今日は 先日書いた 松代の箏のご縁の話。。
http://ameblo.jp/ponopia/entry-12284657395.html
その中で 佐久間象山が18歳の時に 上田の活文禅師の元に中国語と琴を学びに通ったと書きました。
その活文禅師のことが気になったので調べてみました。
上田市文化財マップ より
http://museum.umic.jp/map/document/dot68.html
活文禅師は 松代の生まれ。二男だったので仏門に入り、
その後 長崎で学びます。
江戸時代に 長崎まで行って学ぶなんて とっても勉学熱心で、とっても賢い方だったんでしょうね。
この方のブログに詳しく書いてありました。
http://arukimak.blog90.fc2.com/blog-entry-642.html
和漢蘭の三分野に精通していて、中国語も蘭学も詩歌、書、彫刻、
一弦琴などあらゆる学問を一人で教えたとは すごいですね~。
1000人以上に教えたとは、教えることが天職だったんですね~。
佐久間象山が松代からわざわざ通った気持ちよくわかります。
まさしく象山好みの先生ですわ。私もその当時生きていたら、通ったかもね~。
蒼久保に 岩門に 常田って これらの禅師のご縁の場所を巡ってみましたが、私蒼久保に音楽の先生がいまして、このあたりはいつも通っておりました。そう なじみの場所だったんです。
とくに蒼久保の龍洞寺は 合同での練習の時には駐車場として使わせていただいていた場所でした。もう十年以上だよ。
どうして 今まで全然気づかなかったんだろう。。。。
龍洞寺では周りと折り合いが悪くて、岩門の大日堂へ出て寺子屋を開いたとありましたが、 折り合いが悪くてよかったわ。
お寺の住職であり続けていたら、象山と赤松小三郎なども学べなかったわけでしょう。
禅師は 聖職者ではなく教育者であることが天命だったわけですよね。
もうね~、うまくいかなくなるって、他に道があるってことなんだよね。
蒼久保 龍洞院
門に 「龍蛇窟」って書いてあるよ。。おもしろ~。 禅師がいられなくなっちゃたお寺さんだね。村上氏ゆかりのお寺。村上って名前って村上水軍を彷彿させるけど、やはり龍神系ですわね。
こちらは岩門 大日堂跡地。ここで寺子屋を開きました。
子供たちの走り回るエナジーが残っていて、 ほのぼののとした雰囲気の場所でした。禅師はここで自由にのびのびと子供たちに教えたんだろうな。って感じた。自由な枠にとらわれない自由な魂の人だったんだろうな。 この場所に象山は通ってきていたようだ。
常田 毘沙門堂跡 大日堂から移った場所。 この場所は建て直ししているので、禅師のエネルギーはあんまり観じませんでしたが、ここで学んでいた多くの人たちの真摯な思いを感じました。勉学熱心だったんだろうなあって。
活文禅師って佐久間象山とウマがあって性格も似ていたという。
天才肌で自信家で、傲慢で、、だけど、子供が好きで教育熱心。教えることが自分の魂を輝かせることを知っていた人。
自分を信じて生きた人だったんだろうなあ。
自分が輝く場所はかならずある。だから自分を信じて自分の道を行け~。て言われた気がしましたわ。
今日もありがとうございます。







