4日目(2) エルコラーノ(=ヘルクラネウム) | ぽんこからのエアメール

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愛媛から出てきてはや○年!
京阪神を中心に、日々の出来事をつづっていたら2011年春に
〝花のお江戸〟にお引越し。
しかーし!2012年3月にふたたび阪神間に舞い戻ってまいりました。
Ponkoの目を通した日常を、どうぞお楽しみくださいませ☆


ポンペイ・スカーヴィ駅に到着!

ぽんこからのエアメール-ポンペイ駅


Ponkoは、ポンペイは2度目だけども

以前はオプショナルツアーで、ローマからバスでやってきて

まさしくチョロリと撫でるように、ポンペイ遺跡を見て回った。

ほんとチョロリである。


今度はガッツリ見てまわるぜ鼻息


とりあえず、今晩の宿を確保しなくてはならない。

前もって目をつけておいたホテルへ向う。

「Hotel Degli Amici」。

ここでダブルルーム・朝食付・2泊で90€。


下の写真は翌朝、部屋のベランダからの様子。

外観は・・・写真とるの忘れた・・・ガーン

日よけの役目を果たす葡萄だなが良い感じのホテルです♪



ぽんこからのエアメール-ポンペイホテル

さてさて。再びヴェスヴィオ周遊鉄道に乗り込み、向うは「エルコラーノ」駅。

Ercolano(エルコラーノ)の遺跡。


こことヴェスヴィオ火山の位置関係はこんな感じ。ケッコー近いでしょ?


ぽんこからのエアメール-エルコラーノ1 ぽんこからのエアメール-エルコラーノ2


ここもポンペイの町同様、ヴェスヴェオ火山の噴火で灰に埋もれた町。

ポンペイよりも規模はずっと小さく、貴族やお金持ちの別荘地帯だったようだ。

もっとも、発掘作業はポンペイより進んでいないので、本当の規模はまだ不明。


ぽんこからのエアメール-エルコラーノ3 ぽんこからのエアメール-エルコラーノ4


当時、各家庭の台所の造りがオソマツだったみたい。

どうやら今で言う惣菜屋さん、パン屋さんなどが充実していたようだ。

(この壺の中はどうなってるのか?今はジャリがつまってるだけだった・・・アタリマエダ汗

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前回やりそこねたので、ぜひこの食べ物屋さんでやってみたかったこと。

「へい!らっしゃい!!」


町中にレモンの木が植わっていた。

この一帯はポンペイの火山灰のおかげか、土壌がよく肥えており

今でもレモンや葡萄、オリーブ、トマトなどが、大きく美味しく実るのだ。


当時からワインが多くつくられ

アンフォラにつめられ貯蔵されたワイン
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モザイクが美しい。

海の生き物がユーモラスにラブラブ
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ここ、エルコラーノは人口過密な町で、慢性的な住宅不足に陥っていたといわれる。

なのに発掘当初、町中で見つかった遺骸が10体ほどしかなく

多くの人々は、ここがえらいことになる前に無事脱出できたのだと思われていた。



しかし1982年、当時のボートハウス辺りで

(恐らく、右下のアーチ部分のようなところ。当時の海岸線あたりになる)

一気に150体以上の遺骸が見つかった。



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エルコラーノの町から海路で逃げようと、船を待っていた人々だと推測されている。

待っている間に襲いかかって来た、灰を含んだ火砕流(サージ)によって、

一瞬で人々は焼かれ、窒息死したものと考えられる。


その火砕流、人間を死に追いやるに十分な温度だったが、

建物を焼き尽くすほどの高温ではなかったらしい。

エルコラーノでは、大きな扉に用いられていた木製の蝶番(ちょうつがい)や、

可動式の木製の戸が残っている。

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ポンペイと違い、エルコラーノでは飛んでくる石や岩で建物の屋根などが破壊される前に

火砕流や灰が降り積もって町を埋め尽くしたために、ポンペイよりも建物の保存状態が良い。


ここのお宅は、「Casa di Nettuno e Anfitrite(ネプチューンとアンピトリテの家)」と呼ばれている。


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これが、ネプチューンとアンピトリテ。 


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当時の大きなお宅は、通りに面した玄関を入ると「アトリウム」という広々した居間のような

空間があり、真ん中には水をたたえた池があった。

細かく敷かれた石に、色の異なる石がはめ込まれている。

“これ、お金かかったんちがう??”なんて、下世話なうわさをしてみるにひひ

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紀元後79年当時、既に北アフリカのカルタゴでは6階建ての集合住宅が建てられていたと言うし、

少し前にローマでは、建物の高さ制限(21mまで!)が設けられていたらしい。

エルコラーノにも、そのような高層住宅があったかどうかはさだかでないようだが、

ここにはこのような、テラス付の建物があったようだ。



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ここはポンペイよりも、上品な感じがした。

規模が小さいので(ポンペイと比べて・・・よ)、ゆったり回れるし。


当時、海岸線はこの街のすぐ手前まであったようだが

現在は、ティレニア海がこんなに遠くなっている・・・。

ぽんこからのエアメール-エルコラーノ22 ぽんこからのエアメール-エルコラーノ18

ふう疲れた。ちょっとポンペイの町中まで出ましょう。

エルコラーノの町は、本当に地方の田舎のちょっとした町といった風情。

あまり良いレストランがなかった上に、不思議なことに、

おっちゃん、おじいちゃん、少しお兄さんらが、町中で5~6人集団になって

そこかしこでおしゃべりしまくっているのだ。

それがハンパじゃない数だ・・・なんなんだはてなマークえっあせる


ホテルの最寄り駅はポンペイ・スカーヴィ駅で、ソレント方面の沿線だけど、

Ponkoらは周遊鉄道のヴェスヴィオ火山を回り込む線に乗って、ポンペイ市内へ。


こんな立派な教会の前の広場。

その広場に面したレストランで・・・。


ぽんこからのエアメール-ポンペイの町中1

こんなものを食べてホッと一息つくのでしたニコニコ

ぽんこからのエアメール-ポンペイの町中2 ぽんこからのエアメール-ポンペイの町中3


明日はいよいよポンペイ遺跡をめぐります音譜


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