以前、このような記事を掲載しました。

https://ameblo.jp/pon-chape/entry-12803595785.html 

この記事では、北海道内の国鉄にあった仮乗降場を、
年次ごとにまとめています。
昭和30年、31年は仮乗降場の新設に勢いがあり、
昭和32年になると急激に減り、昭和33年は
根北線の3ヶ所の他は湧網線五鹿山(ごかざん)
しか新設がなく、
仮乗降場の正駅化も同年は幌内線幌内住吉駅のみ
と書きました。

今回は、「では、その分、始めから正駅で開業した駅が多かったのでは?」という仮説を立て、簡単に検証してみました。

弊ブログは仮乗降場に題材が偏りがちで、正駅として開業した駅にはあまり触れてこなかったので、今回は正駅からの切り口で見てみたいと思います。


まずは昭和31(1956)年から昭和35(1960)年までに新たに加わった正駅と仮乗降場を列挙してみます。
また、今回はその駅を管理する鉄道管理局も下記略称にて併記します。
(札)=札幌鉄道管理局
(旭)=旭川鉄道管理局
(青)=青函鉄道船舶管理局
(釧)=釧路鉄道管理局
※鉄道管理局の管轄区域および組織名は、昭和36(1961)年発行の「最新鉄道線路図」(日本国有鉄道監修)を元にしています。
青字は仮乗降場の新設、緑字は仮乗降場や信号場の正駅への昇格を示します。

【昭和31(1956)年】
・北住吉駅(札)/瀬棚線
・鶴沼駅(札)/札沼線
・北上徳富駅(旭)/札沼線
・渭ノ津駅(旭)/札沼線
・中ノ岱駅(旭)/札沼線
・五ケ山駅(旭)/札沼線
・武儀駅(釧)/士幌線
・黒石平駅(釧)/士幌線
・東風連駅(旭)/宗谷本線
・南雨竜仮乗降場(旭)/札沼線
・中雨竜仮乗降場(旭)/札沼線
・北秩父別仮乗降場(旭)/留萠本線
・真布仮乗降場(旭)/留萠本線
・花岡仮乗降場(旭)/羽幌線
・富岡仮乗降場(旭)/羽幌線
・興津仮乗降場(旭)/羽幌線
・下ノ滝仮乗降場(旭)/羽幌線
・啓明仮乗降場(旭)/天塩線
・北里仮乗降場(旭)/天塩線
・中川口仮乗降場(旭)/天塩線
・西振老仮乗降場(旭)/天塩線
・富丘仮乗降場(旭)/名寄本線
・弘道仮乗降場(旭)/名寄本線
・糠平ダム仮乗降場(釧)/士幌線
・幸福仮乗降場(釧)/広尾線
・西訓子府仮乗降場(旭)/網走本線
・東六線仮乗降場(旭)/宗谷本線
・瑞穂仮乗降場(旭)/宗谷本線
・南咲来仮乗降場(旭)/宗谷本線
・恵野仮乗降場(旭)/天北線
・周磨仮乗降場(旭)/天北線
・安別仮乗降場(旭)/天北線
・頓別仮乗降場(旭)/興浜北線
・豊浜仮乗降場(旭)/興浜北線
・山臼仮乗降場(旭)/興浜北線
・矢文仮乗降場(旭)/名寄本線
・岐阜橋仮乗降場(旭)/名寄本線
・幸成仮乗降場(旭)/名寄本線
・秋里仮乗降場(旭)/名寄本線
・元西仮乗降場(旭)/渚滑線
・浜床丹仮乗降場(旭)/湧網線
・堺橋仮乗降場(旭)/湧網線
・東富丘仮乗降場(旭)/湧網線
・土佐仮乗降場(旭)/湧網線
・常呂港仮乗降場(旭)/湧網線
・中能取仮乗降場(旭)/湧網線
・二見中央仮乗降場(旭)/湧網線
・達美仮乗降場(旭)/相生線
・大昭仮乗降場(旭)/相生線
・開拓仮乗降場(旭)/相生線
・新富駅:正駅化(旭)/深名線
・糸井駅:正駅化(札)/室蘭本線
・幸福駅:正駅化(釧)/広尾線
・恩根駅:正駅化(旭)/相生線
・布川駅:正駅化(旭)/相生線
・旭駅:正駅化(旭)/名寄本線
・栄丘駅:正駅化(旭)/興浜南線
※この年は戦時中に休止となっていた札沼線が全線での運行を再開。

