おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~ -6ページ目

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

さてさて

だいもんさまもとい

じんけんの越州下向の記録

「越前国相越記(たっきーたちを探して…)」

の前回からのつづき

長~~~い一日…

(^_-)-☆

 

天正三年八月廿九日

 

一 信長ヘ禮出、原備中者山ニカヽミ居一揆為成敗

遣間、祐閑、石庵以御禮可被仰候、此間切々御門跡

之儀被申出待被□る條、早々御出被成候者御仕合可然

候ハん由申候、則禮申處ニ祐閑出、今度當國早速属

御本意尤珍重候、為御見舞罷越由申披露處、祐閑幷

石庵両人出、此表ヘ罷越付、為御見舞御越由、近比

御懇之儀忝存候、懸御目萬可申上由、両人以被申候間、

御懇之被申事トテ両庄之事可申出ニテハ無之候、若信長

被申出つ者如此〱之通、内證、両人被意得可然様取合、

頼可存由申處、又両人内へ入て、内儀其通申候つる哉と

覚て、また両人罷出被申様ニハ、彼両庄之儀御沙汰

候つる間、冝御取合申候處、當國之事未取シツメ不申

候、其砌京都方も無別可申付候、當門跡之儀、自本無

別條、至其砌ニテ可申付候、郡ヲ誰ニ申付候者、御門跡

之御領分、ウケテ置テ可申付候、可被御心安候由、両人

被以申□(越カ)候、

…( ˘ω˘)スヤァ

あんまり長いから何度寝たことか…

 

※近比…ちかごろ、きんぴ、

結構なこと、すばらしい、

みたいな意味(・∀・)流行り言葉だったんかなあ

山科さんはほとんど使わない気がするから…

やまとの方言かも?

 

じんけん(=゚ω゚)「きんころねんころ…」

 

次御成之儀候、幸カウ若ト申舞〱参□條、御モテ成ニ舞ヲ可申付□(候)此方ヘ可有御座之由、被申出間、近比

御懇之□(儀カ)トテ二階座敷ニ被居所へ参候、巻数幷

油煙三十丁進候、今度早速屬御本意珍重候、為御見舞

罷越由申處、座ヲサリ手をツカエテ、遠路ハル〱ノ處

ニ是マテ為御見舞御越近比〱過分之至候、先途河州へ

御越さへ過分ト存候處、遠路ナンカンヲ被越候事、御芳情中〱可申盡候由、被申候、さて後ニ此國御領等候間、

ナンカンノ路モ御心マメニ一ツハ御越モ候へきト被

申候、家門も可有御越ニテ候つれ共、萬御不合期之條、

無其儀為代宮内大輔被越置由申、無是非候由被申、然ハ

舞ヲ可被成御聞候と申聞、次座敷ニ至テ舞聞物也、舞者

烏帽子折幸若以上四人シテ舞之、舞過テ菓子一箱幸若ニ

信長ヨリ以祐閑出、舞近比候由、禮申退出畢、未此方

可到逗留由申置歸也、

(=゚ω゚)ノ「幸若ニ菓子一箱、大和名物のコネリ、

よしのくずもち…きんぴきんぴ…」

 

しかし、

じんけんの一日は

これでおわりぢゃないのである…(´ぅω・`)ネムイ

 


たっき~キラキラ(-_-)キラキラと、

御茶筅(・∀・)と、

ハラビハラビバンビ(~_~メ)

他(・_・)…

 

日ごとに

こんな動きやったんやないか?

を

まとめた!(`・ω・´)ゞエライ

 

・天正三年八月十七日『けんみの越前』より、

(けんみが三郎と夕飯した日)

おそらく近くに各陣があるのだろうひとたちに

礼物進物…_( _´ω`)_

…腹田備中守手縄・腹帶、佐久間甚九郎同前、

柴田修理進・猪子…

腹(ハラ)ビ発見!

 

御茶筅は三七と上野介と(掃部助も?)ともに、

伊勢からじょろじょろいらっしゃいとして、

…

何故かたっきーは御姿を確認できず…

(T_T)まあいっつものことですけどね…

 

各文書類見てると、

上の上矢印ハラビハラビバンビ~ごんろく

などがそうあるように、

たっき~ともあろうたっきーなんやし、

さぶろう近辺にいそうな雰囲気なんやけど…

そこが、

他と違い、

よみにくいのが

たっきぃ~ならでは

の距離感なのねぇ…(・ω・)

 

まあ、伊勢から御連枝引率説も濃厚カ…

なにせ伊勢組は

けんみには

全く記してもらえないしネ

伊勢組との御仲がどうもアレみたいね…(^_-)-☆

やっぱけんみは自前の社格意識から、

御伊勢の御宮臭がお嫌い??

 

あるいはたっきぃてば

先入り噂のじうべえの

とこにでも行ってる?

…( ..)φメモメモ

 

・天正三年八月十九日『じいさんへの報告書』より

 

原田備中守・瀧川左近進(マヽ)、茶箋(筅)・三七郎・

上野介ニ相副遣候、其手より六百余、…

ハラビハラビバンビと

たっきーを、

御連枝様組に

副えたげたっ(・∀・)

んで

こんだけ大中小・大将ぽい

顔ぶれ並びなんだけど、

「其手より六百余、」

数も多くないほうやけど、

生け捕りも討ち取りもそっ首刎ねも一切報告なし!

