音と楽器とどう関わっていくべきなのかな。 | しあわせの種まき 花音

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☆魂のふるさとへ還る
幸せってなんだろう?自分を知るこころの旅へ☆

こんばんは~、

今日は友人に誘われて某所にお詣りさせていただきました。

縄文のエネルギーを感じる場所。

光に満ちていました。


あわうたを唄いました。

友人に五十鈴をならしていただきました。

金 と 銀の キラキラした 光が降り注がれてきました。

祓い清められ 星の輝きが降りてきました。


大切にしまわれていた五十鈴。

こうやって、大切に、大切に、

その音を奏でる人の元にだけやってくる聖なる鈴。

いろんなところで使っていいわけではなくて、

ひっそりと大事な場面で使っているんだとか。。。


最近ずっと迷っていることがある。

それは真琴とのかかわり方。

私にとって とっても大切な楽器。

私のスピリットをのせて 私が私であることへ

原点回帰してくれる楽器。

調和の愛の波動を思い出させてくれる楽器。


いろんな人と分かち合いたくって

いろんな場所へ持っていって奏でていたけど。

それでいいのかなあ?って


銀河新年の まさに元旦にやってきたこの宇宙楽器。


それはまさに 私のスピリットと目覚めをサポートしてくれる

ためにやってきてくれたんだねって思う。


私のハートは 真琴を奏でることをわかちあうことは

ワクワクする。

だけど、いろんな人に触れられたり、奏でられることが、

つらく感じる時がある。

楽器は 私のオーラと一つになって、

私自身のスピリットと一つになる。

つまり、私自身の 御霊わけ の存在なのだ。

それを無意識レベルで知っているから

楽器を奏でる人は 基本楽器は人に貸さないものだ。

もちろん それを教えたり、仕事にしている場合は

別ですよ。


私は だから ずっと マイ楽器は

自分の領域の大切な存在として扱っていた。


だけど、真琴と出会って、

どうも そういう 領域を超えるような

新しい世界観の 楽器らしいと思って

他の方たちとわかちあう喜びを感じて楽しんできた。

でも、どこかに痛みがあった。

それは、本当の意味では自分を大切には

していないという思い。

自分のスピリットを大切にしていないという思い。


友人が私の楽器の爪を手に取って

大切ね、愛おしいよ。ってなでなでして

キスしてくれた時があったんだけど、

その時、

私のハートはすごく嬉しくってあたたかくなったの。

ああ

楽器と私は一つでつながっているんだなあって

思った瞬間だった。


楽器を大切にすることは

自分を大切にするということ。

自分の持ち物を大切にするということは

自分自身のスピリットを大切にするということ。

そうやって

自分を大切にして、敬えることで、

他の人のスピリットも敬うことができる。

他の人のことも大切にすることができる。


だからね。

自分を大切にできない私は、

他の人のことだって大切にもできないんだよって

しみじみわかってしまう。

ああ~~~って思う。


こうやって気付けることがありがたいことなんだと思うけどね。


そうやって気付いて

自分を見つめなおしていく機会をいただいているのね。


今年はアーティストとして活動していきたい。

音をどんどん奏でていきたい。

だから、真琴は私のスピリットの乗り物としての聖なる存在として

敬っていこう。

だけど、ただいま 模索中。

それも 喜びなんだよね。


ありがとうございます。

聖なる五十鈴に感謝して。



以下天河神社のサイトより転載です。

五十鈴(いすず)は、天河大辨財天に古来より伝わる独自の神器で、天照大御神が天岩屋戸にこもられたとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、ちまきの矛(神代鈴をつけた矛)をもって、岩屋戸の前にて舞を舞われ、神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照りかがやいたという伝承に登場する、天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると伝えられています。

 特に芸能の世界にいあっては天宇受売命にあやかって、殊の外御精進あそばされる方々(俳優、舞踊、歌手、ラジオ、テレビタレントなど)は、同床共殿のあり方と精神にてこれを奉載され、この三魂(みむすび)の調和統一に意を用いられ、芸能技芸練達の器教とされますことを切に祈るものであります。