うつなので宮古島に移住しました -167ページ目

キャプテンとの出会い・・始まり

離島の周囲は
美しい海に囲まれていた
港にはたくさんの船が並び
いつも多くのダイビングのお客さんを海へと運んでいた
今まで、船に乗ったことは何度かあったけど
この島で
船に乗って海に行ってみたいな

そう思って知人にダイビングショップを紹介してもらい訪ねて行った
島に住み始めて3ヶ月ほど経った頃だった
まだまだ涼しい時期だったので
本格的に海に出るのは先のことだと言われたが
ここのショップは人が集って島の酒を飲み笑顔が溢れる場所だった
(今振り帰ってみると
あの空間が暖炉の炎メラメラに包まれてでもいるように穏やかに
あたたかく見えたことを思い出すなあ)

その店のキャプテンは
島に来て毎日布団にくるまって天井を見つめてると言った私にしょぼん>
「せっかく島に来たのに、寝てばっかりじゃ元気になるわけないさ!
ますます病気になっちゃうよ、ここには毎日誰かがいるからいつでもくればいいよ」

そう言ってくれた

色の黒い身体ががっちりして
お腹がプックリまるくてタヌキの置物ブタのような
インパクトのある人だった
外見では繊細さが伝わってこなかったけど
きっとこの島の神秘的な能力で
私の何もかもを悟ったように
その後、何かにつけて
声を掛けてくれた

とにかく人に会うまでの時間がかかる
なかなか積極的に外に出られない私の心の葛藤を見透かしているかのように
「今日は料理をたくさん作ったけど、食べてくれる人がいませんので
食べるのを手伝いに来てください」
「北の方からお客さんが来ましたが、話しが合う人が居ませんので
ちょっと来てください」
遠慮させないように
言葉を選んで贈られてくるメール携帯

涙が出そうなくらい嬉しかったしょぼん
人が弱っているときに
こんな風にサラッと自然に優しさを与えられる人って
いるんだな~

ものすごい勢いで
惹き付けられていった
キャプテンにもそしてそこに集う愛溢れる人たち(未来に仲間達になる)にも・・

この出会いから
私の本格的な島での生活が始まった
とんでもない嬉しく楽しいこともニコニコ
理不尽で頭から湯気が出るくらいプンプン腹の立つことも・・・

衝撃的で決定的な出会いだった

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離島暮らしの始まりは絶望でした

家族に見送られ旅だった南の島だった
「入院を回避して島で温かな環境の中で
しっかりと療養する」
(2度の長い入院で回復できなかったことが心の傷になって
何とか入院は避けたかった)
そして、自分自身の生き方や考え方もしっかり見つめ直したい・・・
そういう思いがあった

友達も知る人も居ない冬の肌寒い部屋の中で
「もう、きっと一生治らない」
「夫にはこんな病気持ちのお荷物な妻は捨ててもらおう」
「二度と故郷には戻れない」
そんな、ことを考え
最初は泣いてばっかりだった
しょぼんでも、この島で、たとえ孤独でもひっそりと暮らせるならそれでもいいのかな~
なんてぼんやりと考えていた

今の時代「国民総うつの時代」みたいで
以前よりかなりポピュラーになってはきているものの

精神神経科に通院している
などという事実は好意的に受け止められる事ではなく
友達や家族にさえ隠しておきたい事実で
それがきっかけで仕事を無くす人もまだ多い

島に居れば
そういう今までの知人との人間関係の目からは逃れられて
確かにラクで自由で解放されたけど
今までの、人間関係を全て休止してきたんだから
絶望にも近い気持ちだった

それでも、海に行けば砂浜は真っ白で
水平線は空との境目が分からないくらいに
青く美しく広がっている

ぼーっ眺めていると
話しかけてくれる見ず知らずの人に
心が和んだ虹

うつの症状が重いと
人と目が合うことだけでも恐怖で
電話にも出られない外出もできない・・・
それでも、やっぱり人の温かさがないと
寂しい・・・

ほんとに厄介な症状だ
どうしてこんな病気があるんだろう・・・

大切に思う人がたくさん居るのに
大切にできない
(むこうは、きっと理解してくれるだろうけど
自分自身に、そんなふうに前向きに思える気持ちが沸いてこない)