 

「ちゃんと御宮参り(伊勢神宮)してから

来たよ~(・∀・)(・o・)(・ω・)イエイイエイ」

…キラキラ(-_-)キラキラ(~_~メ)(・_・)

ってな具合に、

御子様たちには

元気にけっぱることより以上は

何も望まれていない!(`・ω・´)

 

ただただ大きく育ててくれた

あにじゃさまに感謝するばかり!

 

・天正三年八月廿日『じいさんへの報告書』と

『いちますにいちあんを副えて』より

 

茶箋(筅)・瀧川手にて於大滝・白山籠屋追崩、

六百余…

あれ?

また六百??(?_?)

さぶろうにしたら

不知数だもんだから、物書屋もコピペでごまかした??

まあ、『いちますにいちあんを副えて』

によれば、

すでに廿日になる前には、

四五百討捕は報告あったくさいから、

だいたい六百にしとけばいい風味?

とにかく、徹して

多くを望まれていない(・∀・)!わあ!

 

・天正三年八月廿四日『越前国相越記(じんけんさま)』より

やっと原文翻刻をゆっくり見れそ…

おや?(^_-)-本ふむふむ…

 

ワニヲ立

一 江州貝津ノ彦衛門所ヘ着、今日者雨下畢、

ワニ…雨…(^_-)-サーチ

 

・天正三年八月廿五日『越前国相越記(じんけんさま)』より

貝津立

一 鶴賀具足屋云所者、大雨甚敷物也、六十城

之麗也、

大雨!

ということは…(゜o゜)これって…

例の、たっき~が

動けないほどの洪水!級の雨だよね!(・∀・)

ダイモンサマノ御手跡

アリガタシm(_ _)mモットモモットモ珍重也

 

・天正三年八月廿六日『越前国相越記(じんけんさま)』より

鶴賀立

一 今城ヲ越テ、荒タル宮後ニ野陣懸、一夜明物也、

木メタウケヨリ與三郎、人夫煩間、…、

御天気も、

必ず記してくれる山科さんがなつかしい(T_T)

でも野陣やし、

進めない理由ありきだよね

やっぱ洪水気味?

 

・天正三年八月廿七日『越前国相越記(じんけんさま)』

今城麗ヨリ立

一 一乗谷信長本陣ニ相着、宿事せキ庵内之者

為馳走取之、

これによると、

敦賀から40キロは北にある一乗谷付近は

書くほど雨ではなかったらしい(・ω・)

海と内陸の違いもあるよね…

でも、

『昨日豊原着陣候(八月廿九日)』によれば、

「一昨日ハ依洪水不相動…」すなわち、

この日、廿七日

たっきーは一乗谷ではないところで

洪水にあってるもよう…

一乗谷より南の方におるんかな?

府中~鯖江あたりで

御茶筅たちと一緒してたのが

廿日頃、

 

そこからさぶろうとともに

北上しつつ?班別行動…?

 

でも

御手紙は出せているので

 

遠からづ、御心やすさのままキラキラ(-_-)キラキラ、

水の干上がり次第

豊原へまかりむかうべし…

かしく、と…( ..)φ

 

・天正三年八月廿八日

一乗谷立

一 豊原寺ヘ信長陣替、令同道至彼寺、原田備中守

陣所、宿ヲ可申付由、於一乗谷申、備中本陣可為一所

思、信長幡シルヘニ彼寺ニ至處、備中陣所ハ未山一越、

北方ニ有之由候、可為如何ト(歟)安(マヽ)外ニ先本陣

指上處、魚住陣屋前ニ有之見付、如此通申所、然者

先拙者陣所ニ可有御座由申間、其ニ宿取物也、

 

というわけで…(=゚ω゚)ノ

さぶろうおわす彼寺にて、

「ハラビは山ひとこえ北の方に陣所あるよ」

と聞いて、

目指そうとしたら

魚住が「これは大門様!お困りでしょう、

拙者んとこいらっしゃいませ」m(_ _)mって

(=゚ω゚)ノ「神の御加護なり」

 

・天正三年八月廿九日・

この日は前記事

「じんけんさまの相越」で

さわり紹介したけど、

ものっすごい長いので、

次の回に相もち越やね(^_-)-☆

 

さてさて

本日は、

 

先書如申遣、

昨日豊原着陣候

の日

 

  尚々走入候者共、悉くひを切由可然候、
委細披見候、仍一昨日ハ依洪水不相動之由、得其意候、
漸水も可干落候間、猶々念入、不残可打果事専一候、
左候て隙明候者、此表へ可罷越候、さき〱手遣之様子
可申聞候、先書如申遣、昨日豊原着陣候、可成其意候、
謹言、
   八月廿九日          信長(黒印)
       瀧川左近殿

いま

この書状の状況把握のためにも

ぜんぜん興味なかった

当時のさぶろうとか越前の事情

べんきょうしてん(´・ω・`)

も…

ねむくてねむくて…(-_-)zzz

 

先書如申遣、

昨日豊原着陣候

の日

 

(´ぅω・`)ネムイ