おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~ -16ページ目

おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

    ことしはきうてんさまのおんとし

今回は

きうてんさまの五、七世先輩住持たちのつづきだよ

見逃せない…(^_-)-サーチ!?

 

『パパ三郎訪問記』!

 

天文二年 八月一日

 

一日、

辛未、天晴、午未時雨下、日蝕午未之時、

八時分織田大和守禮に來、飛、予、蔵に太刀にて禮申

候了、毛利彦九郎飛へ太刀にて禮申候了、

九過時分冷麺有之、

暮々坂井攝津守、矢野石見守、赤木対馬守禮に來候了、

妙心寺之學首座在國とて、予を尋て来、対面、暫雑談

候了、

七時分大和守所へ、従飛鳥速水を禮に被遣候、太刀、

予、蔵人も言傳、同太刀遣候了、

妙心寺の

「學首座」

 

(・ω・)誰なんだぁ??

 

※學首座…あくまでも、本山住持者からの予測として…

「學(がく)」=がく、かく、

と読んだとして、

 

・東庵(菴)宗噋…1515~1591、妙心寺四十九世、

※太嶺院(廃寺)※、

壁書(1578年)に参加

大休宗休(霊雲)の法嗣

このとき、十八歳

…

なんと、一説には

・尾張出身

・斯波家がダンオツ!?

・弟子に、

密宗紹儉(明智じうべえの叔父)!?

…この話は、年齢的にインチキのにほいがするけど、

このおじきが

「明智風呂」作ったから、

※太嶺院※は

廃寺になっても名前が残ってるみたいよ

 

・直指宗諤…妙心寺五十一世、東林院、

細川高国の猶子だという…(-_-)

政元系だと…?!

亀年禅愉の法嗣

壁書(1578年)に参加

 

というわけで、

ずいぶんアヤシイ因縁をお持ちの、

このふたかたなら、

年のころも

山科さんと遠からずで、

オハナシもしやすそう…(・∀・)たとえば、

この時期の妙心寺に関わる山科さんの日記…、

 

〈天文二年正月廿日〉

 

廿日、癸亥、天晴、

…、

今日妙心寺長老参内、予申次に参、四時分被参候、

…、

この時って、

「パパ三郎訪問」

の年の正月だから、もし長老が大休で、

御弟子たちが侍従してたら、

申次の山科さんと挨拶は必須だよね(∩´∀`)∩笑い(-_-)キラキラ

 

というわけで、

東庵(菴)宗噋はかなりくさいかなあ(^_-)-サーチ

 

 

 

今回は

瀧左様およびきうてんさま的視点からも

見逃せない記事だよ…(^_-)-サーチ!!

 

『パパ三郎訪問記』!

 

天文二年 八月一日

 

一日、

辛未、天晴、午未時雨下、日蝕午未之時、

八時分織田大和守禮に來、飛、予、蔵に太刀にて禮申

候了、毛利彦九郎飛へ太刀にて禮申候了、

九過時分冷麺有之、

暮々坂井攝津守、矢野石見守、赤木対馬守禮に來候了、

妙心寺之學首座在國とて、予を尋て来、対面、暫雑談

候了、

七時分大和守所へ、従飛鳥速水を禮に被遣候、太刀、

予、蔵人も言傳、同太刀遣候了、

「日蝕午未之時(おひるすぎころ)」

もかなり気になるけど…やや欠け月

 

妙心寺の

「學首座」

が

 

(・∀・)ぅお~い山科さ~ん!

(∩´∀`)∩おぅ學殿、きはってたんか

 

てなわけで御在国だとか

(・ω・)誰なんだぁ??

 

※八時分…ひる過ぎて、午後三時までのあいだ

※九過時分…正午過ぎということらしい、

※七時分…午後五時くらい、かなあ

※學首座…あくまでも、本山住持者からの予測として…

 

「學(がく)」=がく、かく、

と読んだとして、

 

・東庵(菴)宗噋…1515~1591、妙心寺四十九世、

・直指宗諤…妙心寺五十一世、東林院、

 

というわけで、

候補のこの二人について掘り下げるので、

続きはまた次回…

 

 

(∩´∀`)∩

大膳もきたんか~!ごそくろう~

ちなみに、今日で七月がおわり

 

『パパ三郎訪問記』!

 

天文二年 七月廿九日

 

廿九日、

庚午、天晴、

織田三郎来、大和守所へ八時分同道、朝飯有之、軈而鞠

有之、人数飛鳥、予、蔵人、織田大和守、同三郎、

同右近、同大膳、速水兵部、毛利十郎、千秋将監、

伴九郎兵衛、矢野善十郎等也、鞠以後則歸宅、

冷麺暮々有之、

渡邊所より馬来、鹿毛也、尺歟

なんか渡邊弟さんから、

尺なおうまさん馬がきたぉ~

海賊と決め込んでたけど、

馬牧場主だったりして?!(^_-)

 

※八時分…ひる過ぎて、午後三時までのあいだ

 

パパが来た!

(・ω・)鉛筆

二、

しかも

鞠の人数なり

 ( ..)φメモメモ