しあわせの種まき 花音 -47ページ目

しあわせの種まき 花音

☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

こんばんは。続きです。

 

マヤ暦で 人物像をよむのは邪道と思う人もいるとはわかっているのですが、

幕末の人物をマヤ暦でみてみると、いままで見てきた景色とは違ってみえて、

その人物への理解が深まるというか、別角度で見ることができるのが私は楽しいです。

そんなわけで 真田シリーズご覧ください。

 

佐久間象山が世に出たのは 真田幸貫という藩主がいたからです。

幸貫公が老中となり 海防掛に任命されたことで、象山がその顧問としてブレーンへ抜擢されるのです。当時 日本海には外国船が出没しており、中国はアヘン戦争でイギリスに敗北し、幕臣たちは大慌て、、、幸貫は海外事情の研究調査を命じられます。

象山は海防八策という意見書を提出します。それはとても評価されるのですが、当時取り入れられることはありませんでしたが。

 

実は真田幸貫は 徳川吉宗の曾孫で 寛政の改革を行った松平定信の子です。

しかし、庶子だったため、養子として真田家にはいり家督を継ぎます。

つまり、幸貫は徳川家の人間だったのです。

松代藩では外部からの人間ということもあり、保守的な家臣たちに遠慮して気を使っていたようで、新しいブレーンを望み、人材育成に力を入れ、新しき人材の登用を行います。

その一人が幼き頃から天才とうたわれた 佐久間象山でした。

象山は幸貫の命令で洋学を学んだりして江戸で頭角をあらわしていきます。

 

そんな真田幸貫のマヤ暦を調べてみました。

KIN59 青い共振の嵐( 青い嵐 WS赤い空歩く人 音7)

 

象山の 黄色い星 と幸貫公の 赤い空歩く人 は 神秘KINの関係になります。

つまり 二人は違うタイプながら 強烈に惹かれあう関係性だったというわけです。

 

象山にとっては幸貫という人との関わりと援助によって才能が開花していくわけで、

天下にその名を知られるようになり、国家のために貢献できるようになったのは

幸貫のおかげだったわけです。

まさしく運命の人といえますね。

 

幸貫は改革者であり実践派で自分の足で確かめ足を運び世のために尽力する。

いろんな方面に気をつかい、バランスを取り、繊細であり用心深くもありつつ、

とても面倒見がよく、苦労してきただけに人の気持ちのわかる懐の深い人

だったんだろうなあとマヤ暦から観じます。まさしく名君ですね。

 

実際 幸貫公が亡くなった時 象山は 号泣したそうです。

高邁な孤高の天才だった象山も幸貫公のことは師匠と仰いでいたようです。

 

その後幸貫の孫の幸教が家督を継ぐのですが、まだ年若い藩主であり、家臣たちの力が強く、象山は傲慢で家臣団から嫌われていたので、藩内で後ろ盾を失いだんだん用いられなくなってしまいます。かなしいかな。

 

それにしても真田と徳川の因縁といいますか、縁は深いなあと感じます。

真田家を徳川家の幸貫が家督を継いだことで、外様大名であった真田家が譜代大名格となり、老中に抜擢されたため国政にかかわることになるのです。それで象山が用いられ、

象山は徳川の幕府のために尽力するわけですが、その象山の思想は 薩長の幕末の志士たちに大きな影響を与えます。そして徳川慶喜に招致され、京都へ行った象山は

「公武合体」「開国論」を朝廷側に説くことで、尊王攘夷派に命をねらわれ暗殺されてしまいます。そして松代藩は戊辰戦争では 薩長に味方して幕府軍と戦っています。

なんといいますが、因果はどんどんめぐってゆきますね~。

 

ところで 童門冬二さんが「佐久間象山 幕末の明星」という本を書いています。

(私はまだ読んでません)

 

 

童門さんは歴史小説を沢山書いていらっしゃるので、その一つなんですが、

 

幕末の明星と言う表現が 的を得ていてビックリ。

 

☆追記です。

本を今読んでいるのですが、象山の幼名は啓之助で これは「東に啓明あり」という詩経の一文からとったそうで、啓明とは金星のことで、つまり空に輝く明星

「明星のように輝いてほしい」という父の願いでつけられたそうです。

おお~黄色い星の日にうまれるべくして生まれたんですね。

 

黄色い星の象山さんを明星と表現するなんて、、、と気になって

童門さんのマヤ暦を調べてみました。

 

そしたらKIN59 青い共振の嵐( 青い嵐 WS赤い空歩く人 音7)

