今回は小ネタ的なお話です。


自治体別、仮乗降場の多い市町村トップ3

を見ていきたいと思います。



仮乗降場の数は、停車場の生涯において一時期でも仮乗降場またはそれに相当する扱いをされていたことのあるものは全てカウントの対象とします。


また、国有の鉄道のみを対象とし、国有化前の民営時代に仮乗降場的な扱いだったものについては対象外とします(制度が大きく異なる場合があるため)。


なお、戦後は基本的に鉄道管理局が仮乗降場を設定し、国鉄本社が認知していないことが仮乗降場の大きな特徴でした(ゆえに全国版の時刻表には基本的に非掲載)。

しかし、戦前は必ずしも局設定であるとは限らない(裏づける資料が少ないためでもある)点、そして臨時駅との区分が難しい点、これは民営化後はJR各社が設定してきた「臨時駅」に対し、国鉄時代の「臨時乗降場」が「仮乗降場」と明確に区分されていたかどうか分からないケースもあり、さらには本社設定の臨時乗降場と局設定の臨時乗降場とがあった可能性も否定できず、局設定の仮乗降場とされる乗降場が全国版の時刻表に「臨時乗降場」すなわち(臨)の標記で掲載されていた例もあるので、基本的に局設定かどうかは判断材料に含めません。

全国版に掲載されていた(臨)の表示の乗降場も、明らかに本社設定で、明らかに季節営業という意味での「臨時」と判断できる場合は、仮乗降場のカウントから除外します。

季節営業目的のものでも、仮乗降場という呼称が使われていたものは対象とします。


例として…

・東海道本線袖師駅:全国版の時刻表に(臨)の表記とともに掲載されており、海水浴客向けの季節営業、仮乗降場という呼称ではなく臨時乗降場ないし臨時駅と言われていたため除外。

・筑肥線深江浜仮乗降場:全国版の時刻表に(仮)の表記で掲載されていたため、仮乗降場として含める。

・常磐線公園下仮乗降場:後に公園下臨時乗降場を経て偕楽園臨時乗降場となっているが、梅の開花時期に合わせて季節営業ではあるものの、当初は仮乗降場と呼称していたため対象とする。

ちなみに令和5年現在もこの偕楽園駅は下り線にしかホームがなく、上り列車は物理的に停車することが出来ない変な臨時駅で、にも関わらず上りの時刻表にもしっかり記載されている変わり種です。

(この点、士幌線の下り列車しか停まらない黒石平駅と上り列車しか停まらない電力所前仮乗降場が道内版時刻表にはどちらも上下線に記載があった一方、全国版時刻表では電力所前仮乗降場も黒石平駅の発車時刻として記載されていたという意味で偕楽園と比較するのに好例かと思います。)

・中央本線東塩尻信号場:北海道の旅客の取扱いをしていた多くの信号場と同様、ここも仮乗降場として旅客の取扱いを行っていましたので、対象とします。


という具合に、本州の例を引き合いに出しましたが、本稿では北海道においてどうであったかについて触れます。

そもそも1自治体に2か所以上の仮乗降場があるという場所が北海道以外にはほとんどありません。


というわけで、前置きが長くなりましたが、見ていきましょう。



第1位

北海道雨竜郡幌加内町

(9か所)

面積が広く、人口密度が低く、駅間距離が長く、並行道路の整備が長らく充分でなかった、仮乗降場が多数生まれる要素が重なった土地と言えます。

深名線が町内を通る唯一の鉄道路線でしたが、この路線が旭川鉄道管理局の管轄であったことも大きいでしょう。

以前こちらの記事で触れたとおり、旭川鉄道管理局は北海道全体の仮乗降場の過半数を占めていました。

現存数で見ると旧旭川鉄道管理局管内の仮乗降場由来の駅は21駅中10駅と約半数で、民営化と同時に駅になったものに限って言えば、12駅中6駅とやはり半数を占めます。

民営化と同時に駅になったものは、北秩父別駅、瑞穂駅、糠南駅など、往時の仮乗降場の姿を今に伝える貴重な存在です。


・新成生(しんなりう)

・上幌加内(かみほろかない)

・政和温泉(せいわおんせん)

・下政和(しもせいわ)

・新富(しんとみ)

・大曲(おおまがり)

・共栄(きょうえい)

・湖畔(こはん)

・宇津内(うつない)


政和温泉は下政和の実質的な移転に当たり、下政和の廃止と同時に政和温泉が開設されています。また宇津内は正駅が昭和24(1949)年に廃止となり仮乗降場となったもので、廃止時期は不明で、町内で一番新しい湖畔仮乗降場が開設した昭和31(1956)年5月1日時点では存在していたことが確認されています。

