というわけで、
うわさにきいてた尋憲(1541~1585)の
越州下向の記録
「越前国相越記」
を少しひろえたので、以下時系列でみてみよお
(^_-)-☆
天正三年八月廿日(以降?)
今度織田弾正忠信長越州一揆為成敗、八月十二日出馬、
同至十 日…、入国云々、就其両庄為届、愚彼国
可相越覚悟也
じんけん(=゚ω゚)「さぶろうさん越州おるうちに
愚が直接越州いくねん覚悟したで」
※両庄…河口・坪江庄
えいすんm(_ _)m「新御所さま、御下向大儀造作也…
われら神前信讀、
大般若にて祈禱いたし、
御結願御成就なさられるべく、
護摩祈禱、読経、写経、専一もっとも珍重珍重…」
天正三年八月廿一日
奈良より発足
天正三年八月廿七日
越前一乗谷到着
天正三年八月廿八日
さぶろうの豊原陣替のため、
(たっきーにも報告済み)
同道して魚住隼人の陣所を宿にする
天正三年八月廿九日
取次の松井友閑と武井夕庵を通して、
さぶろうに越前再征圧祝いの挨拶、
さぶろうに「遠路わざわざどうも」、と深謝され、
さきの二人に
両庄還付の件の取次をたのむと、
「…当国之事未取シツメ不申候、逗留中ニ郡分ヲ仕テ
各ニ可申付候、其砌京都方も無別可申付候、当御門跡
之儀自本無別候状、至其砌ニテ可申付候、…、
可被御心安…」
越前逗留中に郡分して、
支配担当者が決まったら指示を出すから、
門跡領については留意するし、
御心安くあれとのこと、
ふむ…(・ω・)
★
その夜、
さぶろうに、
「幸若舞」やるから(`・ω・´)ぜひきて!
と招かれ、
二階座敷に赴き、
巻数と油煙三十丁(内三丁が英俊から?)
(南都のかほり(∩´∀`)∩)
わたして挨拶
そして座敷の奥から出てきたさぶろうは、
「…座ヲサリ手ヲツカエテ、遠路ハル〱ノ処ニ是マテ為
御見舞御越、近此々々過分之至候、先度河州表へ御越
さへ過分と存候処、遠路ナンカンヲ御越候事御芳情
中々可申尽候…」
うわ~いかにもさぶろう~
演出屋やねえ(`・ω・´)ヤリスギ~ハズイ~
だいもんさまは関白さまの
アレだし、将来興福寺の別当になりえるしとだし、
いちおー
それくらいの挨拶したほがええやね
★
たっき~も、この日きてちょいわれてたから、
どこから出るんかわからんが、
御茶筅たちは置いて
単身(班?)、豊原に到着したんやろか(・∀・)…
まさか舞って、ない、よね?
あらなんかいいにおい?(=゚ω゚)…
(-_-)
「よぉ~、ぽんっ」
Σ(゚Д゚)
…さらに
幸若舞終了後、
宿所に帰って、
大和守護(?)ハラビ(原田備中守)が
一揆掃討の山狩から戻ったので
挨拶に赴く…
すると、
(=゚ω゚)ノ「ハラビの陣はあすこか…」…



ΣΣ(゚Д゚)ひいいぃ!!
ぢ、ぢごくぢゃ…!
陣の西の田にて…
連行した二百余の捕虜のくびを
すべて斬っている現場に遭遇してしまった…
…その日(八月廿九日)は
父二条尹房の二十五回忌でもあった…(-_-)ナムサン
その追善を
早めの十七日に講問(なんと南都の英俊が講師!)
にて行ってきたけれど、
よりによって忌日にこんなおそろしい目にあうなんて
不吉すぎるので、
…、多首切所へ行合事、シカシナカラ後大染金剛院之
御事、一入(ひとしほ)憐ニ覚テ、彼河口十郷幷坪江庄上下郷百姓等モライ免除サセタク思、原田備中申出処、
可到馳走由請条悦入物也、
※後大染金剛院…二条尹房のこと
これがうわさにきいてた
(((=゚ω゚))
「…もうやめて…」
の内実だったのね
自分の領民にあたるしとたちだけでも助けて、って
頼んだふうだよ…
天正三年九月三日
両庄を免除する
さぶろう発給の制札十一通がもらえた
深謝を伝えようとしたら、
さぶろうの伝言で
「未此表ニ御逗留候哉、御領之儀ハ柴田修理ニ
可申渡候、御逗留可為御造作候間、可有御上洛」
まあ、
「じゃまだから帰れ」みたいな、ね(^_-)-☆
決してそんな風には言いませんけどね、
事実、興福寺の御別当に等しい御かたに
血生臭い此表の御逗留は御造作でしょうからねぇ
でもふんばるじんけん(=゚ω゚)ノ「諸辺難成!可有逗留!」
あんがいつおい子なのね(・∀・)なれたみたい
天正三年九月八日
さぶろうでは上手くいかんやったからか、
大和守護のよしみやし、と
ハラビにすがるじんけんだけど、
と、やっぱりじゃまもの扱い(´・ω・`)ふびん
とりあえずハラビにはさぶろうへの取次を頼んで、
そのあとゴンちゃんに両庄の還付の依頼をして、
この日
両庄十一郷からなんか謂れ無きことを催促されて
ハラビにまたすがったら、
一族とおぼしき塙喜三郎が出てきて
なんや百姓に堅く申付けるの約束してくれたって
天正三年九月十一日
奈良から飛脚があり上洛が促され、
河口十郷の領民の還住について指示を下し、
北庄に行ったあと上洛すると
魚住隼人に伝え、
ハラビに両庄の取り成しを依頼し快諾されたものの…
「越前国相越記」も
これでおわりという(´・ω・`)
天正三年九月十六日
そして尋憲が南都に御上りする前日、
英俊の日記にこんなことが…
坪江・河口両座(庄)可有存知之旨信長朱印被出、
則両庄へ市衛門被遣之旨注進在之云々、一定歟、
尤珍重々々、ウソ也、
ちょっと…どっちなん
ウソウソ(´-ω-`)ウソ也
※一定…確実、はっきりしてること
※ウソ也…英俊のくちぐせ