです。
でも調べてみても 上記の文章読んでも何故気になったのかわからなかったんです。
日本の仏さまに甘えるという本を借りたんですが そこにわかりやすく書いてありました。
太陽や月の光線、陽炎の神格化である摩利支天は、とらえどころのない仏様です。摩利支天を信仰すれば、他人がその人を、見ることも・知ることも・とらえることも・できない、要するに、害されることがない、というのが摩利支天の功徳。
古くはこれを「摩利支天隠形法」と呼び、自分の姿を隠すことができるとされたのです。護身法の一種ともいえるこの法を、戦いを日常とした武士や忍者がとりわけ好んだのです。
なるほど~、それはいいわ~。人って隠れたい、隠したいことってあるものね。使えるじゃん。
石碑があったのも小諸など浅間山麓は山岳信仰がさかんで 修験者や忍者がたくさんいたようなので、信仰されていたんですね~。
ところで、 仏教では摩利支天と大黒天と弁財天を「三天」といいます。三天とも庶民のあいだで人気の高い守護尊だそうです。
大黒天と弁財天は今日、その絵像や彫像がお寺などに多く残されているのに、摩利支天を祀るお寺などはごく少ないのが実情だそうです。一時は大流行するほど信仰されたのに、なぜなのかというと、
彫像の長さ半寸一寸二寸以下サイズがよしとされていたそうで、一寸が3センチなので、超ミニの携帯サイズで、武士の場合、髷(まげ)のなかに隠し入れて「密かに」所持したのだとか。だから仏像の仏像と違ってお寺などに祀られなったようなのです。
なるほど~、今の時代 大黒様や弁天さんは知っていても 摩利支天なんて知られてないのはそのためなんですね~。
人々は摩利支天をその特性から「秘かに」信仰していたそうです。他人に知られないように、持っていることも秘密にしていたそうです。
武士は、戦場はもとより、日常においても気のゆるみがちなシチュエーション、たとえば睡眠、入浴、来客、飲食、トイレのときなどに摩支利天の真言をとなえたといいます。
武士で摩利支天を信仰した者はかなりの数にのぼると思いますが、みな「秘密」にしたため、あまりわかっていません。わずかに、楠木正成、毛利元就、山本勘助、前田利家などの名があげられるそうです。
小諸城は 山本勘助が武田信玄の命令でつくった城なのですが、勘助が摩支利天を信仰していたって興味深いなあと思いました。
こちらが摩利支天さま☆いのししに乗っているんだそうです。
知りたかったことがわかって 満足じゃあ。
なんか自己満足なブログでごめんちゃい。 それでは今日もありがとうございます。
追記 これからしばらくは 別ブログに記事をかいていきます。では、では。