おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~ -8ページ目

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

『パパ三郎訪問記』

のはずだけど、

もう尾張からは遠くなったん…(´・ω・`)

 

ただただ山科さん(∩´∀`)∩笑い

の、ふぁんなのだった(・∀・)笑い

 

とにかく

山科さんたちに、

いい想い出が少しでも残っていますように…☆彡

 

天文二年 八月廿一日

 

廿一日、

辛卯、雨下、八時分より晴、

今日雨下之間、洲俣に逗留候了、

朝夕之儀守護代齋藤勘解由左衛門他所候間、子息毗沙徳

申付候了、晝うとん候了、

速水左京進(亮ヵ)太刀にて禮申候、同太刀、肩衣、袴

被遣候、飛鳥之被官也、

其夜飛鳥云捨、織田右近贈答、又予二首、

 

 行かへりなれてもいさやかヽる夜の

      雨もうきねの旅は忘れし

             飛   鳥

 

 行かへり名残の程に打そへて

      雨もつらさの旅は忘れし

           光清 織田 右近

 

 □□□□□□□□□□ふり出て

      ことはる雨もうき旅の空

             予 

 

 旅そうき雨こそあらめおもはすの

      又川波に程をふる哉

             又   予

 

又予方へ右近、同返歌□□如此、

 

 別行心のほとをしたひても

      こよひなきにはいたつらの身や

             光     清

 

 別ゆく名残はわれもありそ海の

      真砂といふも何ならぬかな

             予

※八時分…午後二時ころ

※速水左京進(亮ヵ)…「飛鳥之被官也」て、

濃州に知行ありってこと??

速水兵部丞親忠さんとは関係あるんかなぁ??

 

織田右近光清が

おうた大好きみたい(゜o゜)

 

…みつ…

…さこんに対するうこん…

 

なんか、たっきーの舎弟の

おうた好きな

じ○べえを

にほわすよ、ねえ…(^_-)-?

 

とりあえず

山科さん愉しそう

音譜(∩´∀`)∩笑い(~_^)メモ拍手

 

おわりへ下向して、

七月

 

しょうはたが七月八日から廿七日のちょうど廿日間!

清すも七月廿八日~八月十九日までとして、廿日間!

(・ω・)へぇ~

同じとはおもわなんだ…

 

『パパ三郎訪問記』!おわりがおわりだよ~

 

天文二年 八月廿日

 

廿日、

庚寅、曇、酉刻より雨下、

蔵人早々来候了、

織田兵部丞女房方より毛抜数十、送給候了、

織田大和守暇乞に来、道廿町計送候了、同丹波守

一里計来、同右近濃州すのまた墨俣迄到、彼在所之渡へ

夜入四時分に付、舟遅候、夜半時分計に光明寺と云所

へ付候了、毛利十郎、那古野又七、大和守同前、

三郎、織田大膳、瀧川彦九郎道迄暇乞に来候了、

平手中務丞予に濃州紙一束、毛抜五送候、祝着々々、

蔵人者清須に残候了、

攝津守暇乞来候了、

※酉刻…午後五時~七時

※夜入四時分…午後十時ころ

※夜半時分…午前零時、夜の十二時

夜中になっちまってまあ…(´・ω・`)

 

さて、はて…

誰がどのくらい同道したん(?_?)?

 

・織田大和守、毛利十郎、那古野又七、

織田パパ三郎、織田大膳、瀧川彦九郎さん

…大和守同前ということで、

二十町計り=

一町=一間の六十倍らしいので、

一間=六尺が180cmくらいの場合、

 

180×60×20=??(?_?)?

えっと…( . .)φかたぽち

216000cm

すなわち、

二キロちょい音譜(∩´∀`)∩キラキラ(`・ω・´)(--)(-_-)キラキラ

彦九郎さんもパパの御供、がんばったよ~

 

・織田丹波守…

一里=四キロ~六キロ、

在所がある右近さん以外の、

織田の中では、最長かなぁ

 

・織田右近…(彼在所らしい)すのまた迄、最長かな?

・摂津守…はて?

 

ちなみに、毛抜きは今日で、

・織田兵部丞女房方…十

・平手中務丞…五

十五個

 

十七日には

十四個(代二十疋)出来た!

 

十八日にもろたのが、

毛利十郎から六個、

 

 

 

全部で

もらったのが、二十個以上!(・∀・)

作ったのが十四個!

三十四個!?

