今回は石北本線の美幌駅から分かれて北見相生駅までの36.8kmを結んだ国鉄相生線きっての優良(?)仮乗降場、旭通(あさひどおり)仮乗降場についてご紹介します。


相生線は美幌駅で石北本線と接続する他は接続路線を持たない盲腸線でした。

この、さして長くない路線(とはいえ、山手線一周34.5kmよりは長いのてすが)は美幌駅を除いて7つの駅があったのに加え、6ヶ所もの仮乗降場があった仮乗降場多産地帯でした。


天北線や湧網線、宗谷本線などで正駅間に仮乗降場が2つ連なる場所はありましたが、3つ連なる場所は道内版時刻表をいくら眺めても見つかりません。

と思いきや、過去の一時期、そうなっていた場所はありました。

その内の一つがこの相生線。

昭和31年5月1日に大昭と開拓の2仮乗降場が同時に開設され、同年9月20日に布川仮乗降場が布川駅に昇格するまでの4か月半という短さでしたが。

ちなみに、同じ日に、興浜南線の栄丘仮乗降場が栄丘駅に昇格し、元沢木、栄丘、雄武共栄の3仮乗降場連続が途切れましたが、そちらも昭和30年12月25日に元沢木、雄武共栄が開設してからの約9か月という短期間でした。


このように仮乗降場が豊富な相生線でしたが、その扱いは全て平等というわけではなく、正駅すら通過する速達型の普通列車でさえ停車する、非常に重要な扱いを受けていたのが旭通仮乗降場でした。


というのも、美幌町役場の最寄りの仮乗降場であり、当時から美幌町の中心街に近く住宅も密集していた地理的要因が背景にあるものと思われます。

現在も旭通りというバス停がありますが、仮乗降場の旭通とは若干離れているようです。


ただし美幌駅から距離が近過ぎるためか、その生涯を通じて仮乗降場であり続けました。


仮乗降場来歴

昭和30(1955)年8月20日

 旭通仮乗降場として開設

昭和60(1985)年4月1日

 路線の廃線により廃止


仮乗降場名の由来

町内の通りの名から取ったそうです。


ダイヤ

相生線は全て普通列車で運転されていましたが、停車パターンはかなりバリエーションに富んでいました。

正駅も含め通過する乗降場が多い列車でも、線内の中核駅である津別駅と、活汲駅、上美幌駅、本岐駅、そしてこの旭通仮乗降場だけは必ず停車していました。


昭和52年当時のダイヤでは区間列車の設定はなく、最速達の列車(下り最終、上り最終2本)の停車駅は美幌、旭通、上美幌、活汲、津別、本岐、北見相生のみでした。

最速列車の所要時間は、上り48分(評定速度46.0km/h)、下り53分(評定速度41.67km/h)と、速達性に優れていました。

(下りの最速便は津別駅で交換がありましたが、津別駅の停車時間以上に各駅間の所要時間が上り列車より掛かっており、評定速度の差は登り勾配による速度差と考えられます。)



相生線は美幌町から内陸へと分け入る地域密着型の路線で、美幌町や津別町の生活の足、そして高校への通学の足として活躍しました。

終点、北見相生駅から国道240号を辿り釧北峠を越えると釧路市に入り、観光地でもある阿寒湖も近いです。

決して目立つ鉄道路線ではありませんでしたが、往時は木材輸送と阿寒湖観光で賑わったそうです。

晩年はマイカーやバスに勝てず輸送量を減らしましたが、廃止は免れなかったにせよ、活用次第では第一次特定地方交通線の基準となる輸送密度はクリアできるポテンシャルはあったのかも知れません。

末端の人口は希薄でしたので、経営的にはやはり厳しかったとは推察されますが。

個人的には廃線跡を辿ってみたいと強く思わせる路線の一つだと思います。