ライフワークとして、進めている日本の神話画の製作なのですが、一向に進みません。
地元の鳴海を中心とした神話で、特に宮簀媛(ミヤスヒメ)の伝説に強い感心を持っています。
この神話に関しては、記紀にも日本武尊の神話の中で語られていますが、【尾張国熱田太神宮縁起】という文献の中により詳しく書かれております。
全文が、漢文ですが、下記のサイトで閲覧できます。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0214-22102
こちらの資料は、西尾市立図書館の【熱田寛平記】となります。寛平二年(西暦890年)に藤原村椙が、貞観(西暦859~877年)の縁起を筆削して記したとのことです。
【熱田太神宮縁起】は、熱田神宮で現代語訳が手に入るようですが、今は、緊急事態宣言下で、宝物館が閉鎖されておりまして、そちらの資料が手に入らないので、漢文の原文のまま詳細をみておりましたが、そもそも他の神話に比べ、この神話は、ネットを見ても部分的な情報しか出てこないので、少しでも、この神話を広げてゆくことに繋がればと、稚拙な私の現代語訳をこのblogに載せてゆくこととしました。
【熱田太神宮縁起】は、漢文で書かれていて、ほとんどは、[日本書紀]の[景行天皇]の巻からの引用と思われ、そこにエピソードを追加して構成されています。
日本武尊が尾張の国に滞在中のエピソードは、特に、この縁起のオリジナル部分で、興味深いです。
日本書紀にある内容などは、現代語訳の本などで確認していただけるので、このblogでは、まず記紀にない部分を翻訳しました。
とりあえず、草薙御剣が、ミヤスヒメの元に置かれるようになったエピソードの部分から、始めます。
以下、私のした現代語訳です!
より正確なものは、専門家の資料をお探しください!
現代語訳の最新版はこちら↓↓↓
初めからはこちら↓↓(2020/7/12更新)
現代語訳 : 三村 稔
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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、また、次のように歌われた
ナルミラヲ ミヤレバトホシ ヒタカチニ
鳴海浦を 見遣れば遠し 日高路に(直 徒歩に)
※鳴海浦とルビがあるが、ナルミラヲなので、『鳴海辺を(鳴海あたりを)』では。
コノユフシホニ ワタラヘムカモ
この夕潮に 渡らへむかも
【ナルミ】というのは、宮酢媛(ミヤスヒメ)の住んでいる郷の名で、【成海】というところである。
これより、前にも日本武尊は、甲斐の国の板折の宮において、宮酢媛を恋しく思われ歌われた
アユチカタ ヒカミアネコハ ワレコムト
年魚市潟(あゆち潟) 氷上姉子は 我れ来むと
トコサルランヤ アハレアネコヤ
床 去るらんや あはれ 姉子や
この数首の歌は、地方民謡(風俗歌)になっている。
日本武尊は、長く(ミヤスヒメの館に)滞在されている間に、夜中に、厠にいかれた。
その側に一本の桑の樹があったので、帯びておられた御剣(草薙御剣)をはずされて、桑の枝に掛けられた。
そして、厠を出られたが、御剣を忘れて、寝殿に戻られてしまった。
暁の頃になって、目を覚まされて、桑の樹に掛けていた御剣を取ろうと思われた。
すると、桑の樹いっぱいに照り輝いて光彩が射していた。しかし、(日本武尊は、)神の光にも、憚られないで、御剣を持ち帰られ
ミヤスヒメに桑の樹の光のありさまをお伝えになると、ヒメは、答えて申しあげるには
『この樹は、もともと怪異は(不思議なことは)ございません。なので、御剣の光でございましょう。』
そう申し上げると、黙されてそのまま寝てしまわれた。
その後になって、(日本武尊は、)ミヤスヒメにおっしゃるには、
『私が、都に帰ったら、必ず、貴女の身を迎えよう』
そして、御剣を外され、お授けになられておっしゃるには、
『この剣を受け取って、宝とし、私の床の守りとしなさい!』
そのとき、お側仕えの大伴の建日(タケヒ)という家臣が、お諌めして、申し上げるには
『この剣を留め置いてはなりません!なぜかと申しますと、これから向かう息吹山には、荒ぶる悪神がいるとのことでざいます。もし御剣の気がなければ、どうして毒害を除くことができましょうか!』
すると、日本武尊は、言挙げをされて、おっしゃられるには
『たとえ、かの荒ぶる神がいたとしても、足を挙げて、蹴り殺してやろう!』
そして、そのまま、御剣を留められ、息吹山へ、登って行かれた。
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と、とりあえず、今回は、ここまでで。
※画像は、友人が模写したものです(*^^*)