【昭和32(1957)年】
・白符駅(青)/松前線
・及部駅(青)/松前線
・神明駅(青)/江差線
・豊幌駅(札)/函館本線
・天塩有明駅(旭)/羽幌線
・天塩栄駅(旭)/羽幌線
・初山別駅(旭)/羽幌線
・北平和駅(釧)/士幌線
・依田駅(釧)/広尾線
・協和駅(釧)/標津線
・以久科駅(釧)/根北線
・下越川駅(釧)/根北線
・越川駅(釧)/根北線
・南下沼仮乗降場(旭)/宗谷本線
・北興仮乗降場(旭)/名寄本線
・川西仮乗降場(旭)/名寄本線
・柏陽仮乗降場(旭)/網走本線
※この年は根北線の最初にして唯一になってしまった開業区間、斜里駅〜越川駅が開通。
羽幌線も全通前で、北線に当たる天塩線と、南線に当たる羽幌線とに分かれていた内、羽幌線側の築別駅〜初山別駅が延伸開業。
現在の石北本線は、当時新旭川駅〜北見駅が石北線、池田駅〜北見駅〜網走駅が網走本線と分かれており、池田駅〜北見駅は現在の石北本線新旭川駅〜北見駅〜網走駅が成立するのと同時に池北線となっている。

【昭和33(1958)年】
・釜谷臼駅(札)/札沼線
・月ケ岡駅(札)/札沼線
・知来乙駅(札)/札沼線
・長都駅(札)/千歳線
・大狩部駅(札)/日高本線
・日高東別駅(札)/日高本線
・蓬栄駅(札)/日高本線
・絵笛駅(札)/日高本線
・幌毛志駅(札)/富内線
・振内駅(札)/富内線
・豊岬駅(旭)/羽幌線
・天塩大沢駅(旭)/羽幌線
・共成駅(旭)/羽幌線
・歌越駅(旭)/羽幌線
・天塩金浦駅(旭)/羽幌線
・羽帯駅(釧)/根室本線
・学田駅(旭)/富良野線
・鹿討駅(旭)/富良野線
・西中駅(旭)/富良野線
・北美瑛駅(旭)/富良野線
・西聖和駅(旭)/富良野線
・西瑞穂駅(旭)/富良野線
・西御料駅(旭)/富良野線
・神楽岡駅(旭)/富良野線
・薫別駅(釧)/網走本線
・分線駅(釧)/網走本線
・五鹿山仮乗降場(旭)/湧網線
・西二線仮乗降場(釧)/根北線
・14号仮乗降場(釧)/根北線
・16号仮乗降場(釧)/根北線
・幌内住吉駅:正駅化(札)/幌内線
※この年に羽幌線が全通。
(昭和27年の路線図では未開業区間も掲載されていましたが、当時未開業だった築別駅〜初山別駅も、幌延駅〜遠別駅間と合わせて天塩線と表記されていましたが、結局天塩線として開業した幌延駅〜遠別駅も羽幌線に編入され、留萠駅〜築別駅〜初山別駅〜遠別駅〜幌延駅の全線が羽幌線という一つの路線になりました。)
富内線は富内駅〜振内駅が延伸開業(振内駅〜日高町駅の開業によって全通したのは昭和39(1964)年)。

【昭和34(1959)年】
・下鶉駅(札)/函館本線上砂川支線
・東鶉駅(札)/函館本線上砂川支線
・浜田浦駅(札)/日高本線
・汐見駅(札)/日高本線
・北星駅(旭)/宗谷本線
・日進駅(旭)/宗谷本線
・南幌延駅(旭)/宗谷本線
・潮見町駅(旭)/名寄本線
・札幌市場駅(貨物駅)(札)/函館本線
・於札内仮乗降場(旭)/札沼線
・稲士別仮乗降場(釧)/根室本線
・北剣淵仮乗降場(旭)/宗谷本線
・智北仮乗降場(旭)/宗谷本線
・六興仮乗降場(旭)/名寄本線
・様舞駅:正駅化(釧)/網走本線
・豊住駅:正駅化(釧)/網走本線
・西訓子府駅:正駅化(釧)/網走本線
・西富駅:正駅化(釧)/網走本線
・穂波駅:正駅化(旭)/網走本線
・北光社駅:正駅化(旭)/網走本線
・西永山駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・北永山駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・南比布駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・北比布駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・東六線駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・下士別駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・南美深駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・初野駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・下中川駅:正駅化(旭)/宗谷本線
・矢文駅:正駅化(旭)/名寄本線
・岐阜橋駅:正駅化(旭)/名寄本線
・北興駅:正駅化(旭)/名寄本線
・共進駅:正駅化(旭)/名寄本線
・北遠軽駅:正駅化(旭)/名寄本線
※北遠軽駅は正駅化に際して、仮乗降場時代の「学田」から改称しています。前年に開業した富良野線の学田駅との区別のためでしょう。共進駅も、仮乗降場時代は「一区中通(いっくなかどおり)」と名乗っていました。

