今回は、名前の由来がほんの少し変わった仮乗降場ということで、羽幌線花岡(はなおか)仮乗降場を取り上げたいと思います。
仮乗降場来歴
昭和31(1956)年8月20日
花岡(はなおか)仮乗降場として開設
(旭川鉄道管理局による局設定)
昭和62(1987)年3月30日
羽幌線廃線により廃止
仮乗降場名の由来
開設時は小平村(おびらむら)、昭和41(1966)年より小平町(おびらちょう)となりますが、同町の字名(字花岡)を仮乗降場名としています。
花岡の名は、和語由来です。
旧来のオンネトマリ、オン子(ね)トマリ、小平蘂(おびらしべ)などの地区からなる地域で、通称鬼泊(おにとまり)とも呼ばれたそうです。
花岡とは文字通りの意味ではあるのですが、花というのが具体的にユリ(和田ユリとして名声を博したというユリ)と、除虫菊のことを指しています。
そしてそれが段丘上一面に花が咲くことから「花岡」なのだそうです。
段丘というのは花岡地内を流れる鬼泊川の河岸段丘でしょうか。
小平の町の中心部には小平蘂川という大きな川が流れていますが、鬼泊川はその北で日本海に注ぐ別の水系です。
花岡だとか富岡だとかといった、この手の地名は願望地名であったり、もう少し大雑把な由来であることが多いですが、ここ小平町の花岡は、地元の特産品が地名に反映されており、何の花を指すかが具体的になっている点で珍しいと思われます。
現代風であれば「百合が丘」「菊丘」などといった名前を付けるところでしょうか。
花岡の字名は昭和12(1937)年度からあり、地名としてはさほど新しくはありません。
なおオンネトマリの語義は私の調べが足りず、分かりませんでしたが、普通に解釈すればonne-tomariで、onneは「古い、年老いた」という意味ですが、地形に使われる場合は「(2つあるうちの)大きい方の」という意味合いにもなります。
小平蘂は「オ・ピラ・ウㇱ・ペッ」、すなわちo-pira-us-pet(川尻に崖のある川)で、現在の町名である「小平(おびら)」も同語源です。
なお小平蘂村発祥の地は臼谷ノ沢川の河口付近、現在の地名でいう臼谷になるそうです。
全く余談ですが、東京都には「小平(こだいら)市」という市があり、西武鉄道に「小平駅」もあります。
小平の「小」は「小川」という地区名から取ったもので、現在も小平市の広い範囲を指す地名であり、西武線の青梅街道駅から小川駅および小平駅にかけて広がる一帯の名称です。
羽幌線にも「小平(おびら)駅」がありましたので、同じ字で違う読み、しかも片やアイヌ語地名ですので、なかなかアイヌ語地名に漢字を当てるのも難しいものだと感じさせられます。
「広尾駅」というのも東京都と北海道にあり、北海道ではアイヌ語地名ですね。
ダイヤ
羽幌線は昭和33(1958)年に最後の初山別駅〜遠別駅間が開業して、やっと全線開通となった路線です。
昭和33年以降は仮乗降場の新設が極端に少なかったというのは以前の記事 で触れましたが、羽幌線も例外ではなく、昭和32(1957)年開業の築別駅〜初山別駅間、昭和33(1958)年開業の初山別駅〜遠別駅間には仮乗降場が皆無で、仮乗降場だらけの羽幌線にあって異質な区間です。
その全通の約4年後、昭和37(1962)年5月の時刻表を見てみますと、普通列車は一日9往復あり、花岡仮乗降場には全列車が停車していました。
この頃はまだ羽幌線も沿線の炭鉱が盛業中で、ニシン漁の衰退はしていたものの、沿線人口も多かったのでしょうか、仮乗降場でも通過列車が設定されていた所は少なく、北里、干拓、中川口、西振老の4乗降場のみでした。
北里、西振老とともに昭和40年代には廃止になってしまう羽幌駅〜築別駅間にあった下ノ滝(しものたき)仮乗降場も全列車停車でした。
まだ羽幌線は気動車化されておらず、SL牽引の客車列車の時代です。
時代は下って昭和55(1980)年8月号の時刻表。
