しあわせの種まき 花音 -45ページ目

しあわせの種まき 花音

☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

今日は 先日書いた 松代の箏のご縁の話。。

http://ameblo.jp/ponopia/entry-12284657395.html

 

その中で 佐久間象山が18歳の時に 上田の活文禅師の元に中国語と琴を学びに通ったと書きました。

 

その活文禅師のことが気になったので調べてみました。

 

上田市文化財マップ より

 http://museum.umic.jp/map/document/dot68.html

 

活文禅師は 松代の生まれ。二男だったので仏門に入り、

その後 長崎で学びます。

 

江戸時代に 長崎まで行って学ぶなんて とっても勉学熱心で、とっても賢い方だったんでしょうね。

 

この方のブログに詳しく書いてありました。

http://arukimak.blog90.fc2.com/blog-entry-642.html

 

和漢蘭の三分野に精通していて、中国語も蘭学も詩歌、書、彫刻、
一弦琴などあらゆる学問を一人で教えたとは すごいですね~。

1000人以上に教えたとは、教えることが天職だったんですね~。

 

佐久間象山が松代からわざわざ通った気持ちよくわかります。

まさしく象山好みの先生ですわ。私もその当時生きていたら、通ったかもね~。

 

蒼久保に 岩門に 常田って これらの禅師のご縁の場所を巡ってみましたが、私蒼久保に音楽の先生がいまして、このあたりはいつも通っておりました。そう なじみの場所だったんです。

とくに蒼久保の龍洞寺は 合同での練習の時には駐車場として使わせていただいていた場所でした。もう十年以上だよ。

 

どうして 今まで全然気づかなかったんだろう。。。。

 

龍洞寺では周りと折り合いが悪くて、岩門の大日堂へ出て寺子屋を開いたとありましたが、 折り合いが悪くてよかったわ。

お寺の住職であり続けていたら、象山と赤松小三郎なども学べなかったわけでしょう。

 

禅師は 聖職者ではなく教育者であることが天命だったわけですよね。

 

もうね~、うまくいかなくなるって、他に道があるってことなんだよね。

 

蒼久保 龍洞院

門に 「龍蛇窟」って書いてあるよ。。おもしろ~。 禅師がいられなくなっちゃたお寺さんだね。村上氏ゆかりのお寺。村上って名前って村上水軍を彷彿させるけど、やはり龍神系ですわね。

 

こちらは岩門 大日堂跡地。ここで寺子屋を開きました。

子供たちの走り回るエナジーが残っていて、 ほのぼののとした雰囲気の場所でした。禅師はここで自由にのびのびと子供たちに教えたんだろうな。って感じた。自由な枠にとらわれない自由な魂の人だったんだろうな。 この場所に象山は通ってきていたようだ。

 

常田 毘沙門堂跡 大日堂から移った場所。 この場所は建て直ししているので、禅師のエネルギーはあんまり観じませんでしたが、ここで学んでいた多くの人たちの真摯な思いを感じました。勉学熱心だったんだろうなあって。

 

活文禅師って佐久間象山とウマがあって性格も似ていたという。

天才肌で自信家で、傲慢で、、だけど、子供が好きで教育熱心。教えることが自分の魂を輝かせることを知っていた人。

自分を信じて生きた人だったんだろうなあ。

 

自分が輝く場所はかならずある。だから自分を信じて自分の道を行け~。て言われた気がしましたわ。

 

今日もありがとうございます。

こんばんは。

さきほど書いた筝曲八橋流についてですが、

現在は松代で保存会となっているようで、その会長さんの言葉がありました。ご紹介します。

 

「八橋流筝曲とは、元来 人に聴かせるためのというより自分の心にきかせて、おのれをなぐさめ励まして、自分自身を磨く技なんです」

 

なるほど~、そうですよね~。その通りですよね。

私も楽器を使わせていただいて、上記の 自分の心がなぐさめ励まされるので、自分のために というのはすごくわかります。

本当に癒されるので。。。

 

人前で演奏して、人にうまいと言ってもらいたいとか

欲があると、、結構 どんどん苦しくなってしまいます。

 

一番大事なことがおなざりになってしまうのですね。

 

心というのは正直なもので、違うよ~と思えばどんどん苦しくて

楽器を演奏する喜びからはかけ離れていってしまいます。

 

そうなると、それがきいてる人にも伝わって、、、聴いていてもなんとも

苦しくてつらくなってしまうんですよね。たとえどんなに技術的には優れていたとしても、人が受け取るのは波動なんですものね。

 

楽器って波動が周りに拡散されますからね~。

 

そう思うと、自分を癒し慰め勇気づけ、自分自身の喜びのために

演奏する、、、それが基本ですよね。

 

最近 そのことを忘れていた気がします。だから苦しくなるんだね。

教えていただき感謝ですわ。

 

ところで佐久間象山も 吉田松陰の黒船密航事件に連座して

松代に9年間も蟄居させられていたんだけど、

 

琴を奏でることで励まされ癒されたりしてたのかもしれないなあ。

 

と想像しました。象山の思想は9年間の蟄居の間に深まって熟成されたと言われているんですもの。

 

人生の中ではじっと自分を内省する時間も必要ですよね。

そういう期間が人の奥行きの深さや優しさをはぐくんで

人としての器を大きく味わい深いものにするんですよね。

そして、時にはめげてつらくなるだろうから、

そんな時にこそ楽器を奏でて己をなぐさめたらいいんだなあ。

 

