ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 | ぽんこからのエアメール

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愛媛から出てきてはや○年!
京阪神を中心に、日々の出来事をつづっていたら2011年春に
〝花のお江戸〟にお引越し。
しかーし!2012年3月にふたたび阪神間に舞い戻ってまいりました。
Ponkoの目を通した日常を、どうぞお楽しみくださいませ☆

恵比寿ガーデンプレイスにある「東京都写真美術館 」にいってきた。


ジョセフ・クーデルカ(Josef Koudelka)の、日本初の回顧展だ。


彼は「ロマ」の写真を撮りに滞在していたルーマニアからプラハに戻った翌日に

「チェコ事件」に遭遇することになる。

プラハの街が、ワルシャワ条約機構軍に制圧されてゆくその様子を、

当事者としてカメラにおさめた。


その写真は秘密裏にアメリカに渡り、翌69年にロバート・キャパ賞を受賞。

今回の展覧会にある写真が、まさにそれらだ。


ただし当時は彼と家族の身を守るために発表、「匿名」で受賞した。

にもかかわらず、彼はチェコスロバキアの秘密警察にほどなく特定され

クーデルカはイギリスへの亡命を余儀なくされる。


この時の彼の作品は、

「ルポルタージュの古典」と位置づけられているのだそうだ。


Ponkoは雑誌でこの展覧会の紹介記事を見て、興味を持ったのだが


やはり、その「下地」はコレを読んでいたから。


ぽんこからのエアメール-ユリイカ


この『ユリイカ』の中で、池内紀氏が寄せているエッセイ。

「チェコ事件」当時、ウィーンにいたという氏のくだり。


民衆がヴァツラフ広場を埋めつくした。ウィ-ンでは時間刻みに号外が舞った。誰もが食い入るようにテレビの画面を見つめ、ラジオに聞き入っていた。歴史がきしみながら動いていた。ヨーロッパの小国は、とりわけきしみに敏感だ。それは戦車の不気味なキャタピラの音とともにやってくる。


奇妙な静けさの支配した街で、当時20代だった私はヨーロッパというものを、そのとき初めて肌身で知ったように思った。石畳に耳をつけると、はっきり地鳴りがして、地ひびきが伝わってくる。コマの一つがはじかれると、国家がなだれを打ったように動き出し、昨日までの日常が一挙に変わる。



当時、チェコスロバキアは1968年1月に、ドプチェク、チェルニクらが

「人間の顔をした共産主義」をスローガンに共産党の権力の独占を否定し、

国民の支持を受けて改革に向って進んでいた。


同年8月に、ソ連を中心とする東欧5カ国からなる「ワルシャワ条約機構軍」20万人が

チェコスロバキアの首都プラハに、戦車軍を派遣した。

プラハは制圧され、指導者らは逮捕、モスクワに連行される。

これがいわゆる、「チェコ事件」だ。


ヴァツラフ広場を中心に市民が集まり、またラジオ局の前では

そこを占拠しようとする軍と市民の間で争いが起こり、死者、重軽傷者を出している。


そんな中を〝どうか冷静に対処して欲しい〟と、政府は市民、国民に対し

新聞などを通じて呼びかけている。

その日本語訳と共に、ズラリ並べられたクーデルカの写真。


プラハ市民の表情。


数々の戦車と、兵士達。


広場や通りを埋め尽くす市民と兵士らが対峙する様子。


放火された戦車。

数え切れないほどの砲弾の痕がのこる住居。


死体。


ああ。これか。この出来事をいってたのか。


歴史のヒトコマの知識でしかなかったけれども。

写真や映像で・・・あとPonko自身が10年ほど前にプラハに行った時の記憶も甦り。


ああ。あのヤン・フス像の前で、あのヴァツラフ広場で(広場というより大通りだが)

1968年にそんなこともあったんだと。


行ってよかった。またプラハにいきたくなっちゃった。