しあわせの種まき 花音 -48ページ目

しあわせの種まき 花音

☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

こんばんは。安曇野に行きました。

 

きっと美味しい水に出会えるだろうと見込んで、ポリタンクを持参。

 

そしたら ピンポン:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

 

満願寺のお水を 行った場所でいただきまして、、、

 

ものすごく柔らかい優しい波動のお水に大感激しました。

 

翌日 ご縁の方々と伺いました。素敵なお寺さんでした~。

 

お水を汲ませていただきました~。 うほほーい ありがとうございます。

 

湧き水フェチな私です。こんな美味しいお水が飲めるなんて

 

安曇野の人っていいなあ。と思ったのですが、

 

そういえば、前 ラジオを聴いていたらパーソナリティの方が

 

 「長野に引っ越してきてお水が、なんて美味しいんだろうと感激しました。

  長野って水道水さえも美味しいんですよ。」

 

と言っていました。

 

住んでいるとそれが当たり前で気づけないのですが(;^_^A、

 

安曇野のお水をいただいて

 

やはり 北アルプスの山々の恵みの水は すばらしく美味しい☆☆☆と

 

しみじみ思いまして、自然の恵みのありがたさを実感しました。

 

 

 

満願寺(まんがんじ)は安曇野市にある真言宗豊山派の寺院。

山号は栗尾山。千手観世音を祀っており、信濃三十三番札所の二十六番札所であるそうです。 wikiより

 

 

 

神亀年間(725年ころ)に、池から出現した1寸8分(約5cm)の仏像を安置し、堂宇を建立したのが創建の由来であるとの寺伝を持つ。また、坂上田村麻呂が八面大王を成敗した際に力を貸したので彼が再興させたとの伝承もある。しかし、似たような坂上田村麻呂による中興との言い伝えを持つ寺院は界隈に多い。

木曽義仲が養和年間(1181年ころ)に山林を寄進したとの古文書がある。中世以来安曇郡一帯を治めた国人領主仁科氏が滅亡すると、織田信長以後の天下人は安曇郡を松本城主の所領とし、1582年(天正10年)ころ、同城主小笠原貞慶による再建修理の際に現在地に移転した。これ以後、松本藩の保護を受ける]。十返舎一九の『続膝栗毛』では当寺を参詣する場面が描かれている。 wikiより

 

 

桜の満開のころはさぞやきれいだったろうなあ。

 

 

 

これからのシーズンはつつじが有名だそうですよ。

 

今日もありがとうございます。

こんばんは。松代の玉依比売命神社などへ行きました。

 

前から行ってみたかったんだよね。海の女神さまのおやしろへ・・

 

もう とっても素敵で とろけそうなくらい優しい女性性の神社でした。

 

いくつになっても可愛らしい純粋な少女のようなみずみずしい

 

エネルギーの 玉依比売命さま。もう~ファンになってしまいました。

 

どんなことがあったとしても あっけらかんと笑って、物事にとらわれずに

 

目の前でやるべきことを楽しんでする。そんな感じかな~。

 

そんな風に感じたってことは、自身の中にもそういうエネルギーが

 

育まれているんだなあって思いましたよ。

 

 

 

 

玉依比賣命神社 由緒

〈 由緒 〉
 神社創建の縁起によれば、

「人皇八代孝元天皇十六年四月十六日東条斎川の地に勧請された」とあり、

斎川は現在の岩沢である。

その後磯並(現在の中川)に移り、磯並三社大明神と称した。

現在の地に鎮座したのは寛喜二年(1230年)と伝える。
 延長五年(927年)左大臣藤原忠平らにより撰進された延喜式五十巻の中の

神名帳に記載された信濃国四十八座の式内社の一つとして、

その歴史は極めて古い。現社殿は天保四年(1833年)に改築された、

八棟造りを模した荘厳な建築である。

〈 祭神 〉
主祭神 玉依比賣命(初代神武天皇の母神)
合 祀 天照太神・建御名方富命・素戔嗚命

〈 主たる神事 〉(抜粋)
児玉石神事 御田祭の翌七日早朝より、

神社の神宝で県宝にも指定されている古墳時代からの翡翠の勾玉・管玉などを

主とした「児玉石」の数を改める。平成二十三年は八百二十七個。

今も玉の数の増減でその年の吉凶を占う。

 

