ネオポン日記 : 画家 三村 稔 のblog -22ページ目

ネオポン日記 : 画家 三村 稔 のblog

絵画、衣装作品や製作風景を紹介。

古墳時代から飛鳥時代あたりに用いられた
天辺(てへん)に雉の羽飾りのある衝角付き兜
の再現してみました。



あと、そのあたりの時代の靴
※資料が乏しく、金属の靴の形から、わりだしてみました。



兜の材料は、100均などで手に入るものに、ジェッソと光沢スプレーなどです。



スポンジボードに、グルーガンで丸いのをつけています。


100均の手塗りのニスでぬったところ、ベリベリになってしまいました(>_<)



次は、短甲も製作中です。
ライフワークとして、進めている日本の神話画の製作なのですが、一向に進みません。

地元の鳴海を中心とした神話で、特に宮簀媛(ミヤスヒメ)の伝説に強い感心を持っています。

この神話に関しては、記紀にも日本武尊の神話の中で語られていますが、【尾張国熱田太神宮縁起】という文献の中により詳しく書かれております。

全文が、漢文ですが、下記のサイトで閲覧できます。

http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0214-22102

こちらの資料は、西尾市立図書館の【熱田寛平記】となります。寛平二年(西暦890年)に藤原村椙が、貞観(西暦859~877年)の縁起を筆削して記したとのことです。

【熱田太神宮縁起】は、熱田神宮で現代語訳が手に入るようですが、今は、緊急事態宣言下で、宝物館が閉鎖されておりまして、そちらの資料が手に入らないので、漢文の原文のまま詳細をみておりましたが、そもそも他の神話に比べ、この神話は、ネットを見ても部分的な情報しか出てこないので、少しでも、この神話を広げてゆくことに繋がればと、稚拙な私の現代語訳をこのblogに載せてゆくこととしました。

【熱田太神宮縁起】は、漢文で書かれていて、ほとんどは、[日本書紀]の[景行天皇]の巻からの引用と思われ、そこにエピソードを追加して構成されています。

日本武尊が尾張の国に滞在中のエピソードは、特に、この縁起のオリジナル部分で、興味深いです。

日本書紀にある内容などは、現代語訳の本などで確認していただけるので、このblogでは、まず記紀にない部分を翻訳しました。

とりあえず、草薙御剣が、ミヤスヒメの元に置かれるようになったエピソードの部分から、始めます。

以下、私のした現代語訳です!
より正確なものは、専門家の資料をお探しください!

現代語訳の最新版はこちら↓↓↓

初めからはこちら↓↓(2020/7/12更新)


【熱田寛平記】より

現代語訳  :  三村 稔
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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、また、次のように歌われた

ナルミラヲ   ミヤレバトホシ  ヒタカチニ

鳴海浦を  見遣れば遠し  日高路に(直 徒歩に)

※鳴海浦とルビがあるが、ナルミラヲなので、『鳴海辺を(鳴海あたりを)』では。

コノユフシホニ    ワタラヘムカモ

この夕潮に   渡らへむかも

ナルミ】というのは、宮酢媛(ミヤスヒメ)の住んでいる郷の名で、【成海】というところである。

これより、前にも日本武尊は、甲斐の国の板折の宮において、宮酢媛を恋しく思われ歌われた

アユチカタ    ヒカミアネコハ   ワレコムト

年魚市潟(あゆち潟)  氷上姉子は  我れ来むと

トコサルランヤ   アハレアネコヤ
   
床 去るらんや   あはれ  姉子や

この数首の歌は、地方民謡(風俗歌)になっている。

日本武尊は、長く(ミヤスヒメの館に)滞在されている間に、夜中に、厠にいかれた。

その側に一本の桑の樹があったので、帯びておられた御剣(草薙御剣)をはずされて、桑の枝に掛けられた。

そして、厠を出られたが、御剣を忘れて、寝殿に戻られてしまった。

暁の頃になって、目を覚まされて、桑の樹に掛けていた御剣を取ろうと思われた。

すると、桑の樹いっぱいに照り輝いて光彩が射していた。しかし、(日本武尊は、)神の光にも、憚られないで、御剣を持ち帰られ

ミヤスヒメに桑の樹の光のありさまをお伝えになると、ヒメは、答えて申しあげるには

『この樹は、もともと怪異は(不思議なことは)ございません。なので、御剣の光でございましょう。』

そう申し上げると、黙されてそのまま寝てしまわれた。

その後になって、(日本武尊は、)ミヤスヒメにおっしゃるには、

『私が、都に帰ったら、必ず、貴女の身を迎えよう』

そして、御剣を外され、お授けになられておっしゃるには、

『この剣を受け取って、宝とし、私の床の守りとしなさい!』

そのとき、お側仕えの大伴の建日(タケヒ)という家臣が、お諌めして、申し上げるには

『この剣を留め置いてはなりません!なぜかと申しますと、これから向かう息吹山には、荒ぶる悪神がいるとのことでざいます。もし御剣の気がなければ、どうして毒害を除くことができましょうか!』

すると、日本武尊は、言挙げをされて、おっしゃられるには

『たとえ、かの荒ぶる神がいたとしても、足を挙げて、蹴り殺してやろう!』

そして、そのまま、御剣を留められ、息吹山へ、登って行かれた。

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と、とりあえず、今回は、ここまでで。



※画像は、友人が模写したものです(*^^*)

バルグレッスン、引き続きやっております(*^^*)


※バルクレッスンは、19世紀後半にフランスなどで、アカデミックな絵画教育の中で用いられた図版を元に摸写をする練習法です。
アウトラインから、陰陽に大きく分けて、細部と描き方の手順も紹介されています。