ちなみに八橋流を再興した 真田志ん さんの生年月日が書いてあったから、マヤ暦を調べてみた。

 

KIN154 白いスペクトルの魔法使い WSは黄色い種

おお、私にとってガイドキンで反対キンだ~。

 

世のために人のためにという意識で、忘れ去られてしまっていた八橋流を再興して、古くて新しい伝承の音楽を誠実に伝えようと尽力されたんでしょうね。

 

象山先生も 真田志ん先生もガイドだった~。だから、松代に心惹かれたんだなあ。今の私に必要なエッセンスとメッセージがそこにあったんだなあ。ありがとうございます。

 

歴史から今の自分に必要なエッセンスを学ぼう。

 

こんにちは。

 

川中島でお教室のお仲間さんたちと演奏会をさせていただきました。

2時間の演奏タイム~。盛りだくさんで楽しかったです。

ありがとうございます。私は不調でしたが、、泣

 

行く途中、川中島で御幣川とか御厨とかの地名を見ただけでワクワクしてしまった私です。なんだか川中島っておもしろそう。

 

帰りに松代へ、、、行きました。

象山記念館に行ってみたかったのです。

 

象山神社の前のウマに乗る象山先生銅像

 

記念館の中に佐久間象山の琴が展示してありました。

自製の七弦の琴でした。

象山は琴が好きで、18歳頃、上田の岩門の活文禅師のところに

中国語と琴を習いに通っていたそうです。

 

 

象山は琴は人に聴かせるためではなくて、自分のために奏でていたそうです。琴はたしなみというか、詩や文学の素養になるのだとか。

 

なるほど~と思いました。私は真琴という楽器をもっていますが、

この楽器は自分の波動の調整になりますし、音色をきくと

インスピレーションがかきたてられます。

最近使っておりませんでしたが、象山先生を見習って

自分のために奏でてみたよ。なんとも心地よい。

 

心の琴線にふれる という言葉がありますが、

琴の音色って 本当に繊細で細やかで 心の深いところの

やわらかい部分に響く感覚があります。

 

象山先生の残こした文章が、情にあふれている感じがするのは、

琴をたしなんでいたからかもしれないなあと思いました。

 

私も心の琴線に触れるような言葉や音が書きたいなあ。琴をたしなもう。

 

ところで、象山記念館で 旧横田邸住宅との共通券があるとすすめられたので、 横田邸にも行ってみることにしました。

 

そしたら、その横田邸住宅内に 家系図が書いてあって、

筝曲八橋流の伝承者 真田志ん の家系でした。

 

旧横田家住宅のお庭

 

おお~~~、知りたかったんだよ。八橋流の箏のこと。やった~。

 

筝曲八橋流とは

八橋検校という人が江戸時代初期に作り上げたもので
これが後に改良され、現在の生田流、山田流という各流派へと繋がっていくことになりました。八橋流は検校が亡くなった後衰退、、して

一時は途絶えたと思われていたそうですが、

 

終戦後、真田志んという方が、ラジオで八橋流が途絶えたと偶然きいて、自分が幼きころから習ってきたのが八橋流であると聞いていたので、その筝曲を録音してNHKに送り、そのことから、、、八橋流の筝曲が 松代の真田家に伝承されていたことが判明したんだそうです。

 

ちなみに、大河ドラマで八木亜希子さんが演じていた小野お通さん。真田信之さんの思い人であったとも側室であったとも言われるようですが、その小野のお通さんの娘が二代藩主の信政の元に嫁いだそうで、、、

 

つまり、二代目小野のお通が八橋検校から習ったものが信州に何らかの経路で伝わったとされているんだそうです。

 

お通さんは京都の教養人で 和歌や琴をたしなむ文化人だったようですから、その家系が真田家に八橋流筝曲をもたらしたとしたら 自然な感じがします。ですが、あくまでも説のようです。

 

そんなわけでその二代目のお通さんの息子の興した真田分家としての「真田勘解由家」を中心に八橋流が伝承されてきたんだそうです。

真田しんさんもその家の方ということですね。しんさんの祖母が横田家からお嫁にきたようで、横田家の家系図に書いてあったんですね。

 

真田勘解由家の門のところで二枚撮影

 

象山に興味があって、記念館をおとづれたのに、

琴に 導かれてゆきました。

 

ちなみに横田家の家系図によると しんさんの曾祖母は祢津家からお嫁にきていました。真田勘解由家にも祢津家から養子がはいって、4代目当主となっていました。

 

この前 祢津の話を書いたけど、真田と祢津が琴でつながりました。

 

あと、真田、祢津、望月など滋野一族は琵琶 の名手だが目が不自由であった清和天皇の子、貞保親王の後裔であるとしているんです。

 

琵琶の名手の家系だったから、つまり芸能を愛する家系だったから、

箏を大切に伝承してきたことで、古くからの八橋流の復興することに繋がっていったんでしょうね。いや~、すごいなあ。

 

ちなみに八橋流は沖縄にも伝わって数曲そのままに残っっているんだそうです。八橋流は謡いながら箏をひくんだそうです。わお。(今度聴いてみたいなあ)

 

沖縄と松代に 古い形式の箏の流派の八橋流が伝わって、今につながっている。。。おおお~、縁はつながってますなあ。

 

どんな風にこれから導かれていくんだろう。

それにしても知るって楽しいなあ。

 

それでは今日もありがとうございます。