前回、頓別仮乗降場をご紹介しましたので、その派生記事として北頓別(きたとんべつ)仮乗降場を取り上げさせて頂きます。


頓別の記事でも述べましたが、天北線は頓別川に沿って走る区間に「○頓別」という駅が複数あります。

音威子府駅で宗谷本線から分かれ、上音威子府駅までは天塩川水系の音威子府川の流域ですが、山を越えて中川郡から枝幸郡に入ると頓別川に沿ってオホーツク沿岸の町、浜頓別へと下って行きます。

浜頓別駅は天北線の一大拠点の駅で、当駅折返しの列車もあり、興浜北線との接続駅で、また急行「天北」も停車する主要駅です。

その浜頓別駅から稚内方面へ一駅、隣の山軽駅との間にあったのが北頓別仮乗降場です。

天北線は仮乗降場が多い路線の一つでしたが、殆どの仮乗降場がJR化まで存続して駅に昇格したのに対し、北頓別仮乗降場は一際早い時期に廃止となっています。



仮乗降場来歴

時期不詳

 北頓別仮乗降場として開業

昭和42(1967)年10月1日

 廃止


路線は異なりますが、オホーツク沿岸に頓別仮乗降場、浜頓別駅、北頓別仮乗降場と並んで存在していました。


「停車場変遷大辞典」には当乗降場の実キロの記載がなく、位置は不明ですが、昭和38(1963)年の北海道時刻表では浜頓別駅〜北頓別仮乗降場間の所要時間はわずか2分でしたので、かなり浜頓別駅から近くであることが分かります。

(参考までに、以前取り上げた相生線旭通仮乗降場は、美幌駅から実キロで2.0km、所要時間は3分でした。)

それを踏まえて廃止の昭和42年より以前の国土地理院が公開している航空写真を見てみると、浜頓別の市街地の北のはずれにそれらしき場所が確認できます。

(なおWikipediaでは所在地を現在の浜頓別町字日の出としていますが、同ページには出典元が記載されていないため、あくまで参考情報として挙げておきます。

なお、下掲の航空写真のこの場所、クッチャロ川がクッチャロ湖から出てMの字を描くように線路とその東側の土地を舌状に取り囲む部分が、日の出に該当するエリアです。)


昭和26(1951)年米軍撮影の航空写真。

青○は浜頓別駅、赤い矢印が北頓別仮乗降場と思われる場所です。

左上はクッチャロ湖、そこから流れている川は頓別川の支流のクッチャロ川です。

昭和23(1948)年の航空写真では解像度の関係で、既に開設されているようにも、まだ無いようにも見えます(あるいは建設中?)→次写真を参照

昭和23(1948)年米軍撮影の航空写真。

前掲の写真で赤矢印で示した部分を赤○で示しました。

浜頓別駅を出てから大きく描く左カーブを曲がり切って直線に入るところです。

矩形に草が刈り払われたような人工的な構造が見えますが、これからホームを設置する準備がなされているのでしょうか?


※元写真は東が上になっていましたので、90°回転して掲載しています。

昭和52(1977)年の航空写真。

画面下に見切れていますが、これが浜頓別駅と市街です。

緩い左カーブを曲がり切ったところにあったと思われる北頓別仮乗降場は、この写真では廃止から10年経っており、跡形もありません。


なお、開設の時期は戦後の早い時期と推測されますが、まだSLが主力の時代に、浜頓別駅からこれだけ近い位置に仮乗降場が設置された経緯も気になるところです。

廃止の理由もまた詳らかではありませんが、廃止の翌年、昭和43(1968)年にクッチャロ湖が北オホーツク道立自然公園に指定されたことを皮切りに、平成元(1989)年にラムサール条約に登録されるまでの一連の流れがあったことに鑑み、当乗降場が何らかの理由で撤去されるのが望ましいという運びになったのかも知れません。
通説では利用者の減少のための廃止とはなっていますが、停車本数もそこそこあったこの仮乗降場が、利用者の減少だけの理由で廃止になるとは考えにくく、あるいは浜頓別駅から近すぎることも一因かも知れません。
停車本数が多かったのに反して早々に廃止になったことから、設置当初の期待を大きく下回る利用者数しか得られなかったという可能性もあります。
いずれも私の個人的な推測に過ぎませんので、悪しからず。

浜頓別駅からの距離が近く、一方で浜頓別市街地とはまったく離れた場所にあったので、元々大きな需要は見込めなかったと思われますが、設置の経緯も廃止の理由も、どうにもはっきりしないところです。


仮乗降場名の由来

こちらも推測になりますが、浜頓別駅の北方にあったことによる命名ではないかと思われます。

あるいは興浜北線の頓別仮乗降場と対をなす仮乗降場名か、とも思いましたが、興浜北線の頓別仮乗降場は昭和30(1955)年開設、北頓別仮乗降場は開設時期は不詳とされていますが、国土地理院が提供している航空写真では、昭和26(1951)年撮影のものに既に北頓別仮乗降場らしきものが写っていますので、頓別仮乗降場より先に開設したのはほぼ確実で、やはり浜頓別駅の北側という立地による命名と考えた方がしっくりきます。


頓別という地名の由来については「頓別仮乗降場」の記事をご参照下さい。


ダイヤ

不明なことの多い当乗降場で唯一はっきりしているのがダイヤで、幸運なことに道内版の時刻表に掲載されていました。

昭和38(1963)年7月号の交通公社版「北海道各線時刻表」の時点では、天北線の普通列車は全て気動車運行でしたが、下りの朝の2本、上りの最終1本が通過していました。

停車は下りが一日4本、上りが一日5本で、浜頓別駅以北の天北線の仮乗降場としては停車本数が最も少なかったのは事実です。

とはいえ、下りの2本目が北頓別のみ通過する列車であるというだけで、それ以外は安別、飛行場前と同じだけの列車が停車していました。

浜頓別駅以北の仮乗降場としては他に宇遠内がありますが、宇遠内のみ全普通列車停車となっていました。


ただ、決定的に問題なのは、下りが朝2本通過となっていることで、最初に停車する下り列車が11時14分発という点です。

この列車は浜頓別駅を11時12分に発車するのですが、その前に浜頓別駅を出る下り列車が5時18分発と7時17分発の2本です。

7時17分発の方は安別仮乗降場を7時29分、飛行場前仮乗降場を7時34分に発車し、猿払7時49分、鬼志別8時5分、曲淵8時35分発で、終点の南稚内駅に9時15分に到着(始発は音威子府駅で、5時50分発)と、通学の時間帯に掛かっているので、これが停まらないのは北頓別仮乗降場の利便性においては大きくマイナスだったと考えられます。

一方、上りは午前中に普通列車がそもそも6時台と11時台のみでしたので、降雪期でもない限り、浜頓別駅まで一区間だけ乗車するという使い方も現実的ではなかったかと思われます。


参考までに、手元には昭和37(1962)年5月号の交通公社版時刻表もありますが、こちらも停車本数は同じでした。



今回は前回の頓別仮乗降場の派生記事として取り上げてみました。

本来ならもう少し調べがついてから記事にすべきなのかも知れませんが、私の力不足で、明らかにできていない部分も多く、お恥ずかしい限りです。

頓別仮乗降場を取り上げたからにはと思い、筆を取った次第です。


歴史の中に埋もれてしまいそうな、今ではあまり知られていない仮乗降場に、これからもスポットライトを当てていけたらと思います。