もの描くひとびと、奏でるひとびと -2ページ目

もの描くひとびと、奏でるひとびと

絵画、浮世絵、音楽のこと

青年は1967年にパリで生まれた。

両親は高等教育を修めようと、イランからフランスに移住していた。
彼が6歳の時、泌尿器医科の父がボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学で臨床実習を受けるため、一家はアメリカに渡った。

引っ越してすぐ、両親は別々に暮らすことになり、青年は母と暮らした。
パリ大学(ソルボンヌ大学)で言語学で博士号を取得した母は、駆け出しの研究者として、何度も出張や引っ越しを繰り返し、青年も母について旅行や引っ越しを繰り返していた。
大学に入るまで、一ヶ所で何年も過ごしたことは一度もなかった。
友達とずっと友達同士でいるのは難しかった。
青年は、多くの時間を、電卓などの電子機器で遊んで過ごした。


ワシントンDCで7年生だった青年は、体育の授業をさぼっては物置部屋に潜り込み、理科教師が保管していた学校のマイクロコンピューターシステムTRS-80でプログラミング言語BASICを独習した。
青年が10代半ばに差しかかるころ、家族はハワイに引っ越した。
長期にわたる友人関係を作れなくなり、精神的につらい時期が始まった。

だが、大学に入れば、たとえまた一時的であっても友人関係をもう一度築ける。
まじめな学生ではなかったが、それでもなんとか、タフツ大学に入ることができた。
マサチューセッツ州ボストン近郊にある、上位の研究大学だ。
電子工学専攻で入学したが、そのコースの難しさにうんざりし、コンピューターサイエンスに専攻を切り替えた。
そこでインターネットにアクセスできるようになった。
これまでに経験したことのない、素晴らしい体験だった。
1980年代半ばに存在していたユーズネットのディスカッショングループで、居場所となるコミュニティを見つけたのだ。
現実世界のどこに移動しようとも、そこに参加し、とどまることができた。
そこで常識にとらわれない深い議論を何時間も交わし、アップルのコンピューターや、金融市場、プライバシー、「スタートレック」といったトピックについて語り合った。


1988年に学部の勉強を終えると、カリフォルニア州のシリコンバレーで仕事に就いた。
アップル社製コンピューター向けのソフトウエアを開発する会社だ。
当時、リバタリアンと自称して、あごひげを生やし、髪型はポニーテールで、ビルケンシュトックのサンダルを履いていた彼にとって、シリコンバレーは性に合っていた。

その後、元同僚や知人とスタートアップを創設し、ソフトウエア開発などを行うが何れも軌道にはのらなかった。
しかし、いくらかの株式を保有し、数年後その会社がマイクロソフトに買収されると、初めて百万長者(ミリオネア)となった。
しかしすでにその時点で、もう1つのベンチャー企業にたまたま関わっていた。
これが後に億万長者(ビリオネア)への道につながることになる。


1990年代の初頭に、彼は市場と資本主義に魅了された。
原理上、自由で開かれた市場というのは、彼のような移民のアウトサイダーを含め、誰にでも同じく成功のチャンスを提供する。
しかし、現実では市場は完璧でないことに気づく。
誰もが同じ情報を同じタイミングで得られる訳ではなかった。
シリコンバレーで目にしたのは、人脈のあるインサイダーの人間が、部外者には得ることのできない情報や機会から利益を生み出している光景だった。
彼は、光速に近い速度で動く、世界規模の光ファイバー情報ネットワークであるインターネットなら、この問題を解決できるはずだと考えた。
インターネットなら、自由な市場を生み出し、旧来の門番の許可を得ることなく、「誰もが同じ情報にアクセスでき、誰とでも同じ条件で競争することができる平等な競技場」を創出できるはずだと考えた。


