山科さんの 元亀二年十二月七日 五墓日…?、祇園會有之、 | おらのなにがし~かしく、瀧左とのへ~

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    ことしはきうてんさまのおんとし

 

五墓日って四日だったよね…(?_?)

 

元亀二年十二月七日

 

七日、

乙未、天晴、天一・・、五墓日、

祇園會有之、山王祭雖無之、日吉社山上等無之間、以上

行之云々、

人参丁香散仲和散等一濟宛調合之、

長橋被申帶四たけ裁之遣、其次此方之二たけ裁之、田舎冷泉

、被來云々、田舎へ餞三ゆかけ、三被送之、祝着了、

※祇園會…祇園御霊会、

牛頭天王をまつって

山科さんもいつしか言ってた「消除疫病」みたいな、

対疫病・天災の御祈願どころなんやて

神社

室町時代、中断気味やったけど

特に応仁の乱以降、

1500年前後から復興に力入れはじめたらしくて

 

下京の町衆(土倉や酒屋とか商工業者)を中心とした

山鉾巡行が主流になったり、

 

幕府奉行衆『松田豊前守頼亮』だかが、

記録した「祇園会山鉾事」によって、

このころよりも昔の

山鉾の色々が

知れるようになったんやて、

松田豊前守(おとつい出た)って

代々の何かなんかなぁ…

中世頃の祇園社(現在の八坂神社)は

延暦寺の末寺(感紙院と号したとか?)で、

山門(延暦寺)による洛中支配の拠点になっていたとか

(・o・)へえ~

延暦寺はそうとうな御豪腕ふるってたみたいね…

そりゃ燃やされるワ…

※山王祭…比叡山の鎮守、日吉権現のお祭り

※日吉社…ひえいしや、とも読む?

近江坂本にある比叡山延暦寺の鎮守

きっと三郎関係で燃えたから

山科さんは、

「山上等無之」ってゆうとるのよね…

 

※上意…ここでは武家?将軍様?

誰かしら御棟梁様の御意見ですね

 

※一濟…「一濟(剤カ)」って書かれることもある、

まあ、ほぼ調合のときに使う言葉みたいだから、

藥になる材料をひとまとめにすること、かな?

 

※田舎冷泉…やっぱり地方の冷泉さんということで(-_-)ううむ…

すなわち、

甘露寺経元の御出身の、

下冷泉さんで!(前回参照

しかし、

母の「中」さんが

山科さんとこに?

被来?(?_?)

だれの田舎の母?

で、「中」さんは、ウイキによれば、

上冷泉家の、

最近元服したひと有力候補の、

四条隆昌(冷泉家賢)、冷泉為満の母が

「中殿(~1583年没)」て書かれてるので…

上冷泉家の方で確定!!

さらに、昨年(元亀元年、1570年)

上のふたりの父・冷泉為益(益…(゜o゜)チョトタンマ)が

亡くなってるらしいので、

実家すなわち田舎に身を寄せているということでしょうか…

山科さんの顔の広さよ…(^_-)

※餞…ゼニぢゃないよ(ヾノ・∀・`)

御餞別のこと、

三ゆかけ(弓懸・ゆがけ、三本指にかけるやつ?)あげとる?

いや、「三被送之、祝着了、」だから

もろたんかな?

キラキラ

山科さんと言えば(・∀・)無数にある特技の一つ…

ごやうきう!!いて座キラキラ

ということで、

御ててや御ゆびをいためないための

革製手袋は

とっっても嬉しいのである(`・ω・´)しうちゃく!

花地獄旅前に少しイイコトあって…よかったね合格