また新富仮乗降場は開設から約1年後の昭和31年9月20日付けで正駅となっています。

以上のことから、同時に仮乗降場として存在したのは多くても8か所ということになります(昭和31年5月1日〜9月20日)。


なお、同じく幌加内町にあった蕗ノ台駅、白樺駅は昭和52(1977)年より冬期休止の臨時乗降場(季節営業)となりましたが、引き続き駅として扱われていたため、ここでは除外しています。




第2位

北海道茅部郡森町

(6か所)

意外にも青函鉄道船舶局管内の森町が同率第2位です。

同率で5町がランクインしています。

大幹線である函館本線には戦時中に増大する物資の運搬のために多数の信号場が新設され、それが旅客取扱いも行っていた結果、戦後まで残ったという例が多いようです。


・東山(ひがしやま)

・姫川(ひめかわ)

・桂川(かつらがわ)

・石谷(いしや)

・本石倉(ほんいしくら)

・渡島沼尻(おしまぬまじり)


なお、東森駅は国有化前に仮乗降場として開業したものですが、戦中の国有化と同時に廃止となり、同名の駅が国鉄の手により戦後に開業して現在に至っており、駅名こそ同じですが、その位置も仮乗降場時代と違うようなので、全く別物と考えられます。


また、石谷は昭和21(1946)年に正駅化、本石倉は信号場としては昭和19(1944)年開設ですが旅客取扱いは昭和23(1948)年からとされているので、仮乗降場として全てが同時に存在していたことはありません。

桂川は信号場としては昭和19年開設ですが、旅客取扱いをいつから行っていたのかは不明です。




第2位(同率)
北海道枝幸郡中頓別町
(6か所)
天北線が町内に6つの仮乗降場を置いていました。
天北線はとりわけ仮乗降場の多い路線ではありましたが、6か所に及ぶとは、町域の広さを感じさせます。

・天北栄(てんぽくさかえ)
・恵野(めぐみの)
・周磨(しゅうまろ)
・上駒(かみこま)
・寿(ことぶき)
・新弥生(しんやよい)

昭和40(1965)年に廃止となった天北栄を除き、全て国鉄民営化と同時に正駅に昇格しています。
ただし新弥生のみ昇格時点では臨時駅として冬季の休止期間が設定されましたが、休止期間に入る直前に通年営業に変更され臨時駅ではなくなったため、結局一日も休止になった日はありませんでした。



第2位(同率)
北海道枝幸郡浜頓別町
(6か所)
中頓別町のお隣、頓別川を下ってオホーツク沿岸の町、ここ浜頓別町も中頓別町と同じく6か所の仮乗降場がありました。
天北線に4つ、浜頓別駅から分かれる興浜北線に2つです。

・常盤(ときわ)
・北頓別(きたとんべつ)
・安別(やすべつ)
・飛行場前(ひこうじょうまえ)
・頓別(とんべつ)
・豊浜(とよはま)

北頓別が昭和42(1967)年に廃止になった他は廃線まで存続しました。
興浜北線に置かれた頓別、豊浜は昭和60(1985)年の国鉄時代に廃線を迎えていますが、天北線に置かれた残りの3乗降場は民営化とともに正駅となっています。
飛行場前は安別とともに一駅間に2か所仮乗降場が並んでいることに加えて、「飛行場がないのに飛行場前」として知られた存在でした。



第2位(同率)
北海道紋別郡上湧別町(現・湧別町)
(6か所)
名寄本線の主要駅、中湧別駅を中心として線内でも大きな町でした。
平成の大合併によって湧別町に合併し、旧湧別町内の3か所を合わせると9か所となりますが、路線が廃止になってからの合併なので、ここでは旧上湧別町単独の数として計上しています。

・旭(あさひ)
・川西(かわにし)
・北湧(ほくゆう)
・厚生病院前(こうせいびょういんまえ)
・一区中通(いっくなかどおり)
・五鹿山(ごかざん)

北湧は厚生病院前の実質移転再開業で、厚生病院前の廃止と同時に北湧が開設されていますが、書類上は厚生病院前の廃止、北湧の新設という扱いなので別の仮乗降場としてカウントしています。
旭、川西、一区中通は昭和30年代に正駅化しています
(一区中通は正駅化に際して共進駅に改称)。
五鹿山のみ湧網線の仮乗降場で、民営化直前に廃線を迎えています。
実際に民営化と同時に正駅になったのは北湧のみでしたが、北湧は昭和40年代に開設された数少ない仮乗降場でした。