真田幸貫公と一緒でした~。おおおビンゴ☆。

象山に共鳴して惹かれたから本を書いたんでしょうね。

 

童門さんは東京都の美濃部都知事のブレーンとして12年活動していて、それを辞めたあと作家になって沢山の歴史小説をかいてるそうです。

幸貫公は老中 水野忠邦に老中に抜擢されて 天保の改革の一翼を担ったそうです。

そして和歌など秀逸な作品をたくさん残したそうです。

 

政治に文学と やってることもこの二人すごく似てる。。。面白い

 

不思議なんですが、魅かれたり気になる歴史上の人物を調べてみると、

自分自身とマヤ暦の関係性があるケースがすごく多いです。

 

かくゆう 佐久間象山は私にとっては 黄色い種さんなのでガイドキンになります。

佐久間象山の生き方は 人間関係はとても不器用だったけど 自分の思想や才能に自信をもって国の行く末を純粋に思い、まっすぐな生き方をした人だなと感じます。

 

ところで、門下生だった吉田松陰らと象山のマヤの関係性もかなり面白いです。

つづく。

 

お読みいただきましてありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは~。先日 松代に行ったのですが、その時象山神社にいきました。

 

象山神社とは 佐久間象山を祀った神社です。象山が住んでいた場所につくられています。

 

とっても気持ちのいい神社で正直驚きました。

明晰でクレバーでアーティスティックであり、風通しのいいエネルギー。

天才ってこういうことなのかあ。。。とちょっと象山のスピリットを観じた私です。

 

松代が生んだ 幕末の天才兵学者 佐久間象山。 

長野県の歌「信濃の国」の中にも歌われているので、長野県民にはおなじみな方ですが、

私は象山は なんだか怖~い印象があって それほど興味はありませんでした。

だって、肖像画マジ怖いんだって。。

 

だけど、真田丸の最終回で 

有働アナのこのナレーションで締めくくられた時に、、、鳥肌がたってしまって、、、。

 

因果はめぐる。歴史はめぐるじゃないですが、「徳川幕府崩壊のきっかけを作る、、、、象山」

とはすごいところをもってきたなあ、さすが~三谷幸喜さんって思って感動してしまったのです。

 

それで象山について 興味を抱くようになったんです。単純ですね。

 

佐久間象山のマヤ暦を調べました。

 KIN148 黄色い倍音の星(黄色い星WS黄色い種 音5)

 

「星と種」 そのまま よむと 「スター・シード」になるんだべさ~。

 

実際 象山の思想や教えは まさしく 人々の使命に点火したんだと思うんです。

 

江戸での象山の門下生に 吉田松陰、坂本竜馬、勝海舟と

そうそうたるメンバーがいます。彼ら幕末の志士の人々への影響力は計り知れなかったわけです。

象山の革命思想は 「夷の術を以て夷を制す」 開国をとなえるのだが、それは究極の攘夷のための開国で、西洋の優れた技術を取り入れて、強い国になり、植民地化はさせない。西洋のその技術力をもって侵略者を追い払うというもの。「和魂洋才」 西洋の科学技術や文明はとりいれつつ、魂は大和魂でいく。日本人の気高い民度は教育や道徳などで養い大切にする。こんな感じらしい。

 

象山自体は暗殺されてしまって、松代藩によって家も取り潰しと なんとも報われない終わり方をしてしまったんだが、明治という時代になって、象山の思想はいかされていく。。

時代を見据えて 現実を先取りした思想の先駆者として種をまいたんですね。

実ってよかったわ。そして昭和になって祀られて神社にもなった。

 

また実用的な発明したり、素晴らしい書や絵をかいたり、琴や音楽も奏でたりと 

幕末のレオナルド・ダ・ビンチともいわれたっていう、、本当にスター・シードそのもの。

黄色い星だもの、、芸術家で美意識が洗練されていて、いろんな物事をアートとして形にする天才ですよね。

 

性格は傲慢で高ピーで嫌われていたというが、多分当時の人々には、この宇宙人さんが理解できなかったんでしょうね。まあ、象山先生は人にどう思われるかなどまったく気にも留めていなかったらしい。さすが~。

 

ちなみに三谷幸喜さんのマヤ暦は

KIN146 白い電気の世界の橋渡し(白い世界の橋渡しWS黄色い種 音3)なんです。

 

