ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
これは、小学校高学年の時に知って、その意味を聞いた時に、とても強いインパクトを心に残した句だ。
我々の命はまるで泡沫のようだ。
河の流れに浮かぶ泡のように、生まれては消え、また生まれる。
昨日までそこにあった当たり前の生活さえ、あくまで泡沫のモノ。
いつ消えるかさえ分からない。
人生に対するこの感覚は、この句を知り、小学校の時に無常観として抱いて以来、いまだに自分の価値観を形成する根本にあるものだ。
だから自分は、人と会う時は常に「これが最後だ」と思って顔を合わせている。
かといって、そんな力んだ気持ちで会っているわけじゃないけど、次に会えないという事も十分に可能性として有り得ると考えている。
だから、ばーちゃんがこういうことになって、もうそこに元気なばーちゃんはいないわけなんだけど、これはしょうがないことだと思っている。
命は巡る。産まれるものがあれば、終わりゆくものもある。
そんなこの世で、とりあえず身体は思うように動かせなくなっちゃったけど、まだ命はある。
まずは、それを喜ぶべきだと思うし、まだ意思のある身体の動きも見える。
なら、出来るばーちゃん孝行を少しずつやっていくだけ。
今までの生活が無くなってしまったことよりも、これからの生活で何が出来るかを考えよう。
所詮人の命は泡沫なのだから、幻想でも蜃気楼でも良いから、少しでも生きた痕跡や爪痕を残したいものだ。
だって、いつかは消えてなくなってしまうのだから。
何だかまとまらない日記になってしまったけど、何が言いたいかっていうと、少しでも自分に出来るばーちゃん孝行が出来ればいいな、っていうこと。
いやぁ、人生色んな事があるなぁ。
(おわり ポンコツ日記184へ)
日記が現実に追いついてきてしまったので、
今後は更新が不定期になります。
ご了承ください。