しあわせの種まき 花音 -46ページ目

しあわせの種まき 花音

☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

こんばんは。

祢津というのは東御市にある場所の地名なんですが、

そこに江戸時代 日本一の規模をほこる巫女の村があったという。

その歩き巫女たちは ノノウと呼ばれていたそうですが、

そういえば祖母が 仏壇に手を合わせるとき 

「ノノさんに手をあわせな」と言っていたな。

 

祢津の歩き巫女のことを知ったのは数年前だ。友人に教えてもらって、祢津のお姫尊という所へ一緒にむかったのだが、その時は大雪で御姫様岩まで行くことができなかったのだった。

でも、ノノウが暮らしていたという場所や小路もわかっていて、そこを歩いたりした。

 

その時にきいたのは 武田信玄に命じられて 望月千代女という人が歩き巫女というか、 くのいち 養成所を祢津につくったという話だ。

 

望月千代女は一説には、近江の甲賀から、望月城主の望月盛時に嫁いだという。甲賀といえば、甲賀忍者の里だ。

望月と甲賀は長い間、深い結びつきがあった場所だった。

甲賀忍者の筆頭の望月家は 信州の望月氏がルーツだった。

 

もっとも千代女が嫁いだ時の望月氏は 武田信玄が滅ぼしてしまって、自分の甥っ子に望月の城主として、望月姓を名乗らせていた時

だったので、信玄の血筋だった。

 

祢津と望月と海野は同じ滋野一族で東信濃の古くからの名門の豪族だった。その一族を武田氏と村上氏、諏訪氏の連合軍が攻め、一時は壊滅状態にしてしまったのだ。

 

そして信玄は 自分の息子に海野を継がせ、甥っ子に望月を継がせ、

そして、祢津の姫を自分の側室として迎えているのだよ。

 

滋野一族が大好きだったのね信玄。。。な~んて。

 

しかしながら、甥っ子の望月盛時は 上杉謙信との川中島の戦いで

戦死してしまった。それで千代女に命じて 巫女の養成をさせたらしい。

 

でもね。 なんで祢津に巫女の養成所つくったんだろうって、

疑問に感じたの。

 

それで、調べたりしていたら、1000年以上前から巫女の村、

姫の里、だったことがわかったの。(その話はまたの機会に)

 

信玄はそのことを知っていて、利用したんだなあと。

歩き巫女をつかって、武田家のための情報収集や隠密にしたんだね。

 

下記の本は フィクションだけど、面白かったよ。

なんかね、今ちょうど大河ドラマでもやってるけど、

武田信玄は今川家を見限って織田家と手を結ぼうとする。

 

今川の姫を正室に迎えていた義信は廃嫡されて幽閉されて、、、、

もうね、切なくて悲しいのよ。でも主人公の歩き巫女の くのいちの

 ゆう は情熱的でただひたすら一途に義信を救おうと命をかける。

みたいなお話です。

 

戦国歩き巫女 戦国歩き巫女
 
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なんか、ちょっとしか書けなかったなあ。

巫女に興味がある私なのでした。

 

続きは また~。

 

今日もありがとうございます。

 

こんばんは~。

 

先日 石垣島へ行ってきました~。

 

昨年 記念演奏会で石垣へ行った時に打合せして、今年の演奏会の概略が決まり、

それが ツォルキン暦でいう 第一の城の時期だったんですが、、、

KIN19青い嵐WS白い魔法使いの日だった。拡張KINだべさ~。

 

そして先日 開催された石垣の川平(カビラ)での親睦演奏会は 

KIN4 黄色い種WS赤い龍の日。

 

前のツォルキンのスピンに種まきしたことが、新たなサイクルの始まりの種の日におこなわれた。新たなる、気づきと覚醒を参加者にもたらしたかもしれないなあ。

 

しかしながら、天気は若干荒れておりまして、それはそれで 面白かったです。

さすが琉球に龍と 龍づくしのエネルギー。

 

白い花が月桃。

 

私は 今回は 会計とか受付とかやらせていただきつつ、皆様とご一緒に演奏もして、

なんだかバタバタしてたけど、川平に 総勢80名くらい集まったのだ。

川平は石垣島の中でも古~い部落で祭祀など伝統も残っている場所だそうで、

すごくパワフルだった。

 

