こんばんは。
祢津というのは東御市にある場所の地名なんですが、
そこに江戸時代 日本一の規模をほこる巫女の村があったという。
その歩き巫女たちは ノノウと呼ばれていたそうですが、
そういえば祖母が 仏壇に手を合わせるとき
「ノノさんに手をあわせな」と言っていたな。
祢津の歩き巫女のことを知ったのは数年前だ。友人に教えてもらって、祢津のお姫尊という所へ一緒にむかったのだが、その時は大雪で御姫様岩まで行くことができなかったのだった。
でも、ノノウが暮らしていたという場所や小路もわかっていて、そこを歩いたりした。
その時にきいたのは 武田信玄に命じられて 望月千代女という人が歩き巫女というか、 くのいち 養成所を祢津につくったという話だ。
望月千代女は一説には、近江の甲賀から、望月城主の望月盛時に嫁いだという。甲賀といえば、甲賀忍者の里だ。
望月と甲賀は長い間、深い結びつきがあった場所だった。
甲賀忍者の筆頭の望月家は 信州の望月氏がルーツだった。
もっとも千代女が嫁いだ時の望月氏は 武田信玄が滅ぼしてしまって、自分の甥っ子に望月の城主として、望月姓を名乗らせていた時
だったので、信玄の血筋だった。
祢津と望月と海野は同じ滋野一族で東信濃の古くからの名門の豪族だった。その一族を武田氏と村上氏、諏訪氏の連合軍が攻め、一時は壊滅状態にしてしまったのだ。
そして信玄は 自分の息子に海野を継がせ、甥っ子に望月を継がせ、
そして、祢津の姫を自分の側室として迎えているのだよ。
滋野一族が大好きだったのね信玄。。。な~んて。
しかしながら、甥っ子の望月盛時は 上杉謙信との川中島の戦いで
戦死してしまった。それで千代女に命じて 巫女の養成をさせたらしい。
でもね。 なんで祢津に巫女の養成所つくったんだろうって、
疑問に感じたの。
それで、調べたりしていたら、1000年以上前から巫女の村、
姫の里、だったことがわかったの。(その話はまたの機会に)
信玄はそのことを知っていて、利用したんだなあと。
歩き巫女をつかって、武田家のための情報収集や隠密にしたんだね。
下記の本は フィクションだけど、面白かったよ。
なんかね、今ちょうど大河ドラマでもやってるけど、
武田信玄は今川家を見限って織田家と手を結ぼうとする。
今川の姫を正室に迎えていた義信は廃嫡されて幽閉されて、、、、
もうね、切なくて悲しいのよ。でも主人公の歩き巫女の くのいちの
ゆう は情熱的でただひたすら一途に義信を救おうと命をかける。
みたいなお話です。
![]() |
戦国歩き巫女
Amazon |
なんか、ちょっとしか書けなかったなあ。
巫女に興味がある私なのでした。
続きは また~。
今日もありがとうございます。



