「人生で一番大事な日は二日ある。生まれた日と、なぜ生まれたかを分かった日」 マーク・トウェイン
誕生日を一人祝ってました ( ◠‿◠ )
今日ではありませんよ
いつもお祝いメールをくれる姉ですが、今年は無かったです
カツアゲされるのを避けたのでしょうか。。
誕生日といえば、私的にはこれです。
Birthday Beatles ルーフトップライブ
Birthday Paul McCartney NYグランドセントラル
みなさん、こんにちは。
記事は2023年に投稿したもので、記事の内容は現在とは異なる部分があります。
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日光の下で草刈りをしていたら、どうも目眩がする
血圧を測ったら、96-58でした。
(2年前も暑かったんですねえ‥)
ところで‥
NHK-BSで、 田中 陽希(たなか ようき)さんの「グレートトラバース3」が放送されています。
去年の夏に終わった、日本三百名山を一筆書きで制覇する、という企画・番組の再編集、ダイジェスト版というところです。
8月11日の「山の日」に最終回を迎えます。
登山には全く縁の無い私ですが、この番組はお気に入りで、録画して必ず観ていました。
小学生の頃、絵を描くのが好きだった私は、日曜日になると母にお弁当を作って貰い、友達を誘って近場の「葛城山」に、写生に行ってました。
バスでロープウエイ乗り場で降りて、そこから登山口から高低差700mを頂上に登ります。
元気で、酒も煙草もやらない小学生ですから、友達と走って登っていたのを覚えています。
遅くまで遊んで、写生が目的とはいってもそこは子供ですから他の遊びにシフトしてしまいます、そして薄暗くなると、また登ってきた誰も居ない山道を下ります。
葛城山は、奈良県と大阪府の境にある何でもない平凡な山ですが、春にはツツジが、秋にはススキが綺麗ですから、ご縁があれば是非お越しください。
さて、そのNHK放送の「グレートトラバース」ですが‥
番組で使用されている挿入曲が、なかなか素敵なのが多いのでご紹介します。
2014年にはじまった日本百名山から、昨年まで足かけ8年ですから、使用された曲も沢山あるのですが、今回はその中から特に人気のある3曲を!
Higher,higher / Athos feat,tea
Step Out / Jose Gonzalez
映画「LIFE!」でお馴染みですが、山岳のシーンにとても合っています。
Dirty Paws / of Monsters And Men
アイスランドのグループによるとても不思議な曲。
不思議な動物同士の戦い、叙情詩みたいなものです。
写真は シューベルト ピアノソナタ第21番他
ロシアのマリヤ・ユーディナ(1899-1970)はソ連で最も尊敬された女流ピアニストだったが、国外で知る人は少ない。
なぜなら他界するまで、西側での演奏の機会は一度もなかったからである。
卓越した技術と精神性を兼ね備えた演奏家であり、また反骨の精神の持ち主でもあり、度々スターリン批判を行った‥が
流石のスターリンも彼女には手を焼いたという。
ある時、スターリンが放送局に直接電話し、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第23番』のレコードはあるかと尋ね、「ユーディナが弾いたもので」と、念を押した。
独裁者を相手に「ない」とは言えない。
直ちに本人をはじめとする関係者がスタジオに呼び出され、徹夜で録音。
翌朝、レコードが独裁者のもとに届けられた。
その後、ユーディナはスターリン賞を受賞し、モスクワの教会の修復に資金を費やした。
彼女はこの件についてスターリンに電報を送り、「主があなたの罪の一部をお赦しくださいますように」と記した。
後年、スターリンが別荘で息を引き取った時、プレーヤーの上にあったのがそのレコードだった。
その演奏が下のリンク。
マリヤ・ユーディナは1970年11月19日に死去。
葬儀ではリヒテルがラフマニノフを演奏して偉大な演奏家を送った。
写真は チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 コンドラシン指揮
1958年4月、モスクワで開催された第1回チャイコフスキー・コンクールは、まだ東西冷戦のさなか、ソ連の威信をかけた一大イベントであった。
この第1回で見事優勝を勝ち取ったのが、ほとんど無名、アメリカのテキサスからやってきた24歳の若者、ヴァン・クライバーンだった。
当時、圧倒的な層の厚さを誇っていたソ連勢を退けての、驚くべき快挙。
アメリカ中がこの優勝に沸き返り、一躍スーパースターとなった彼は、ニューヨーク5番街で紙吹雪の中、大凱旋パレードを繰り広げた。
引き続き、優勝を記念してソ連の名指揮者コンドラシンを招いてカーネギーホールで録音されたのが、このLP。
発売後、わずか2週間でミリオンセラーの大ヒットとなった。
1966年に続き、1991年に再来日を果たすが、ピアニストの中村紘子は次のように語った。
「その演奏はもはや正面きってどうのこうの、といえるような対象ではありませんでした」と論じ、
「彼が芸術家として成熟することなく終わってしまったのは、結局アメリカのこの豊かさ、楽しい生活に問題があったのではないか、と考えたものです」
辻井伸行がバンクライバーン国際ピアノコンクールで優勝した4年後の2013年、バン・クライバーンは骨癌で他界した。