以前、こちらの記事で、昭和32(1957)年までは多数の仮乗降場が新設されていたのに、昭和33年になって急激に仮乗降場の新設数が減少し、代わりに昭和33年から34年にかけては仮乗降場の正駅化と、正駅の新設が急激に増えたということをご紹介しました。


今回はこれに関連して、駅名変更が行われた時期に焦点を合わせてみたいと思います。

謎というほどのことはありませんが、過去記事の続きというか、補遺的なものとして、少し触れてみます。


駅名変更は、戦前では他線区との重複の回避などが目的で行われることもあり、また戦後に比べて駅名変更のハードル自体が低く(コスト面などで)、種々の要因で頻繁に行われていました。


戦中には私鉄の国有化に際して駅名を一般に通りやすい平易なものに変更するケースが多くありました。


そして戦後になると、地元との歩み寄りが見られるようになり、自治体名に合わせて駅名を修正するなどの改称が主流になっていきます。


昭和21(1946)年からほぼ毎年、道内のどこかしらで駅名変更が実施されていたようですが、私が調べた限り、昭和22年昭和30年昭和32年、そして昭和33年には一例も駅名変更がなかったようです。

間違っていたらごめんなさい。


昭和22年、30年、32年に共通して言えるのは、仮乗降場の新設が非常に盛んだったことです。

特に昭和22年に新設され、昭和25年に正駅化したという仮乗降場は複数存在しました。

一方で昭和30年、32年開設の仮乗降場は、国鉄民営化まで仮乗降場であり続けたものが多いです。


そして昭和33(1958)年ですが、翌34年と共に、仮乗降場の新設が少なかった一方で、仮乗降場の正駅化が多かったのは上掲の過去記事で触れた通りです。

昭和34年は仮乗降場の正駅化に際して駅名変更を行った例(共進駅、北遠軽駅)がある他、散発的に駅名変更が実施されています(野田生駅、長和駅、上長和駅)。

昭和33年は正駅の新設が多く、仮乗降場の正駅化もありましたが、偶然にも改名を伴うものが一例もなかったということになります。


本当にたまたまなのだと思いますが、過去の記事で触れた内容も相まって、時代の変換点のような年だったような気がしてならないという、これはあくまで私個人の感想です。

そして1960年代以降になると、マルス端末の登場や、今や風前の灯となった「みどりの窓口」の拡充などによって駅名変更のハードルが高くなっていき、北海道でも駅名変更は下火になっていきます。

しかし、どことは言いませんが、乗降客数世界第6位の巨大ターミナルですら「みどりの窓口」が臨時営業のみに縮小してしまうあたりに、時代の流れを感じずにはいられません。

今では東京23区内のJRの駅でも時間帯によっては無人駅になるところもあるくらいですから、機械化がますます進んできており、駅名変更には何千万円という費用が必要とも聞きます。


今回はご覧のようなタイトルの記事にしたので見送りますが、駅名変更の一覧についても次回の記事で掲載したいと思います。

なお一つ面白い事例を取り上げますと、昭和34(1959)年に正駅化した名寄本線の「学田」という仮乗降場がありました。

これは前年の昭和33年に富良野線に大量に新設された正駅の中に同名の駅があったため、正駅化した昭和34年11月1日付けで「北遠軽」という名前に変更されました。

正駅と仮乗降場とのパワーバランスが垣間見えるような気がする一例かと思います。

ちなみに仮乗降場同士では名前の重複には本当に無頓着で、「大曲」や「共栄」など、同名の仮乗降場が北海道内に複数あった名称はいくつかあります。

同じ鉄道管理局内では重複を避けるようにする動きも見られましたが、鉄道管理局が異なる場合は重複をほとんど気にしていなかったように思われます。

(上記の例ですと、「大曲」は深名線と湧網線でどちらも旭川鉄道管理局管内、「共栄」は深名線〈旭川鉄道管理局〉と白糠線〈釧路鉄道管理局〉で、旭川鉄道管理局管内の興浜南線では町名を冠し「雄武共栄」として区別していました。)


同名の仮乗降場の話題として、本題からは話が逸れますが、天北線には世にも珍しい、路線名を冠した(追記あり;記事末尾参照)「天北栄」という仮乗降場がありました。

なぜ旧国名ではなく路線名を冠したのかは、定かではありません。

路線図を眺めてみると、同じ旭川鉄道管理局管内の羽幌線に「天塩栄駅」があるからでは?と思われるかも知れませんが、それは恐らく誤りです。

天北栄仮乗降場は開設時期は不明ですが、昭和31(1956)年には既にあったことが分かっており、昭和40(1965)年10月に廃止されています。

一方で天塩栄駅は羽幌線の築別駅〜初山別駅間が開通した昭和32(1957)年11月6日に開業しており、天北栄仮乗降場の方が古いのです。

しかも、天北栄仮乗降場の所在地は枝幸郡中頓別町(上音威子府駅〜小頓別駅間)で、特に天塩と北見の境に近いというわけでもなく、そもそも天塩国ではなく北見国に属するので、通例に則ると「北見栄」となりそうなところですが、すると「北見栄」という同名駅はないのでこれを避ける理由はなく、なぜ「天北栄」としたのか、そもそも天北栄仮乗降場自体が幻の仮乗降場と言えるようなものなので、全くもって謎であります。

(単純に「北見栄」の字面が「見栄(みえ)」と読めて良くないからということで、避けたのかも知れませんね。

もしそうなら、正駅よりも命名の自由度が高い仮乗降場ならではと言えそうです。)




次回は北海道の駅名変更の一覧を、旧駅名の由来、改称に至った背景などを交えてご紹介できればと思います。


ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございました。




※2024年4月22日 0:30 追記


読者様からのご指摘で、「天北栄」仮乗降場の「天北」は、路線名ではなく、仮乗降場が位置する近傍の「天北峠」から取られたのでは?というご意見を頂戴しました。

天北栄仮乗降場は素性がはっきりしない部分は多いものの、上音威子府〜小頓別間にあったことは確かなようなので、地図で見ますと天北峠のすぐそばに位置します。

さらに、当路線は、路線名称が昭和36(1961)年4月1日に「天北線」に改称されるまで、「北見線」という路線名でしたので、当記事で述べた「路線名を冠した」という記述は明らかに誤りとなります。


私自身、北見線から天北線に改称した時期が仮乗降場設置より後であることを完全に失念しておりました。

お詫びしてここに訂正するとともに、ご指摘下さいました読者様にこの場を借りて改めて深く御礼申し上げます。



蛇足ですが、弊ブログの底本としているJTB社刊「停車場変遷大辞典」では「天北栄」の読み仮名を「てんぽくかえ」としていますが、以前別の資料で「てんぽくかえ」としているものを見かけました。

廃止時期が昭和40(1965)年10月と古く、開設時期も不明で公示などの資料にも残っていないため、どちらが正式な読み方であるかは不明ですが、仮に「てんぽくざかえ」だとすると、天北峠にほど近い当地の「天北境」から願望を込めて「天北栄」という仮乗降場名にしたという可能性も考えられるかもしれません(ただこれは「てんぽくさかえ」と濁らない場合にも当てはまりますが)。

そうすると、湧網線の「堺橋」仮乗降場が時刻表では長年「さかえばし」と誤って振り仮名をされていたこととも繋がるような…、私の妄想ですが…。