彼は同時期に、趣味のプロジェクトをたくさん動かしていた。
たとえば、Eメールチェスのプログラムやエボラウイルス情報のウエブサイトなどだ。
その中でも新しいプロジェクトが、オンラインマーケットプレイスだった。
これまでのマーケットプレイスと違うのは、取引がオークションを基本とするところだった。
経済理論にあからさまに従って、オークションのメカニズムは最適な価格をもたらすと考えた。
どの商品も、需要と供給が合致したときに売れるからだ。


当初、マーケットプライスには3つの機能しかなかった。
商品の掲載、閲覧、落札だ。
商品は彼が考えたカテゴリーごとにリスト化された。
骨董品、コレクターズアイテム、美術品、自動車、書籍、マンガ、家電製品、といった具合。
1995年9月4日、ユーズドネット・マーケットプレイスなど、あらゆるところでこのプロジェクトを宣伝した。
しかし、サイトには誰も訪れなかった。この日は労働者の日という祝日で、ほとんどの人がインターネットにいなかった。

数日後、いくつかの商品が売られはじめた。
マイケル・ジャクソンのサイン入りポスターの売値は400ドルで始まり、ヤマハ発動機が1980年代に販売していたオートバイ、ミッドナイトスペシャルは1350ドルで売りに出された。
任天堂の専用コントローラーであるパワーグローブは20ドル、アメリカのコミックシリーズの「ザ・マックス」第6巻は0.75ドルで出されていた。
彼自身も壊れたレーザーポインターを出品した。人々は商品を競った。取引は成立した。
最終的にはカナダ人が14.83ドルで競り落とした。(壊れた品物を買ったことに驚き、彼がその落札者に理由を尋ねるメールを出すと、壊れたレーザーポインターのコレクターだから、という返事があった‥とwikiには載っているが、実際はその落札者はスペアパーツを探していただけである)


6ヶ月後、そのサイトは数百人が集うサイトに成長した。
彼が契約していたインターネットサービスプロバイダーは、トラフィックを呼びこみすぎだと苦情を訴えだした。
彼は月額30ドルの個人用インターネットアカウントでそのサイトを運営していた。
オークションウェブは趣味であり、商用ではなかったからだ。
買い手も売り手も、彼らがふさわしいと思う値段を自由に設定し、現金や小切手を郵送するのが普通だった。

彼はユーザーに1セントも金銭を請求していなかった。
しかし、インターネットサービスプロバイダーが月額250ドルの商用アカウントにアップグレードするようにせがむほど、トラフィックは膨れ上がっていた。
費用を相殺するために、しぶしぶ、ユーザーに対して手数料の支払いを求める決断をした。
25ドル未満の商品に対しては落札価格の5バーセント、25ドル以上の商品には2.5パーセントが、良心的な手数料だと判断した。
売り手には、手数料を郵送で送るよう求めた。
このような変更をしても、サイトを使いつづけてくれる人がいるのか、確信が持てなかった。
しかし、彼らは使い続けた。
彼は、ほどなくして、しわくちゃの紙幣やコインが詰まった封筒を受け取るようになった。
月末には、インターネット費用よりも多くの金額を回収できるようになり喜んだ。

しかし同時に、もっと根本的な問題が生じていた。ユーズネット・マーケットプレイス同様、全てがスムーズに進んでいるわけではなかった。
商品や代金が届かなかったり、思っていたのとは違うものが届いたりしていた。
うっかりミスによるものもあったが、不誠実な取引や、あからさまな詐欺によるものもあった。
あまりにもユーザー数が多かったために、お互いが個人的に知り合うことはなかった。
ほとんどの取引が一度かぎりのやりとりだった。自生的な社会秩序は発生していなかった。
あるいは、誰もが誠実でありつづけられるほど強い社会秩序ではなかったとも言える。

