うつなので宮古島に移住しました -169ページ目

砂浜で無心になる


引っ越したばかりの頃は
やたらと早朝覚醒でむっ
1日の昼間の時間がとっても長く感じられた
家に閉じこもってばかりでも時間をもてあますので
昼間は、お弁当をもって
砂浜に出かけて
散歩をするようにしてた
砂浜には、見たことのない色とりどりの貝殻とか珊瑚、ガラス石が転がっていて
まるで、宝石店のウインドウショッピングをしてるような宝石白
ワクワクする気持ちになっちゃっていた(笑)

綺麗でお気に入りの物を探して何度も何度も砂浜を往復したクマノミ
あれこれ好みの物を探して持ちきれないほどたくさん拾い集めていた

そうやって黙々と探してると
「赤い珊瑚、赤い珊瑚・・・・」
「巻き貝、巻き貝・・・」
そんなことだけ考えて必死に探してるので
その時間は、人の事とか病気のこととか
考えて考えていつも絶望的になつちゃうようなことを
考えることもなかった
それだけでも、とっても砂浜の散歩は快適でシアワセな気持ちになった音譜

ただ、あまりにも体力はなかったので
へとへとに疲れて、足は棒のようになってたけど・・・

南の島の海は青くて砂浜は真っ白に輝いて
空も高くて・・・晴れ太陽は大きくて
なにもかもが美しく色鮮やかに見えた

こうやって誰も居ない砂浜で
童心に返って貝殻拾いする
時には、懐かしい歌を自然に口ずさんでた
その間は、なんにも考えてない自分に「はっ」としたことが良くあった
普段から何事も深く考えがちで
考えても解決しないようなことも延々とグズグズ考えて
うつの時は特に、絶望的な暗い事しか考えない自分が
砂浜で過ごしてる時間は何も考えないでいた宝石赤

そんな風に過ごせる自分が居たなんて
発見!だったのか
忘れてた!のか・・
南の島でだんだん開放されてく自分・・・
やっぱり、南の島に来てよかったな~

としみじみ感じる砂浜で過ごす時間だった船

誤算:離島の冬

初めて住んだ家は鉄筋コンクリートで築20年ほどの1LDKのアパート家
リフォームしたばかりだったので古い割には意外と綺麗だった

私は、北国で生まれ育って30数年
他の土地に住んだことがなかった
それでも旅行は好きで、南の島には何度も旅行してたが
住むとなると話しは別!
という事に気づいていなかった!むっ

「え???常夏じゃないの??知らなかった・・・が~ん」

南の島とはいえ冬ともなると気温がぐ~んと下がる
家の中はコンクリートのむき出しの壁で囲まれてるので
冷え込みがそのまま伝わる
さすがに、家の中が冬でも常夏な北国の暮らしを思い描いていたわけではなかったけど
それでもこんなに冷え込むなんて思ってもいなかった
私の荷物には寝具はタオルケットしかなく
もちろん暖を取る物が一切無かったし
こちらでは、当然のように
一般の浴室には湯船がなくシャワーオンリーの風呂事情・・・叫び

「え?????何でどうやって暖まったらいいの???」

身も心も寒い南の島の初めての冬・・・
大誤算

それでもアツアツの雑炊を食べて暖を取ることを思いついたチョキ
これは、すぐに身体が温まって汗をかくんだけど
あまり熱いのを食べると
上の歯の裏側が火傷をしてベロベロになっちゃうので、毎回は無理なことが判明

他には100均でバケツを買って
風呂場でお湯を貯めて足だけつかる
これも、結局足以外は寒いので、全身シャワーを浴びる結果になって
水道代もかさむし、その後、すぐに寒くなるのであきらめた・・・カゼ

