おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~ -5ページ目

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

本日は

たっきーの書状だよ

(・∀・)さいしょの越前、かな?

とにかくあまり事情を知らん…

 

明智十兵衛尉殿

瀧川左近殿

御陣所

の日

 

天正元年九月七日

 

大野郡従宝慶寺寺納之儀ニ付而、如斯書状候、自余

ニ為相替地候、様子被聞召届、御朱印之儀於御執成者

可為尤候、委曲使僧可被申入候、恐々謹言、

          前波播磨守

   九月七日       長俊(花押)

    明智十兵衛尉殿

    瀧川左近殿

         御陣所

 

なんかこの宛先、

たっきーと

その舎弟みたいなじうべえが

同じ陣所にいるみたいな?(゜o゜)

 

このふた月ほど前、

じうべえが吉田の敷地せしめようとしてて、

たっきーも前波も其の外も、

そのあと、じうべえに、

どう対処したんやろね…

じうべえに「尉」がついてるあたり、

やっぱりちょとコワいか、

変人でこわいと思われとるよね…

 

そんなこと思ほふキラキラ(-_-)キラキラ…

そんな兄弟宛の本日は

 

明智十兵衛尉殿

瀧川左近殿

御陣所

の日

 

さてさてさて…

もう忘れかけてた

じんけんの越州下向の記録

長~~~~い一日…のつづき

(=゚ω゚)ノぐ…

 

天正三年八月廿九日

 

一 原田備中山狩テ歸候由聞間、陣所へ為禮行、魚住

案内者也、

然處山狩テ一揆共切ステ仕、數ノシルシニハ鼻ソキテ

持来、其外二百餘生取テ来、陣屋ノ西ノ田ニテ悉以

首切、

愚、當年父公廿五廻相當、然モ當月廿九日今日當日也、

可至此事ニアラス、此追善ヲ仕テ可相越事ナカラ、既

信長早速屬本意入國テ處、遅レ候テハ知行事大事也、

然者追善□去八月十七日ニ□□ニテ行之、如此追善仕

候き折節、多首切所ヘ行合事、シカシナカラ後大染

金剛院之御事、一入憐ニ覺テ、彼河口十郷幷坪江庄上下

郷百姓等モライ、免除サセタク思、原田備中申出處、

可致馳走由請條、悦入物也、歸テ魚住ニ明日免除制札之儀、備中へ彌申へしト申心得由也、

一 宿信長ヨリ可申付由候、則魚住所ニ候由申、然ハ

魚住ニキレイニ御宿可申付由申付畢、

…( ˘ω˘)zzz

…zzz…(^_-)おわた…?

 

じんけん(((((=゚ω゚)))「ち、ちちぎみ…往く時も法要もこれでは…

あまりに呪わしう…うぅ」

 

ふびん、ちんし、今更落涙也(´・ω・`)

やべ、

まだ続いてた…

本日 九月二日は…

 

天正七年九月二日

左少弁晴重

勢州日永観音寺、為 勅願寺、

の日

 

いいかげん観音寺(三通目)禁裏様に

返したと思ってたよ~(´・ω・`)たっきぃ~

 

 

勢州日永観音寺、為 勅願寺、致天下御祈禱精誠処、

彼寺領就勘落、既勤行等退転之由不可然、且為国家

天下事候条、如元被返附者、可為神妙者 天気如此、

悉之以状

    天正七年九月二日     左少弁晴重

      瀧川左近大夫

 

たっきー忙しいからなあ…

えっと、こんときは…

 

てゆうか、

左少弁晴重って誰なんやろなあ…

 

本日は、

天正七年九月二日

左少弁晴重

勢州日永観音寺、為 勅願寺、

の日