黎明期のインターネットから信頼できるP2P経済を奪っていた無秩序状態と同じ状態に、彼が創設した駆け出しの市場も陥る危険性があった。


その後、サイトは名称を「オークションウエブ」から「イーベイ」に変更した。
趣味のエボラのウエブページは削除した。

青年は、ピエール・オミダイア。


リバタリアンを自認する彼が、その後のサイトをどう運営したのか?
インターネットで実現出来ると信じた、自由経済の世界はそこにあったのか。
興味のある方は、是非、書籍を読んで下さい(宣伝ではありません)。


「デジタルの皇帝たち」プラットフォームが国家を超えるとき
ヴィリ・レードン ヴィルタ:著

 

 

 

書籍紹介文より

【自由を目指し、不自由をもたらす】
テクノロジーと自由を誰よりも愛したサイバーリバタリアンのジョン・バーロウ、人々の信頼を裏切る中央当局を排除するために仮想通貨Bitcoinを世に放ったサトシ・ナカモト、完全な自由市場のはずが「ソ連2.0」へ傾くUberの創設者トラビス・カラニックとギャレット・キャンプ、宇宙にまで手をのばすAmazonの皇帝ジェフ・ベゾス……。これらデジタルプラットフォーム君主たちの野望、成功と失敗の経済学的メカニズム、そして彼らに抗った人々を、生い立ち・思想・行動の面から描く。デジタルテクノロジーを駆使する彼らは、中世ヨーロッパやソ連の人々と共通の課題と直面したのはなぜか?


 

「人生で一番大事な日は二日ある。生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日」  マーク・トウェイン

 

 

誕生日を一人祝ってました ( ◠‿◠ )

今日ではありませんよ

 

 

いつもお祝いメールをくれる姉ですが、今年は無かったです

カツアゲされるのを避けたのでしょうか。。

 

誕生日といえば、私的にはこれです。

 

 

Birthday Beatles ルーフトップライブ


 

 

Birthday Paul McCartney NYグランドセントラル

 

 

みなさん、こんにちは。

記事は2023年に投稿したもので、記事の内容は現在とは異なる部分があります。

 

 

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日光の下で草刈りをしていたら、どうも目眩がする

血圧を測ったら、96-58でした。

(2年前も暑かったんですねえ‥)

 

ところで‥

NHK-BSで、 田中 陽希(たなか ようき)さんの「グレートトラバース3」が放送されています。

去年の夏に終わった、日本三百名山を一筆書きで制覇する、という企画・番組の再編集、ダイジェスト版というところです。

8月11日の「山の日」に最終回を迎えます。

 

登山には全く縁の無い私ですが、この番組はお気に入りで、録画して必ず観ていました。

 

小学生の頃、絵を描くのが好きだった私は、日曜日になると母にお弁当を作って貰い、友達を誘って近場の「葛城山」に、写生に行ってました。

バスでロープウエイ乗り場で降りて、そこから登山口から高低差700mを頂上に登ります。

元気で、酒も煙草もやらない小学生ですから、友達と走って登っていたのを覚えています。

 

遅くまで遊んで、写生が目的とはいってもそこは子供ですから他の遊びにシフトしてしまいます、そして薄暗くなると、また登ってきた誰も居ない山道を下ります。

 

葛城山は、奈良県と大阪府の境にある何でもない平凡な山ですが、春にはツツジが、秋にはススキが綺麗ですから、ご縁があれば是非お越しください。

 

 

さて、そのNHK放送の「グレートトラバース」ですが‥

番組で使用されている挿入曲が、なかなか素敵なのが多いのでご紹介します。

 

2014年にはじまった日本百名山から、昨年まで足かけ8年ですから、使用された曲も沢山あるのですが、今回はその中から特に人気のある3曲を!

 

 

 

Higher,higher / Athos feat,tea


 

 

 

Step Out / Jose Gonzalez

映画「LIFE!」でお馴染みですが、山岳のシーンにとても合っています。


 

 

 

Dirty Paws / of Monsters And Men

アイスランドのグループによるとても不思議な曲。

不思議な動物同士の戦い、叙情詩みたいなものです。