おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~ -9ページ目

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

けんみの日記ってなんか面白くないから

無視してたんけど(´・ω・`)もやもや

「ハラビ」とか出てくるし、

さぶろう(`・ω・´)の豊原以前の動き

も、それなりだからメモ程度に見とこか…

( ..)φメモメモ

 

※以下「兼見卿記」より抜き書き、

かなり長いので覚悟!※

 

天正三年八月十四日

けんみ_( _´ω`)_「…のふなか越州出陣也…」

…、今度早速被申附國中也、…、予発足了、勸修寺

弁(晴豊)為勅使下向也、可同道之由被申之間相談了、

至坂本錐(惟)任日向守(モト明智)令音信、

鞦(しりがい)一懸持参、面会、今夜高嶋一宿新城了、

八月十五日

未明発足新城、至敦賀下着、申刻、一宿了、

八月十六日

発足敦賀、至越州府中、…、

 

八月十七日

_( _´ω`)_「…やと本陣也…のふなか様、

普請場に通うとるらしいな…

 

(`・ω・´)ゞ「うむうむけっぱれけっぱれ」

 

…

_( _´ω`)_「!!御菓子忘れてもた…御気色どやろか

…ぁゎゎ…」

早天発足府中、至北之庄、午刻、本陣也、相尋村井専次

陣所、以使者案内申遣之処、後陣所へ可罷向之由返事

間、令同道勸弁罷向村専面会、伺信長気色、村専罷出

本陣、其間相待也、被出信長普請場也、御皈之砌於

路次申御礼可然之由村専諷諫、

 

十七日午後~

_( _´ω`)_「…夕飡御相伴とはこりゃ丁寧なり…

しかも御尊顔を御前におわすとは…しあわせなり…」

(`・ω・´)「ようようわせなすった、くづしゆるめたまへょ」

後刻罷出本陣相待門外、勸弁同前、信長自普請場

皈城也、其時対面、以夕庵弓五張進之、勸弁被申勅使

之旨、私五明二本持参也、以夕庵、勸弁・予可相待之

旨自信長御使之間、入廣間座敷暫相待、後刻於奥間

対面、先勸弁、次細川右京兆(信良)、次予申礼了、

即於其座敷之次在夕飡之儀、丁寧也、信長対座、夕飡者

勸弁・細川右京兆・予三人也、此後申礼各退出、

仕合也、…、以夕庵勸弁へ小袖一重・鮭二、持給也、

さらに夕飡のあと…

今夜借町屋一宿了、腹田備中守手縄・腹帶、佐久間

甚九郎同前、柴田修理進・猪子兵介(高就)・村井

作左(右?)衛門各持参同前也、村専ユカケ一具、

菓子九藤新左衛門(深宮)果子、芥川へ果子、

長兵へ各持遣、面会也、

※九藤新左衛門(深宮)…九藤肥前守深宮って名前で、

久太郎とか万見とか側近系にならんで、

法隆寺の文書とかに署名があるらしいよ

(゜o゜)こんな名前、

読めないし、かなり珍しいよね

…なんなん…

 

てゆうか!

最後におまけみたいに

ほそべえもとい「長兵」出てきたよ…

 

これ…なんか違和感あんのはおらだけ?(^_-)

 

八月十八日

為上洛発足越州、至今町一宿、…、

もう御帰り(・o・)!

勸弁の勅使がメインやったんやろか…

帰ってから、

 

八月廿一日

自勸弁使者、今度上下入魂祝着之礼也、自信長之鮭一、

到来、対面使者、申礼了、

八月廿二日

向勧修寺、面会、昨日之申礼、向村民、今度下向越州

仕合様躰相語了、

けんみはそんみんの勅使やったんね…(-_-)

 

この頃、

たっきー、御茶筅組は大滝・白山から移動しとるんかなあ…

洪水はいつからやったんかなぁ…

 

で、

九月十三日

「信長上洛間、召具満千代…大津路…申礼」

 

九月廿五日には、

さぶろうの御鷹山(一乗寺)に御茶湯菓子を

たんまり持って行ったって

 

焼栗、豆アメ、樒柑、柿、金団、塩引、山芋、焼餅

 

(`・ω・´)「うむ微物甘露けっこうなり、さて帰るがよろし」

_( _´ω`)_「はひ」

 

御じゃま…?

 

とにかくも御苦労なり!

 

※おまけ※

九月廿七日

 

七兵衛尉(信澄)ヘ為礼罷向了、出頭也、直ニ信長ヘ罷出、

暫面(表カ)之廣間ニ在之、七兵衛尉退出之砌申礼、

次信長ヘ小鼓之徽シラヘ五懸進上之、七兵衛尉披露也、…御礼…雁一賜之也、

なになに~?