こんな状態で生きている価値があるんだろうか?
何度も何度も頭の中にくり返される自問

私の離島暮らしは
少々の穏やかな気持ちと
絶望し孤独を求める限りない哀しみから始まった


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島暮らしの必需品

島で暮らし始めるに当たって
私は飛行機に積み込める荷物の中に
折りたたみ自転車自転車をいれて持ってきた
自転車があれば日常の暮らしには
十分だろうと踏んだのです

しかし、島の道路事情は最悪だ
(離島なので、開発はおくれている事も要因だと思いますが)
狭い道路はツギハギだらけ
下水道のフタというのかそんなものや
スムーズに作られていない
歩道と車道の境目の移動だけでも
タイヤを挟まれて身動きできなくなる
10分でも走らすとお尻が痛い現実・・・
おまけに盛夏の猛暑の中では
めまいがして倒れそうになる晴れ

そして、海に行くには
泳ぐための道具だけで大量になって
自転車には詰め込めない・・・・
台風の日の移動は
ずぶ濡れになりながら歩く以外ない・・・

それでも、車は贅沢品と思い
車の使用は避けていたが
あるとき、玄関の前に止めてあった
自転車が、跡形もなく消えていた
どうやら盗難にあったらしいしょぼん

私の唯一の交通手段だったのに・・・
かなり落ち込み、地元の人に聞いてみたところ
「あ~高校生じゃなないか」
「置いてある自転車はすぐになくなるから、あきらめな」
とあっさりと答えが返ってきた

この島では自転車も天下の回り物らしい・・・
そんな習慣の島で
盗難届けを出す気にもならず
私は、自宅から自分の車車を運んで貰うことに決意した

自動車メーカーが車の輸送に使っているフェリーに
船乗せて貰うことができて
北国から、沖縄の離島まで8万円程度で運んでくれた

やっぱり!!!!
車が来て実感!!
離島暮らしには車は必需品!!
海に行くにも。道具や着替えを持って行けるし
ビーチで拾った漂流物もたくさん積める!
海を横目にしてのドライブだけでも楽しいし

何より、公共交通手段のない離島では
買い物やちょっと遠いところのお出かけには
車を利用するしかないのです

もし、移住をお考えの皆さんは
小さな島でも自動車はあった方がかなり便利なので
自動車と一緒に引っ越しすることをオススメします

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うつの「できる事できない事」

うつ病の症状の中で
「できる事 できない事」
ここら辺の判断が自分自身の中でも
とっても症状と付き合う上で重大な問題だ

たとえばうつ病が
「誰だって、うつの経験くらいあるよね」とか
「なまけ(さぼり)病」
みたいな誤解を生んでる部分はココらへんの事情にあると断言しても
ゆるしてもらえそうな大きな問題だ

例えば通常の生活の中で100のエネルギーが必要だとしたら
そのエネルギーはうつが悪化している時は
10くらいに低下している状態だと仮定してみる
(単なる私の感じるトコロでの例えです)
寝る、食べる、TVを見る、本を読む、人と話す・・・・
何だってエネルギーが必要なのに
それが10しかかなかったら・・・

私はこの10はすべて排泄(トイレ)のタメに使い果たした時があった
家に居るときも、家の中を赤ちゃんのハイハイかたつむりのように動き
トイレまで行き、何とか排泄だけは自分でできた
でも、それで全てのエネルギーを使ってしまったので
食事はできず(私は、拒食の症状が重くて、流動缶を飲んでました)
入浴は週に1度程度、風呂場の床に横たわって
家族に手伝って貰ってなんとか身体を洗うのが精一杯で
それ意外は、洋服の着替えも、歯磨きも
何もできず、布団に苦悶の面持ちで
沸き上がる不安や恐怖にさいなまれながら
横になっているだけだった

でも、見る人によれば
「トイレに行けるんだったら、入浴だってできるでしょ」
となるわけで
また「不潔ね、洋服や下着くらい着替えなさいよ、だらしない」
ということになるそして
「横になってばかりで、ゴロゴロして」のだめ押し・・

でも本当は
トイレに行くことでですべての力を使い果たしてるから風呂には入れない
もうその力は残っていない

着替えに関しても、それが汚れてるとか不潔という思考回路がもう機能していない
していたとしても、着替えるエネルギーが残存していない

そして、そうなったら横になるしかないんだけど
不安や沸き上がる恐怖に、落ち着かず
しょぼん深い眠りにつけるワケもなく
ウトウトとしたら
とんでもない恐怖の悪夢にうなされ
1時として休まってはいないのです
底なしの泥沼か墓穴に引きずり混まれるような感覚で
横になっているだけで、恐怖感に押しつぶされそうになる