こんばんは~。

とっても興味深い本をお借りしました。

「地図でわかる天皇家の謎」という本です。

Yさんありがとうございます。(^∇^)

 

その中でとっても好奇心が刺激されたのが 

24度傾いた謎の「白鳥ライン」についての記述です。

忘備録として 書いておきたいと思います。

 

日本各地には白鳥神社、大鳥神社等、ヤマトタケルを主祭神のひとりとしている神社がある。

ヤマトタケルは死後、白鳥となって飛び立ったという伝承がある。こうした神社は白鳥伝説に関係しているものが多いそうだ。

 

このように白鳥など鳥に関係する神社や地名をつなぐと、時計の反対まわりに24度傾いた線が引けると主張した人物がいた。それも1本ではなく、日本中にたくさんあるというのだ。それを「白鳥ライン」と呼んでいる。発見したのは、古代史家で白鳥研究家の芦野和泉さんという方だそうだ。

 

おお~、興味深いわああ。

長野の東御の白鳥神社も富士吉田の白鳥神社とラインがひけるようだ。

 

日本全国で見ることができる 白鳥ライン とはなにを意味しているのだろうか?

 

約24度という傾きの意味は、じつはよくわかっていないそうだ。地球が太陽を周回する公転面に対する地球の地軸の傾き(23.4度)とほぼ一致はしているようなのだが。

 

ただ、この同じライン上に立った複数の人物が、山などで狼煙や鏡による光の反射などで連絡をとりあう、一種の「高速通信」を試みた場合、この角度には「連絡を行う時間を決めやすい(日の出時刻がほぼ同時)というメリットがあるのだいう。

 

そうだとすると、これは古代の一種の「光通信」ラインということになる。白鳥という「空を飛ぶ」生物の名前がついていることも意味深長であるという。

 

民俗学者の谷川健一氏によれば「鋼や鉄を精錬する人たちは、白鳥を神と仰いだ」というのである。

白鳥を神と仰ぐ彼らは、自らを白鳥の子孫と考え、銅器や鉄器、水銀など金属の精錬に長けた王国をつくっていたという。それは大和朝廷ができる前の時代の話だという。

 

だとすれば、白鳥ラインは、鉱物の産出地を示す地図であり、鉱物を精錬する技術者がいた場所を示す地図でもあったということになる。

 

この場合には ヤマトタケル伝説も根本から意味が違ってくる。彼はそうした「まつろわぬ民」を制圧しながら、彼らの財産である鋼や鉄の産出地とその精錬技術を奪っていったのだ。

言葉をかえればヤマトタケルの旅は、日本の古代文明の叡智である、白鳥ラインを奪う旅立ったのである。

 

ここまで 本より抜粋させていただきました。

 

東御の白鳥神社は海野宿にあります。

http://isawadai.com/shiratori/

 

東御市は現在も刀鍛冶の有名な方などもいるから、鉄などについての技術産地であったとしても腑に落ちます。

 

あと、現在発見されている蕨手刀で最古のものは、長野県東御市祢津(旧小県郡東部町祢津)の古見立古墳出土のⅡ型(中部・関東型)蕨手刀で、その副葬品などから7世紀初頭(600年代初頭) だそうで、 

 

最古の刀が この地域から出土しているのも興味深い。。です。

 

だけど

ヤマトタケルが鋼や鉄の産出地とその精錬技術を奪っていったというのはなんだか腑に落ちない表現なんです。だって、白鳥神社が出来たのはヤマトタケルが死んだ後だから。。。

技術を奪っていった人を 神社にまつって崇めることするんだろうか???

謎ですね~。

 

そんなわけで海野の白鳥神社、海野氏の菩提寺 興善寺等にもうかがいましたよ。

 

今日もありがとうございます。