 

毛抜きは贈り物の中でも、

よほどの祝着みたいやねえ

 

クシ(∩´∀`)∩Vキラキラ「お公家のみだしなみ…打乱筥の定番ぢゃ」

同時に、

まゆずみも欠かせないはずだけど、

いつ入手してるんやろなあ…(・ω・)

 

 

おや、蔵人さん、清すに残り候了だよ…

 

 

けんみの日記ってなんか面白くないから

無視してたんけど(´・ω・`)もやもや

「ハラビ」とか出てくるし、

さぶろう(`・ω・´)の豊原以前の動き

も、それなりだからメモ程度に見とこか…

( ..)φメモメモ

 

※以下「兼見卿記」より抜き書き、

かなり長いので覚悟!※

 

天正三年八月十四日

けんみ_( _´ω`)_「…のふなか越州出陣也…」

…、今度早速被申附國中也、…、予発足了、勸修寺

弁(晴豊)為勅使下向也、可同道之由被申之間相談了、

至坂本錐(惟)任日向守(モト明智)令音信、

鞦(しりがい)一懸持参、面会、今夜高嶋一宿新城了、

八月十五日

未明発足新城、至敦賀下着、申刻、一宿了、

八月十六日

発足敦賀、至越州府中、…、

 

八月十七日

_( _´ω`)_「…やと本陣也…のふなか様、

普請場に通うとるらしいな…

 

(`・ω・´)ゞ「うむうむけっぱれけっぱれ」

 

…

_( _´ω`)_「!!御菓子忘れてもた…御気色どやろか

…ぁゎゎ…」

早天発足府中、至北之庄、午刻、本陣也、相尋村井専次

陣所、以使者案内申遣之処、後陣所へ可罷向之由返事

間、令同道勸弁罷向村専面会、伺信長気色、村専罷出

本陣、其間相待也、被出信長普請場也、御皈之砌於

路次申御礼可然之由村専諷諫、

 

十七日午後~

_( _´ω`)_「…夕飡御相伴とはこりゃ丁寧なり…

しかも御尊顔を御前におわすとは…しあわせなり…」

(`・ω・´)「ようようわせなすった、くづしゆるめたまへょ」

後刻罷出本陣相待門外、勸弁同前、信長自普請場

皈城也、其時対面、以夕庵弓五張進之、勸弁被申勅使

之旨、私五明二本持参也、以夕庵、勸弁・予可相待之

旨自信長御使之間、入廣間座敷暫相待、後刻於奥間

対面、先勸弁、次細川右京兆(信良)、次予申礼了、

即於其座敷之次在夕飡之儀、丁寧也、信長対座、夕飡者

勸弁・細川右京兆・予三人也、此後申礼各退出、

仕合也、…、以夕庵勸弁へ小袖一重・鮭二、持給也、

さらに夕飡のあと…

今夜借町屋一宿了、腹田備中守手縄・腹帶、佐久間

甚九郎同前、柴田修理進・猪子兵介(高就)・村井

作左(右?)衛門各持参同前也、村専ユカケ一具、

菓子九藤新左衛門(深宮)果子、芥川へ果子、

長兵へ各持遣、面会也、

※九藤新左衛門(深宮)…九藤肥前守深宮って名前で、

久太郎とか万見とか側近系にならんで、

法隆寺の文書とかに署名があるらしいよ

(゜o゜)こんな名前、

読めないし、かなり珍しいよね

…なんなん…

 

てゆうか!

最後におまけみたいに

ほそべえもとい「長兵」出てきたよ…

 

これ…なんか違和感あんのはおらだけ?(^_-)

 

八月十八日

為上洛発足越州、至今町一宿、…、

もう御帰り(・o・)!

勸弁の勅使がメインやったんやろか…

帰ってから、

 

八月廿一日

自勸弁使者、今度上下入魂祝着之礼也、自信長之鮭一、

到来、対面使者、申礼了、

八月廿二日

向勧修寺、面会、昨日之申礼、向村民、今度下向越州

仕合様躰相語了、

けんみはそんみんの勅使やったんね…(-_-)

 

この頃、

たっきー、御茶筅組は大滝・白山から移動しとるんかなあ…

洪水はいつからやったんかなぁ…

 

で、

九月十三日

「信長上洛間、召具満千代…大津路…申礼」

 

九月廿五日には、

さぶろうの御鷹山(一乗寺)に御茶湯菓子を

たんまり持って行ったって

 

焼栗、豆アメ、樒柑、柿、金団、塩引、山芋、焼餅

 

(`・ω・´)「うむ微物甘露けっこうなり、さて帰るがよろし」

_( _´ω`)_「はひ」

 

御じゃま…?

 

とにかくも御苦労なり!

 

※おまけ※

九月廿七日

 

七兵衛尉(信澄)ヘ為礼罷向了、出頭也、直ニ信長ヘ罷出、

暫面(表カ)之廣間ニ在之、七兵衛尉退出之砌申礼、

次信長ヘ小鼓之徽シラヘ五懸進上之、七兵衛尉披露也、…御礼…雁一賜之也、

なになに~?

こつづみの徽(しるし)=しらへ=調→紐

なにゆえさぶろうに~??(^_-)

これ、さぶろうから

たっき~にあげるに違いない!