ああ~、それにしても川平の先生たちの歌声は素晴らしかった。感動。

 

歌って 風土から産まれて、その風土で育って、培われて根付いていく。

そこに生活している人でしか 出せない 歌と祈りの世界がある。

それは とても真似したくても真似できない 味わいと芳醇さがあり、

私の心の奥深いところまで その思いは届き圧倒されてしまったなあ。

 

自分のしてることがなんだか「張りぼて」のようでもあり「まがいもの」

でもあるようなそんな恥ずかしさも感じたのですよ。

歌を聴いたことで 魂が純化されたような染み渡っていくような感覚がありました。

 

だけど、考えてみたら、石垣島の方たちも 歌の素晴らしさを伝えようとか

感動させようとか、思って昔から唄いつないでてきたわけでもないだろう。

 

暮らしの中で、五穀豊穣を願い、弥勒の世を願い、お祭りなどの行事の中で

みんなで集い、踊り唄ってきた、自然発生的な魂の深き思いの結晶なのだろう。

 

その積み重ねの中で培われた歌のちからに、魅せられて、

感動して、魂は共振したのだろう。

 

魂がふるえるような 感動的な世界観だけど、、綺麗なだけじゃない。

みにくさも、汚さも、怒りも、悲しみも、いろんな喜怒哀楽も 光も闇も 

すべてを抱き参らせて、清濁併せのむ包容力が、この地と人々の中にある。

 

そのすべてが唄い踊ることによって純化されて、ひとつになる。

天と地をつなぐ 人間の歌と舞。

 

翌日は 石垣島の 民謡ゆかりの地を廻って それぞれの地でみんなで唄った。

出発地だった川平公園できかせていただいたT先生の あよう は素晴らしかった。

涙がでたなあ。神様へ捧げるうた。大いなる存在、自然を敬う気持ち。

この地の人々は ずっと神と共にあるのだと思った。

 

伊原間

 

石垣島で思った気付きを胸に刻んで大切にしようと思います。

 

みーふぁいゆーは 三拝云 三回拝んでいうと書く ありがとうという意味。

 

今日も みーふぁいゆー ありがとうございます。

 

飛行機から撮ったよ 富士山。

 

 

 

 

 

こんばんは。

 

今日はツォルキン暦のKIN1のはじまりの日でした。

 

以前にマヤ暦の講座を開催させていただいたカルチャーさんで

KIN1ということで、久しぶりにマヤのお話しというか

勉強会を開かせていただく機会をいただきました。

懐かしいお顔の皆様ともお会いできてほっこり。ありがとう。

マヤ暦を知らない皆様も半分以上いらっしゃいまして、

おわかりいただけたか、若干不安もありつつ、

話が心の届くようになりたい私ですが。。。

興味深そうに聞いてくださった方もいらして感謝です。

ご縁をいただいたTさんありがとうございました。

 

こういう始まりの日にご縁をいただいたということはきっと

とてもご縁の深い方ばかりだと思うので、

この集いが何かのきっかけやご自分らしい自然な人生の

ヒントに、ご縁がつながっていくといいな。

 

ホゼ博士ご夫妻が「マヤン・ファクター」の本を世に出し、

ハーモニック・コンバージェンス という地球規模の集合を呼びかけ

世界各国で祈りのイベントが開催された年は1987年。

 

今年は2017年だから、それから30年かあ。

 

私がマヤに出会ったのは1999年だから、、

しみじみご縁があるんだなあ と今日あらためて感じたんです。(今更、、、)

 

ホゼ博士が世にあらわしてくれたこの銀河の暦

銀河の時間の智慧の結晶の ツォルキンと13月の暦に対して

私は純粋に献身することを決めましたわ。

ありがとう、、、銀河からの贈り物にこころから感謝です。

 

 

あとKIN1だから 宣言しちゃいます。

魂の喜ぶ大好きなこと、自然の中で感じたことを言葉にしたり、エッセイにしたり

形として表現していきます。

長野の神話や歴史 そして風土の美しさを語り、愛と感謝の波動を周りに広げたいです。

 

へへへ、

それでは 今日もありがとうございます。

お読みいただきました方 ありがとうございます。