こつづみの徽(しるし)=しらへ=調→紐

なにゆえさぶろうに~??(^_-)

これ、さぶろうから

たっき~にあげるに違いない!

 

さてさて

本日は、書状の紹介(`・ω・´)

 

瀧川ニ掃部助相副遣之候

の日

 

なんとまあ、

見てわかるひとにはわかる、

今回の御主賓はたっきーぢゃないのよ(´・ω・`)

 

以下御照覧!

 

天正三年八月廿日

 

大滝・白山之嵩へ一揆等相集之条、瀧川ニ掃部助相副

遣之候、四五百被討捕之由、先以可然候、殊今日も

逗留候て谷々相捜、被打果候由、簡要候、日数、

行之事者、不苦候、いかにも念を入、一人も不残打果候様

可被申付候、次ニ原田備中守赤谷へ越候由聞届候、

猶追々可有注進候、恐々謹言、

    八月廿日       信長(黒印)

     茶筅殿

 

(・∀・)わあ~、

おだつだ家の幻でゅお、

 

いちますキラキラ(-_-)キラキラ&いちあん(・_・)

 

だぁ~!

 

いちあんは(掃部助)は

さぶろう的にはいてもいなくてもだけど、

御茶筅が馴れてて、

伊勢の人たちに詳しそぉだから

いちますに相そえて…なんよね

 

たっきぃは、

三郎直近の懇ろだし、

御茶筅はじめ、

おだつだ連枝を御預かり、

教育係の長なのだった、

けど

たっきぃだけだと手厳しすぎるので、

いちあんをそえて…なの(^_-)-☆

 

しかして、

掃部助やハラビは

完全に芸名なのに、

瀧川って、

いつだって

瀧川か、瀧川左近、瀧左…(・ω・)

やっぱり

これ、祐筆がそう書いてるだけで、

実際は「あにじゃ」とか「りゅうせん派」とか、

さぶろうの好き勝手な呼び方で

指示書の原案が作られちゃってるせいなのでわ…

 

…( ..)φあせるさぶろうさまは奇天烈なあだ名多くて

困るんだよなあ…

ハラビハラビバンビは「原田備中」

いちあんは「掃部助」

あにじゃさまは「瀧川」と…

おちゃせんさまは「茶筅」…あり?そのままか、

…メモメモ

 

へえ~

 

そぉ、とにかくこの書状の主役は、

御茶筅さまなのだった!(`・ω・´)いぇい

 

なんか最後の方の、

「原田備中守」が

近づいてる、

なお注進するべし

みたいな

くだり、

気になる…よね?

 

一説には

御茶筅さまが

この方面の最高指揮官

であることを示しているらしいよ

 

おらにしてみれば…

「ハラビハラビバンビは手がつけられないワルやから要注意

(だからこそあにじゃにいてもらうんやけど…)」

ってな感じに、内々ではヤバイやつとして有名なのでは…

(゜o゜)アサマシアサマシウソウソ

 

というわけで、

本日八月廿日は、

 

瀧川ニ掃部助相副遣之候

の日!

きよすは、

七月廿八日~

( ..)φメモメモ

今回は、

滞在廿日目、

 

ちょうど廿日もいたんかぁ(・ω・)しみじみ

 

『パパ三郎訪問記』!

 

天文二年 八月十九日

 

十九日、

己丑、天晴、

矢野善十郎勝倫、早朝来、父石見守此間所勞、云々、相煩由今曉注進、云々、仍在所へ歸候由申候て来、後花園

院勅書一通、遣了、

織田大和守来、扇之指様被申聞候了、毛利十郎、右近

等来、

織田監物丞廣孝、那古野又七敎久来、門弟に成候了、

委被申聞候了、

坂井攝津守折紙にて禮申候了、

蔵人京へ之言傳物二包来、

矢野善十郎所望之由申候間、制詞和歌、小點詞、天徳

歌合等書寫、毛利に預け置候了、

右近に靑門被遊候三社託宣遣候、

右近餞別とて三十疋送候、祝着々々、

武衛義敦、より四辻方へ之返事来、同鞦一懸、被持給

候了、立野使、

蔵人者未上洛、仍今夜より他所へ罷向候了、

紙一帖廿六錢に召寄候了、

左衛門尉京都へ書状言傳候、

みんないとまを乞うてるねえ(^_-)

一期一会かつ今生の別れだよね…

 

さて、この日って、

気になることが随所にあるんよね…

 

・矢野善十郎はよほど御歌に夢中のようである…

・武衛と四辻さんの関係!?

・蔵人さんのこれからの行方…

・立野てなに?武衛の使い?

・左衛門尉て誰だ?

 

☆

 

今日もパパ来ず(・ω・)

明日の帰り路次の安全確保?