写真は シューベルト ピアノソナタ第21番他
ロシアのマリヤ・ユーディナ(1899-1970)はソ連で最も尊敬された女流ピアニストだったが、国外で知る人は少ない。
なぜなら他界するまで、西側での演奏の機会は一度もなかったからである。
卓越した技術と精神性を兼ね備えた演奏家であり、また反骨の精神の持ち主でもあり、度々スターリン批判を行った‥が
流石のスターリンも彼女には手を焼いたという。
ある時、スターリンが放送局に直接電話し、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第23番』のレコードはあるかと尋ね、「ユーディナが弾いたもので」と、念を押した。
独裁者を相手に「ない」とは言えない。
直ちに本人をはじめとする関係者がスタジオに呼び出され、徹夜で録音。
翌朝、レコードが独裁者のもとに届けられた。
その後、ユーディナはスターリン賞を受賞し、モスクワの教会の修復に資金を費やした。
彼女はこの件についてスターリンに電報を送り、「主があなたの罪の一部をお赦しくださいますように」と記した。
後年、スターリンが別荘で息を引き取った時、プレーヤーの上にあったのがそのレコードだった。
その演奏が下のリンク。
マリヤ・ユーディナは1970年11月19日に死去。
葬儀ではリヒテルがラフマニノフを演奏して偉大な演奏家を送った。
写真は チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 コンドラシン指揮
1958年4月、モスクワで開催された第1回チャイコフスキー・コンクールは、まだ東西冷戦のさなか、ソ連の威信をかけた一大イベントであった。
この第1回で見事優勝を勝ち取ったのが、ほとんど無名、アメリカのテキサスからやってきた24歳の若者、ヴァン・クライバーンだった。
当時、圧倒的な層の厚さを誇っていたソ連勢を退けての、驚くべき快挙。
アメリカ中がこの優勝に沸き返り、一躍スーパースターとなった彼は、ニューヨーク5番街で紙吹雪の中、大凱旋パレードを繰り広げた。
引き続き、優勝を記念してソ連の名指揮者コンドラシンを招いてカーネギーホールで録音されたのが、このLP。
発売後、わずか2週間でミリオンセラーの大ヒットとなった。
1966年に続き、1991年に再来日を果たすが、ピアニストの中村紘子は次のように語った。
「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした」と論じ、
「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」
辻井伸行がバンクライバーン国際ピアノコンクールで優勝した4年後の2013年、バン・クライバーンは骨癌で他界した。


