こんばんは。前回のブログ 佐久の虚空蔵山の由来
文治二年(1186年)三月、西行法師は善光寺・姨捨から布引の寺を参拝し御牧ヶ原にて
上記布引の寺とは布引山釈尊寺 通称 布引観音のことだ。
このお寺は「牛に引かれて善光寺詣り」の伝承の地
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23歳で栄達の道も妻子も捨て、世俗と決別して出家した西行。
吉野の山に隠棲し、高野山に庵を結び、生涯の多くを漂泊の旅に費やした。
花を月を歌に詠み、奔放で自由、そして率直な心象の吐露は、
800余年の時代を超えていまも現代人の心に響く。
旅と歌に生きた西行は特に桜を好み 沢山の桜の歌を残している。
そんな桜の季節に 西行ゆかりの地へ行ったのも何かの縁だろうと思う。
西行は出家するけど、俗世間との結びつきを捨てられず、 俗と聖のはざまで
悩み苦しみ 孤独やさみしさを率直に歌にしている。そこが共感して私は好きだ。
人間味あふれるその姿に 人々は自分を重ねる。
旅のする中でさまざまな悩みや煩悩を歌に詠むことで罪、けがれや情念を白日の元にさらし、浄化し、和歌と言う芸術作品として昇華させる。鎮魂でもあり祈りでもある歌。
マレビト(諸国を巡る漂泊の民)の祈りでもある歌。
西行はスサノオの働きを担うものだったのだ。
私はマイノリティ、少数民族とか ニッチなもの、ノマドなものに心をよせることが好きだ。
自分が そうだからだと思う。
今日もありがとうございます。