【昭和35(1960)年】
・豊ヶ岡駅(札)/札沼線
・札的駅(札)/札沼線
・歌神駅(札)/歌志内線
・参郷駅(札)/胆振線
・十勝東和駅(釧)/広尾線
・新生駅(釧)/広尾線
・西一線駅(釧)/網走本線
・北日ノ出仮乗降場(旭)/石北線
・将軍山仮乗降場(旭)/石北線
・愛山仮乗降場(旭)/石北線
・東雲仮乗降場(旭)/石北線
・伊奈牛仮乗降場(旭)/石北線
・豊泉駅:正駅化(青)/室蘭本線

以上、大まかに列挙してみました。
路線の新設開通に伴うものを除けば、正駅の開業は年に数駅ですが、昭和33(1958)年以降はその設置数が若干ですが増加しているのが分かるかと思います。
特に昭和33年の正駅の新設数は他の年より多く、さらにその半数近くが富良野線に集中しているのが見て取れます。
富良野線の起点、富良野駅は根室本線に所属し、釧路鉄道管理局管内ですが、起点からすぐに鉄道管理局境界があり、富良野線全駅が旭川鉄道管理局の管内となります。

仮乗降場を数多く設置するのは旭川鉄道管理局の「お家芸」といったところで、他の3つの鉄道管理局は旭川鉄道管理局ほど多数の仮乗降場を設けることはありませんでした。
その旭川鉄道管理局が昭和33年は富良野線に対して仮乗降場ではなく正駅を開業させていた結果(厳密に言えばこの表現は正確ではなく、正駅の設置は国鉄本社が行うものなので、旭川鉄道管理局が仮乗降場を設置しなかったこととの直接的な因果関係はありませんが)、同年の仮乗降場の新設数が伸びなかったものと考えられます。

昭和30年には深名線、昭和31年には湧網線など、昭和35年には石北本線、昭和38年には留萠本線といった具合に、ある年に集中してその路線に仮乗降場を新設する傾向があり、同一路線の仮乗降場は同一年の開設ということが多く、推測ではありますが、昭和33年はそれが富良野線の年だったということなのでしょうか。
富良野線には仮乗降場として開業した駅が全く無く、旭川鉄道管理局管内では異色の路線とも言えます。

また仮乗降場の正駅化ですが、上掲のとおり、昭和32(1957)年は皆無でしたので、昭和33年が際立って少ないということではなかったことは補足させて頂きたいと思います。
(ただ、前後の年に比べると昭和32、33年の両年は目立って少なかったのは事実です。)

また、昭和31(1956)年は仮乗降場の設置が極めて多い一方で、札沼線の全線復旧に関連するものを除くと北住吉駅、武儀駅、黒石平駅(これも糠平ダム建設に伴う新線への切り換えに関係した新駅と考えることもできます)、東風連駅の4駅しかなく、冒頭で掲示した前回の記事でも述べたように、やはり昭和30年代前半は年によって傾向が大きく異なり、背景として、動力近代化の波、レールバスの導入とその問題点の顕在化、モータリゼーションの予兆など、ローカル線の輸送の在り方においては時代の転換点に差し掛かる時期だったという外的要因は少なからず影響していたと、私は思います。

こと仮乗降場については、毎年複数の設置をしていた旭川鉄道管理局がただ1ヶ所しか設置しなかった昭和33年。
牧歌的な風景の中をSLが走っていたような、今と比べると実にのんびりとした時代の国鉄路線でしたが、目に見えない所で、確実に高度成長期という激動の時代はやって来ていたのかも知れません。



今回は羅列的な記事で、大変見辛くなってしまいました。
またまとまりのない記事で汗顔の至りですが、ここまでお付き合い頂き、今回もありがとうございました。