そうなのだ、、、KIN148 の象山と同じユニットなのです。。

なので象山に対する共感というか、理解は深く通じるものがあったのだと思う。

学者肌で勉強家で興味あることを調べたり研究したりすることが好きで、寝食忘れて没頭する黄色い種同志ですね~。

だから、自身の大河ドラマの「新撰組」の時に第一回目に佐久間象山を登場させているのでないでしょうか?実際、近藤勇とは面識があったそうだ。

 

そう戦国時代の真田と徳川の話は幕末につながっていくのだ。

それをつないでいるのが象山なのだ。さすが 白い世界の橋渡しの三谷さん 

人と人をつなぎ、時代と人をつなぎ橋渡しする。

三谷さんのえがく歴史の登場人物は、どの人物にも共感と理解が注がれていて、

小さな役でも丁寧にえがかれていて、その人の人生を感じる。そこが好きです。

 

ああ~、書きたいことがありすぎてなんだかまとまらない。うう。

でも佐久間象山のこと知れば知るほど 興味深いです。

 

つづく。

 

今日もありがとうございます。

 

 

 

 

こんばんは。

 

先日 こんなニュースを目にしました。

 

5月7日が大阪夏の陣で亡くなった真田幸村公の命日とのことで

その御供養と感謝祭が恒例上田駅前の『真田幸村公馬上像前』でひらかれたとのこと。

 

おお~命日。。。

慶長20年5月7日(1615年6月3日)なのか。。。

 

Wikiをみたら 生年月日も載っていたんです。前は書いてなかった気がするが、、

真田丸などもあり研究が進んだんでしょうかね?

仙台真田系譜に載っている情報だそうです。

 

そこからマヤ暦KINを調べてみました+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ。

 

真田幸村 KIN49 赤い惑星の月(赤い月WS黄色い太陽 音10)

 

おお~~、前々から 幸村さんの生き方は 赤い月っぽいと思っていたから

わお~ ドンぴしゃ :*:・( ̄∀ ̄)・:*:

赤ぞろえの甲冑など 赤がキーワードの真田家に附合します。

 

使命が定まるとものすごい力を発揮する赤い月。

古い時代の終焉期に登場した人と、新しい流れを造った人にわかれるという。

 

大坂夏の陣で 豊臣は滅び、徳川幕府 時代となっていくわけで、

一つの時代の終焉の象徴として 幸村さんは生き抜いたんですね~。

 

マヤ暦からみる幸村さんは

 

優しくて優柔不断 周りに振り回されやすく、板挟みになりやすいが、

周りの意見を聞き、各方面の調整役に適任。(音10)

普段は迷いやすく、慎重で思慮深い。

だが、一度決めたら頑固一徹。 無私の心で義を重んじ、筋をとおす。

華があり公明正大で大胆。

 

赤い月に黄色い太陽ときたら、ハンサムかどうかは別にして、色気がありダンディでもてただろうなあ。と想像します。

 

あと、真田家の出た滋野一族は 星を祀る一族だったんですが、 日月星の三光をわけて

海野家「日」、 祢津家「月」 、望月氏「七曜」(星) を象徴をしていたそうです。

 

幸村さんはマヤの紋章でも 「太陽」と「月」を持っているし、音は「惑星」だもの。

すべてが天体に絡んでいるし、一族の象徴とも一緒なのが興味深い。

 

あと幸村亡き後、子供たち(阿梅、阿昌蒲、大八ら)を 助けかくまって育てた 

仙台藩の家老 片倉小十郎の祖先は信州出身なのですが、

望月の片倉出身という説がある。

 

だとすると、片倉家は滋野一族ということになるだろう。

同族である 真田家の子供たちを助けたとしたら理解できる。

 

ちなみに片倉重長はのちに幸村の娘、阿梅を妻に迎えている(すごい縁だよね~)

そして、幸村の息子の大八は のちのち仙台真田家として続いていくことになる。

(伊達家ってしみじみすごいわ~。縁が深かったんだなあ。)

 

片倉家の家紋は九曜で滋野一族や望月氏の家紋と同じなのである。

 

 これが九曜紋 (太陽系の惑星だ~)

 

ちなみに伊達家も 九曜紋も家紋の一つとして使っていたようだ。

 

話はどんどん展開してしまったが、

幸村さんのマヤ暦はとても興味深かったです。

 

太陽や月、星など宇宙と共振して 天命を生きたからこそ、

死後何百年もたってから

その人生にスポットがあたり、人々の人生に感銘をあたえ、

人々の心の中で光り輝くことになったんだろうなあと思ったのです。

 

お読みいただいた方ありがとうございます~。