(何を言いたいのかな?私・・・)

要するに何もできず
横になっているうつの人が居たら
それは「なにもしない」んじゃなく
「なんにもできない」のであって
トイレに行けるかもしれないけど
それは何とか行けただけで
他の事はできない・・・

それでも、言葉でのコミュニケーションが可能な場合が多いので
(会話が成り立つので、案外元気に見えてしまうと思う)
なかなか、この状況を分かって貰えてないような気がする

症状が重い場合はこんなカンジなんだけど
かなり回復してきても
なかなか100%までに回復できないので
「できる事 できない事」
に長きにわたって悩まされる事になる
特に自分が得意で好きな事は
自分が使うエネルギーも少ないので
なんとかやる事が可能だけど
自分が苦手にしていることや、イヤな事は
かなりのエネルギーを使うのでなかなかできない・・・
そこが、都合がいいと判断されちゃうことが多くて
凄く困るんだな
(でも普通に生きててもそうだよね)

そういう事が暮らしの中でたくさんあって
「人に誤解されてる」
「人に迷惑を掛けている」
「自分なんて、生きてる価値なんか無い」
そんな悲観的な気持ちばっかりが沸いてきて
人間関係がギクシャクしちゃったりして
そして更にもがき苦しんでしまうことも少なくないのです

私は、発病して以来そういう気持ちを重きの変化はありつつも
ずーっと持ちつつ暮らして居ます得意げ

私にとっても家族にとっても
だから私が離島に暮らし始める事は
お互いそういう気持ちから少し抜け出せる機会になって
とっても良かったと思う

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島暮らしのお値段

島で最初に住んだのは街中の3階建てのアパート
家築20年ほど経過してるけど
リフォームしたばっかりでなかなかキレイだった
12帖のフローリングのLDKと
6帖の和室
2帖ほどのトイレ兼シャワー室
で3万3千円の家賃だった
入居時に1月分の敷金、同じく礼金が必要だった

ほかに水道光熱費が1万円程度で
合計すると住に関する出費は月々5万円弱

他に必要なのは食費だけなので
10万円もあれば外食も出来ておつりの来る生活費¥

本や雑誌、新聞は図書館で読む!
本そうすると更に出費が少ない
暑い日は家に居ない(エアコン代がかからない・・・笑)
ビーチに出かける時は、おにぎりおにぎりをにぎって行く・・・とか
できる限りの節約もしていたけど・・

(ただ、海で遊ぶために
釣りの道具やら、シュノーケルのセットなんかを買うと
結構な出費にはなるけど・・)

洋服は特に高価な物を売っているお店もないので
ノーブランドのTシャツ
ワンピース靴もビーチサンダルで年中どこにでもいける
身の回りの事にお金をかけないと思えばとことん節約できる
北国育ちの私的には
衣類は春夏秋冬とそれぞれに衣替えをするのが当然だっただけに
これには驚いた!

私自身はこの生活を始める所から
それ以降の月々の暮らしに関しては
全部、自分の蓄えだけで十分だった
(病気になってからもなんとか働いていました)
2度も入院したお陰で
入院給付金もたんまり降りたし(不幸中の幸いショック!
保険も月々降りてくるので(障害認定も受けている)
仕送りは一切必要がなくて・・・
これには、今まで頑張った自分を褒めたいヨ!
仕送りを貰いながらの生活だったら
気がひけて気がひけて・・・
という性格なので、ほんと良かったかお
お金に関しては当然ながら備えあれば憂い無し・・・とつくづく思った

(これに対して大学病院に入院していたとしたら
医療費は1ヶ月給食費や寝具代を含めて
10万円は下らない
他に、交通費や多少のお小遣いが必要だし・・・)


そんなこんなで今まで、何とか金銭的な苦労をしないで
離島で暮らしていられるけど
やっぱり、ホントは自分でモリモリ働いて
元気にほどほどの給料をもらって
生活したいな~と思う
今は、なるべく出費をしないように節約するだけ
(最近は月々8万円程度で生活してる)

でも、いつかはまた、元気になって
働いて、給料日に美味しいビールが飲みたいな~ビール
そう思いつつです