結局、電気ストーブを買う事にした
その日も冷える日だったので身体を温かくするために
わざわざ30分も歩いてホームセンターに出かけた
帰り、ストーブの段ボールを抱えてもう歩く気力もなく
タクシーを拾った
運転手さんに自宅の場所を告げると
「そんな距離を歩いてきたのかい?」
と驚かれたので、北国から引っ越して来たばかりで
あまりにも寒かったからストーブを買おうと思ったこと
身体を温めるためにあえて歩いてきたことを話したら
「せっかくこの島に住んくれたのに、そんな寒い思いしてたのかい」
そういって、運転手さんは自身のお母さんの家に立ち寄って
今は使っていないという、ホットカーペットを譲ってくれた

人と接する事で余計に気を使って
うつの症状が悪くなる私だから
知る人のない南の島で
寂しくも人と触れ合わない生活を求めて来たんだけど
やっぱり、こういう人の温かさはココロの奥深く染みこんで
あたたかな気持ちにさせて貰えることを、改めて実感してしまう

南の島の冬は想像以上に寒い冬(といっても12℃くらいの気温)だったけれど
思いがけずココロが温かくホットになる初めての冬だった雪
こうして、この島の人たちにはこの後もいろんな温かさを分けていただくことになるのですドキドキ

いきなり離島に住む

いきなり「離島に住む」!
と言ったところが、家族も主治医にも賛成されて
案外あっさりと事が進んでいった
北の寒い街からいきなり南の温かい離島への引っ越し
それも、うつが悪化してたから、家族には反対されるとばかり思ってたから・・・ニコニコ

初めて訪れたのは9月!それから3ヶ月後の12月には離島暮らしが始まった

「毎日海に行って泳いだり浮かんだり砂浜を散歩したり・・・」サーフィン

なんて、思ってたけど
なんたって、引っ越したからといっていきなり健康に元気になるワケもなくて
毎日毎日お布団にくるまって、重いからだをもて余していたショック!

それでも、大学病院に入院していた時の事を考えると雲泥の差!
「南の島の離島で、人目を気にしないで寝てられる」
それだけでもかなり気持ちは軽くなった
入院なんて、実は集団生活だから、かなりしんどい
看護師や同じ部屋の患者と接することは苦行のようだった・・・

うつなのに、人と会話しないとならない
拒食なのに、食堂に行って食事を摂らないといけない(もちろん食べれないんだけど)
なんだかんだと、入院したなりの大変さが生まれてくるから
それを避けられただけでも、この選択は良かったな~
としみじみ思うばかりだったのですかに座

うつでも働いていたかった・・

移住をする事になった年(今から4何前)の初めは

私は、普通に働いていた、といってもうつ病を持ちながらの生活なので

服薬しながら、時々点滴もしながらだった

私のうつの症状の中に、重い拒食がある

単に「食べられない」というより「食べる」という行動そのものの記憶が

自分の中から欠落してしまったような感覚で、まったく食事を受け付けなくなってしまう

だから、なんとか調子が良くて働ける時でも、その症状が出てくると

そんな時は点滴や、栄養の流動食缶をなんとか飲んでしのぐ・・という生活をしなければならなかったのです


それでも、うつの調子が少しでも良い期間は

働きたくて働きたくて、這ってでも仕事をしていたいと思ってた・・・


でも、それが、無理だったんだよね~

どこかで分かって居ながらも・・・

社会の中の職場っていう所で給料を貰って労働していたかった・・・


うつになって、2度も入院して辛く悔しい思いをしたのに

なんか、そういう基本的な考え方を変える事ができなくて

悪あがきばっかりしてたように思うのです


そんな自分の考えを変えるためにも

知る人の居ない、のんびりした南の島で暮らすことが

私にとっては、とても必要でした船







なぜ、南の島だったんだろう?

夕日

なぜ南の離島だったのか・・・うつとの戦いに疲れ果て、精魂尽き果てて南の島に癒しの旅に出かけた。

その時訪れた島で「え?私どうしてこの島に暮らしていなかったんだろう?」衝撃でもなんでもなく。ふっとそんな気持ちになった。知る人がない始めて訪れた島で・・・そんな風に思った。

そして、その思いが暮らす事の始まりになりました。

極彩色の自然、温かい風、何もかもが私を癒やしてくれるように感じました。