なお現在の自治体として湧別町域の仮乗降場をカウントすると、旧湧別町内の四号線(しごうせん)、福島(ふくしま)、志撫子(しぶし)が加わります。
四号線は名寄本線の湧別支線にあったため民営化と同時に正駅化、福島と志撫子は湧網線の仮乗降場で民営化直前に同線が廃線となっているので、仮乗降場のまま生涯を終えています。


第2位(同率)
北海道網走郡津別町
(6か所)
町内には相生線のみが通りますが、相生線といえば興浜南線とともに昭和30〜31年のごく短期、3連続仮乗降場の区間があった路線で、それらが全て津別町内に位置したため、ランクインしました。

・達美(たつみ)
・高校前(こうこうまえ)
・恩根(おんね)
・大昭(たいしょう)
・開拓(かいたく)
・布川(ぬのかわ)

既述のとおり、大昭、開拓、布川が3連続で仮乗降場でした。
大昭と開拓は昭和31(1956)年5月1日開設ですが、同年の9月20日には恩根とともに布川が正駅化したので、3連続だった期間は僅か4か月半でした。
恩根、布川以外は、相生線が廃線となる昭和60(1985)年まで仮乗降場のままでした。
相生線の正駅化の基準はよく分からないところがあり、美幌町役場最寄りで全列車が停車し切符の販売も行っていたという旭通(あさひどおり)は最後まで仮乗降場でしたが、恩根や布川は仮乗降場由来の駅のためか正駅ながら普通列車でも通過するものが多かったです。
一つには、昭和30年以降に開設された仮乗降場は正駅化される機会がなかったということは挙げられると思います。
恩根が仮乗降場としてはいつ開設されたのか分かっておらず、何とも言えないところですが。



第7位
北海道旭川市
(5か所)
同率の自治体が多く、次点は第7位となってしまいました。
旭川鉄道管理局のお膝元、旭川市です。

・春志内(はるしない)
・嵐山(あらしやま)
・旭川四条(あさひかわよじょう)
・西永山(にしながやま)
・北永山(きたながやま)

これらも全て同時に存在していたことはなく、函館本線の春志内と、明治期に簡易乗降場として扱われた神居古潭は昭和44(1969)年のルート変更で廃止となっています。
春志内は信号場でしたが、旅客取扱いを行っていた仮乗降場でもあるものの、旅客取扱いをいつからいつまで行っていたかの記録がなく、不明点が多いです。
昭和38(1963)年の道内版時刻表に掲載されており、実際に停車列車もあったことから、当時は旅客取扱いをしていたようですが、昭和44年の廃止時には旅客取扱いはしていなかった模様です。
信号場としては昭和36(1961)年開設と新しく、それ以前から線路班があったことからこの地点での客扱いはしていた形跡がありますが、実際に客扱いする列車は極端に少なく、信号場新設によってそのまま仮乗降場に横滑り、となったかどうかは分かりません。
神居古潭は明治期に簡易乗降場として扱われていましが、当時は旭川町ではなく江丹別村(現在の旭川市江丹別町)に属していましたので、ここには含めませんでした(江丹別村は昭和30年(1955)に旭川市に合併)。
ただし、正駅になった期日は不明です。
簡易乗降場時代に貨物の取扱いも始まったようで、戦後の仮乗降場とは若干様相が異なるのかも知れません。
函館本線では、臨時営業として嵐山仮乗降場もありましたが、当初より季節営業としての設置だったらしく、昭和33(1958)年6月から8月までの営業でした。
翌年以降は開設されることもなく、実質的には廃止となったわけですが、書類上どのようになっていたのか定かではありません。

旭川四条は宗谷本線に所属しますが、開設時期は不詳(一説には昭和32(1957)年2月1日)です。
昭和48(1973)年には正駅化しています。
北永山、西永山も同じく宗谷本線で、西永山は北永山より新しい昭和30(1955)年開設ながら、昭和34年には早くも北永山と同時に正駅化しており、しかし昭和43年に開業する北旭川貨物駅に用地を譲るような形で、昭和42(1967)年に廃止された短命な駅でした。
北永山は昭和22(1947)年開設の古参仮乗降場で正駅化の時期も古いものの、平成2(1990)年に0.6km移転しており現在の駅は全く新しいものとなっています。



以上、かなり私の独断と偏見は入っていますが、このような結果となりました。
次点の4か所というと留萌市や深川市など、該当する自治体は数多くありますので割愛させて頂きます。
トップ3ということで、ここまでざっと見てきました。
というわけで全て北海道の自治体でした。
私の調べた範囲でまとめたものなので、見落とし、誤り等あるかとは思いますが、どうかご容赦頂ければ幸いです。


短くまとめるつもりがダラダラと長くなってしまい、汗顔の至りです。
ここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました。