こんばんは。
今日図書館で読んだ本の中に 興味深い内容が書いてあったので、備忘録的に書いておきたいと思います。
大嘗祭の本義という本なのですが、昭和3年に折口信夫さんの講演の内容を 森田さんが現代語訳されたものです。
約100年近く経つと、、、現代語訳が必要になるのね。。。
ちなみに今年は昭和98年にあたるそうな。
令和の代替わりの大嘗祭の模様、、テレビでちょっとやってたけど、、とっても神秘的な祭で、、なんか感動したな。
日本の魂を天皇の体につける、、、それが大嘗祭なのだそうだ。
日本の魂をを身につけた者が日本を治める資格を得たんだそうだ。
その魂をつけることを取り扱っていたのが物部氏だったそう。
大倭の魂を取り扱い、魂を追い出したり引っ付けたりする役目だったそう。
物部氏の本流は滅びたけど、、一族の石ノ上氏は大嘗祭の時に
重要な御門の守りをしたそう。
悪い魂が邪魔しないように追い払うお役目だそう。
口では呪いを唱えておいはらうが、
具体的には、、盾を立て、矛をふり、弓もならしたそう。
それで宮廷には物部の鎮魂 つまり石ノ上の鎮魂法があるのだそう。
神武天皇の東征のとき、、、
ニギハヤヒノ命=日本の魂で、、、
ニギハヤヒノ命がナガスネヒコから離れて、イワレヒコについたから、
ナガスネヒコは負けて、イワレヒコは勝利し、即位して神武天皇となったそう。
なんか面白いお話でした。
物部守屋って蘇我氏との戦いに敗れて、、滅びるんですが、
その物部守屋の次男 武麿が、、諏訪に逃げてきて守矢神長官の養子に入ったという伝承があるんですが、、
(私 武麿氏のお墓?上社の御射山神社で見たことあったかも。。)
物部が倭の魂を取り扱うシャーマンだとすると、諏訪氏も現人神と言われていたから、諏訪大明神の魂を取り扱い、諏訪神氏につける役割をするために、守矢家に入ったのだろうなと思いました。
長野って物部守屋の伝承が、、善光寺にもあって、、(守屋柱の話)
なんか、物部に親近感を抱いてしまう私でした。
ありがとう。気づきの種をありがとう。