今回は
きうてんさまの五、七世先輩住持たちのつづきだよ
見逃せない…(^_-)-
!?
『パパ三郎訪問記』!
天文二年 八月一日
一日、
辛未、天晴、午未時雨下、日蝕午未之時、
八時分織田大和守禮に來、飛、予、蔵に太刀にて禮申
候了、毛利彦九郎飛へ太刀にて禮申候了、
九過時分冷麺有之、
暮々坂井攝津守、矢野石見守、赤木対馬守禮に來候了、
妙心寺之學首座在國とて、予を尋て来、対面、暫雑談
候了、
七時分大和守所へ、従飛鳥速水を禮に被遣候、太刀、
予、蔵人も言傳、同太刀遣候了、
妙心寺の
「學首座」
(・ω・)誰なんだぁ??
※學首座…あくまでも、本山住持者からの予測として…
「學(がく)」=がく、かく、
と読んだとして、
・東庵(菴)宗噋…1515~1591、妙心寺四十九世、
※太嶺院(廃寺)※、
大休宗休(霊雲)の法嗣
このとき、十八歳
…
なんと、一説には
・尾張出身
・斯波家がダンオツ!?
・弟子に、
密宗紹儉(明智じうべえの叔父)!?
…この話は、年齢的にインチキのにほいがするけど、
このおじきが
「明智風呂」作ったから、
※太嶺院※は
廃寺になっても名前が残ってるみたいよ
・直指宗諤…妙心寺五十一世、東林院、
細川高国の猶子だという…(-_-)
政元系だと…?!
亀年禅愉の法嗣
というわけで、
ずいぶんアヤシイ因縁をお持ちの、
このふたかたなら、
年のころも
山科さんと遠からずで、
オハナシもしやすそう…(・∀・)たとえば、
この時期の妙心寺に関わる山科さんの日記…、
〈天文二年正月廿日〉
廿日、癸亥、天晴、
…、
今日妙心寺長老参内、予申次に参、四時分被参候、
…、
この時って、
「パパ三郎訪問」
の年の正月だから、もし長老が大休で、
御弟子たちが侍従してたら、
申次の山科さんと挨拶は必須だよね(∩´∀`)∩
(-_-)![]()
というわけで、
東庵(菴)宗噋はかなりくさいかなあ(^_-)-![]()