国鉄再建法に基づく不採算路線の整理が始まる前の、ローカル線が最後の輝きを放っていた頃、羽幌線は普通列車が7往復に減ってしまっていますが、うち下り1本と上り2本は留萠以南で急行列車となる運用で、花岡仮乗降場についてはこれらも停車し、下りの初発1本、上りの日中1本と最終1本の計2本が、それぞれ通過していた他は停車していました。
もちろん、気動車列車です。
この頃になると花岡から大椴(おおとど)駅を挟んで一つ羽幌寄りの富岡(とみおか)仮乗降場が特に停車本数が少なくなってしまっています。
下りの最終列車である留萠発鬼鹿(おにしか)行きの普通列車も、大椴駅まで丹念に仮乗降場も含め全てに停車していますが、終点の一つ手前、富岡仮乗降場だけは通過して鬼鹿駅で終着となります。
羽幌線全体を見ても、全列車停車の仮乗降場はかなり少なくなっていますので、花岡仮乗降場は停車本数には恵まれていた部類に入ります。
最後に、国鉄再建法に基づく特定地方交通線の廃止がトップを切って白糠線から始まった後の、昭和59(1984)年2月号の時刻表から。
花岡仮乗降場の普通列車の本数と停車本数は変わらず、下り7本中6本、上り7本中5本が停車しています。
ただし、羽幌線自体に急行の設定は依然あるものの、留萠以南で急行となる羽幌線普通列車という列車はなくなっています。
下りには全ての仮乗降場に停車するという列車が1本ありますが、上りにはなく、また下りには正駅である天塩金浦駅を通過する普通列車が1本あります(この1本は花岡仮乗降場には停車します)。
上りの花岡通過の列車のうち1本は昭和55年と変わらず日中ですが、これは幌延発留萠本線直通の深川行きで、留萠本線北秩父別(きたちっぷべつ)仮乗降場に停車する最終の上り列車でもあります。
北秩父別はこの当時から、停車列車がとりわけ少ない仮乗降場でしたが、留萠からさほど離れていない花岡から、もし北秩父別に向かうとしたら、午前11時台に花岡を出なければならないことになります。
この11時台の次の上りが14時台の花岡通過の便で、かつ北秩父別仮乗降場上り最終列車となるのです。
仮乗降場はあくまで仮乗降場、鉄道管理局の裁量で設置しているものなので、国鉄本社が設置している正駅に比べるとやはり利便性に欠くのは仕方ないところでしょうか。
羽幌線自体が国鉄民営化を2日後に控えた昭和62(1987)年3月30日に廃線(最終営業は3月29日)となり、「JR花岡駅」にはなることができませんでした。
逆に北秩父別は昔も今も通過する普通列車の方が多いくらいの仮乗降場ですが、「JR北秩父別駅」になり、石狩沼田駅〜留萌駅間が廃止された後、この記事を書いている令和5年10月現在も辛うじて生き残り、昔日の仮乗降場の姿を今に伝えています。
もうすぐ鉄道記念日ですが、日本の鉄道が置かれた環境は決して良いものとは言えず、日本列島各地に血管の如く張り巡らされた鉄路が関係者の方々の不断の努力によって守られ、鉄道記念日を元気に列車が走っている状態で迎えられることの有り難さを一年一年噛みしめている今日この頃です。
しかし、路線が残存しても利用者の少ない駅は安泰とは言えず、仮乗降場由来の駅は年々廃止されていっています。
半ば聖地となった宗谷本線の糠南(ぬかなん)駅や、室蘭本線の小幌(こぼろ)駅をはじめ、自治体管理に移行している駅も増え、駅のあり方も変化し始めていますが、地元で駅を維持するのも容易ではありませんから、一日でも長く生き長らえるように、私たちファンも「列車に乗って残す」「駅の日常風景を目に焼き付ける」ようにできればな、と思う次第です。
ただし、地元の方々のご迷惑にはならないように配慮するのは当然のこととして気を付けたいところです。
北海道の数ある仮乗降場の中では、決して目立つ方ではない名前の、花岡仮乗降場。
しかし、産業構造が変化していく世の中にあって、その土地の名産品に由来する地名を付けられたというのは、その土地の人々の営みを後世に伝えるものでもあり、素敵な地名だと思います。
今回も長らくお付き合い頂き、ありがとうございました。